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となりの悪魔くん  作者: 冬野 暉
本編
6/9

悪魔くんと天使くん PART2〜旅は道連れ世は情け

「たいへん失礼いたしました。私の名はラファエロ、天上にて主の御許に侍ることを許されし者」

 姿勢よくソファに座った天使は、そう言って深々と頭を下げた。

 いや、今は天使と言うにはふさわしくないかもしれない。翼をしまい、服装も現代相応なこざっぱりした白いシャツとジーンズに改めていた。肩の上で波打っていた金髪も、襟足が少し長い程度に収まっている。品のよい留学生の青年――そんな印象だ。

 あわや特撮も顔負けの修羅場と化しかけたところをどうにか抑え、家の中へ避難した。さすがの騒ぎにご近所の方々が駆けつけてきたからである。わたしの従兄を名乗っているメフィストフェレスが口八丁で丸めこんでいたが。彼の口の達者ぶりにはじめて感謝した。

 学校は――この際サボってしまおう。

 あたたかい紅茶を一杯飲んで、頭に血が上りすぎていたラファエロもどうにか落ち着いたらしい。こうしてみると、思慮深げな美丈夫である。

 しかし、しかししかし。

「ラファエルって、すごく偉い天使なんじゃ……」

 確か大天使とかなんとかのひとりだとか、以前読んだファンタジー漫画にあったような。

「癒しの天使、旅人の守護者だな」

 わたしの隣を陣取ったメフィストフェレスがどうでもよさげに言った。赤い瞳も黒い翼も収め、普段どおりの姿だ。

「神代の頃ならいざ知らず、今の時代にそんなお偉方がほいほい下界に降りてくるなんて思えないけどなぁ?」

「畏れ多くもかのお方と同じ御名を賜りました。しかし若輩の身には過ぎたるもの。ゆえに発音を変えて、ラファエロと」

 ラファエロは淡く微笑んだ。天空を写し取った瞳には灰色が混じり、冬の荒海を思わせる色彩に変化していた。

 人外には同性同名が多いのだろうか。

「若輩ってことは、まだ若いのか?」

「ええ。私は『生まれて』から百ほどの年月しか数えていません。同世代の同胞のなかでもひと際未熟で……いつも失敗ばかり」

 天使はため息をついた。けれどすぐに表情を明るくする。

「しかし、このたび主御自ら命を下さったのです。『地上へ下り、天界の静寂と安寧を取り戻せよ』と」

「……それって謎かけ?」

「私も詳しくは……しかし答えを紐解く苦難も、主が私に与えたもうた愛という名の試練なのだと思います!」

 頬を上気させ、ラファエロは拳を握る。その様子に、わたしはふと先ほどの騒ぎを思い出した。

 いったん火が点いたら、彼の暴走を鎮めるのはなかなか難しいだろう。さぞ天界の人々は苦労したに違いない。

 ……あれ?

 ラファエロは『天界の静寂と安寧』を探しにきたわけだが、その目当てのものがなくなったのはむしろ彼のせいではないか?

 天界の静寂と安寧を取り戻す――天界一のお騒がせ者をつまみ出す。

「……それって左遷されたんじゃねぇの?」

 冷めたメフィストフェレスの呟きに、わたしはとっさに隣の膝をはたいた。

「失礼な。地上でも『かわいい子には旅をさせよ』と言うではないですか」

「『かわいさあまって憎さ百倍』って知ってる?」

 柳眉をひそめる天使に、悪魔はにやりと薄く笑う。わたしは更に強くメフィストフェレスの膝を打った。

「いって。何すんだよ」

「余計なことを言わんでいい! 世の中には知らないほうがいいこともあるだろっ」

 小声で怒鳴ると、彼はひょいと肩を竦めた。小馬鹿にしたような態度に今度は腿をつねってやろうかと睨んでいると、じっと見つめてきたラファエロが口を開いた。

「陶子さんは、そこなる悪魔と契約を交わした魔女なのですか?」

「はい?」

「あなたは悪魔に心を許しているように見える。それほど親しい距離にあるならば、魔女と使い魔でもおかしくありません」

 探るような視線に、わたしは思わずメフィストフェレスのそばに寄った。自然な動作で後ろに腕が回される。

「いんや、俺はまだだれとも契約を結んでないぜ。お遊び気分の召喚者に逃げられちまったんでね、宙ぶらりんの仮契約状態だ。こいつは俺の居候先の家主ってとこ」

「それにしてはずいぶんと、入念に『印』を刻んでいるのですね。幾重にも。これは『庇護』というよりも……まるで『所有』だ」

「唾つけたんだよ。虫除け代わりだ」

 どんどん不機嫌になっていくラファエロとは反対に、メフィストフェレスは悦に入っている。なんだか今度は、彼から逃げたほうがいい気がしてきた。

「そうですか……」

 ラファエロは一瞬目を伏せ、キッとメフィストフェレスを睨み据えた。

「それではやはり、私の考えは間違っていなかったのですね!」

 なんでそうなるのだ。

 完全にわたしを置き去りにして、ふたりは(主にラファエロが)すたこらと話を進めていく。

「なんと不埒で狡猾な。逃げ道をちらつかせながら必死にもがく蝶をなぶり、舌なめずりする毒蜘蛛のようだ」

「褒め言葉だな。悪魔の性分はあんたがよく知ってるだろ?」

「よくもぬけぬけと――恥を知りなさい!」

 ラファエロの一喝とともに光が弾ける。滲み出す金の陽炎に、わたしは悲鳴を上げた。

「ちょ、家が壊れるからやめてくれ!」

 あんな少年漫画的バトルをくり広げられたら半壊どころでは済まされない。人外災害に保険なんてないのだ!

「あっ……すみません」

 揺らめく光は小さく萎んでいく。しゅんとしたラファエロは、耳を伏せて項垂れる大型犬を連想させた。

 憎たらしいのだが、どこか憎めない人である。

「そこまで落ちこまなくても……わかってくれればいいし」

「……陶子さん」

 青灰色の瞳がぶわりと水気と熱を帯びる。なんだか首の後ろに嫌な予感が。

「ああ、あなたはなんて慈悲深いな方なのでしょう。あなたは必ず、この私がお救いしてみせます!」

「いや、あの、だから」

「悪魔があなたを欲望の鎖で縛るなら――私はあなたに祝福の盾を」

 え、と間抜けな声しか出せない。ラファエロは場違いなほど厳かに、高らかに宣言した。

「これより不肖このラファエロ、陶子さんの守護天使を務めさせていただきます!」

「はいぃ!?」

「いついかなるときも、あなたのおそばに――げふっ」

 弾丸のような速さで飛来したクッションを顔面に食らったラファエロは、そのままソファにひっくり返った。投手はだれかなんて考えなくてもわかる。

「よーし、そんなに殺してもらいたいなら喜んでさっくり逝かしてやるよ」

 両手の指をぼきぼき鳴らしながらメフィストフェレスが立ち上がる。寒気が走るような笑顔に、もはや叫ぶ気力もない。

 ああ――わたしの平穏はいずこ。

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