悪魔くんのシークレット・トリック
この短編は、『悪魔くんとスイート・ハロウィン』直後のエピソードとなっています。前話からお読みになられることをおすすめします。
※メフィストフェレス視点でお送りします。
物事とは、なかなか思惑どおりに進まないものである。
「……やれやれ」
腕の中で気を失ったきり目覚める様子のない少女に、メフィストフェレスはため息をついた。固い三和土に座りこんでいるため、そろそろ尻が痛くなってきた。
ぐったりと力の抜けた体を抱え直して立ち上がる。悪魔であるメフィストフェレスにとって重力などあってなきに等しいが、それでも陶子はとても軽かった。
とりあえず彼女の部屋へ連れていこうと考えたところで、ふと目の前に階段が立ち塞がった。裾の長いマントはひらひらと足にまとわりついてくる。
メフィストフェレスは小さく舌打ちした。
そもそも、この仮装は陶子のため(本人は断固として嫌がらせだと反論するだろうが)に用意したものである。当の彼女が意識を失っていては、まったくもって意味がない。
なんとも虚しいようなやるせないような気持ちになって、メフィストフェレスはため息を上塗りした。間違いなく、自分は男として哀れだ。
階段の前で突っ立っているわけにもいかず、爪先をリビングへ方向転換する。数人がけのソファに腰を下ろすと、陶子を横抱きにしたまま膝に乗せた。
さて、どうするか。
姫君は未だ夢の世界からお戻りにならない。呼吸は落ち着いているから心配いらないだろう。メフィストフェレスは、まじまじと少女の寝顔を見つめた。
「…………前言撤回」
これはこれで、ある意味おいしい状況ではないだろうか。現に口元がにやけてしょうがない。
もともと陶子は幼い顔立ちをしているが、瞼を閉ざした今はいっそうあどけない印象が際立っている。薄く開いた唇がなんとも無防備だ。
白桃のような頬につつくてみる。反応がないことを確かめ、メフィストフェレスはやわらかな輪郭を掌で包みこんだ。
こみ上げてくる想いは、決して愛しさばかりではない。自分が男、陶子が女である限り、生々しい欲望は常に牙を剥く瞬間を待ち望んでいる。
その事実を否定するつもりも隠すつもりもない。恋が綺麗事で終わるはずなどないのだから。守りたい、大切にしたいと思う一方で、だれもが獣のような激情を胸の奥に飼っている。
ただ、メフィストフェレスは口にしないだけだ。
ようやく自分を異性として意識しはじめたばかりの陶子に、積もりに積もった恋情を理解することなど不可能だ。受け入れてほしい相手を壊してしまっては本末転倒である。
ゆっくりでいい。どれほど時間がかかろうと、彼女が心から自分を望んでくれるまで待ち続ける。
「ただし、逃がすつもりは更々ないけどな」
目元にかかった前髪を掻き上げてやりながら、悪魔は低く笑った。
そういえば、『お菓子の代わり』をまだいただいていない。顕になった白い額に、メフィストフェレスは笑みを深めた。
「なんたって今日はハロウィンだし?」
何もくれないのなら、おばけにいたずらされても仕方ない。気絶中という不可抗力は無視させていただこう。
メフィストフェレスは身を屈め、陶子の額にそっと唇を落とした。眉間の上に残った紅い痕を確かめて、思わず喉を鳴らす。
「なぁ、陶子」
耳元でささやくと、微かに少女がみじろいだ。ぬくもりを求めるようにすり寄ってくる。
かわいいかわいい、俺のお姫様。
「吸血鬼が眠り姫のどこに口づけるか――知ってるか?」
メフィストフェレスはゆっくりと、首筋に落ちる陶子の髪を払いのけた。
意識を取り戻した陶子が前髪の下と襟元から覗くキスマークに悲鳴を上げるのは、一時間後のことである。




