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となりの悪魔くん  作者: 冬野 暉
本編
3/9

悪魔くんとスイート・ハロウィン

「ただい……ま?」

 いつものように帰ってみると、なぜか吸血鬼に出迎えられた。

 後ろに流された黒髪、塗りこめたような白い肌。鮮やかな赤い唇からは鋭い牙が覗いている。襟の立った漆黒のマントをふわりと広げ、吸血鬼はうっとりするほど優しく微笑んだ。

「Trick or treat?」

 甘い低音が流暢な英語をささやく。ドアを開けた姿勢のまま、わたしは腰砕けになりかけた。

「ちょ、ちょっと待って」

 確かに我が家には居候がいるが、彼は吸血鬼ではなく悪魔のはずだ。

「……何やってるんだ、メフィスト」

「見てのとおり」

 くらくらする頭を押さえながら尋ねると、そのメフィストフェレスはけろりと答えた。

「……吸血鬼?」

「正確にはドラキュラ伯爵。似合ってるだろ?」

 得意げな笑顔でくるりと回ってみせる。マントの下は中世ヨーロッパの貴族を思わせる礼装という手のこみようだ。

「どこでそんな衣装買ったんだ……」

「ネット通販。いや〜、ホント便利で面白い世の中になったよなぁ。ハロウィン用の仮装っつってもいろいろ売ってるんだぜ? 狼男とかフランケンシュタインとかミイラ男とか。しかも全部手作り!」

 それってコスプレってやつじゃないのか、と言いかけてやめた。とっくに知っていそうで怖い。

 とりあえずドアを開けっ放しにしておくわけにもいかず、わたしは後ろ手に閉めると、その場にずるずるしゃがみこんだ。本気で頭痛がしてきた。

「おいおい、大丈夫か?」

「だれのせいだよっ」

 覗きこんでくる吸血鬼の顔に思わず後退する。顔立ちを強調するメイクは舞台役者のようだ。

 粉っぽい化粧品の匂いと、微かに混じる香水の甘い香り。本当にここにいるのはメフィストフェレスなのだろうか。

 背中がドアに当たる。いつの間にか、ドアとメフィストフェレスに挟まれる形に追い詰められていた。

「……なぁ、陶子」

 どうして両腕をドアについて囲う。どうしてそんな静かな声を出す!

 スカートの下の固く冷たい感触に、早くどいてくれと切望する。三和土は座り心地が最悪なのだ。

 必死に現実逃避を図っていると、

「おまえ――照れてるのか?」

 悪魔は容赦なく直球を投げてきた。

「照れてなんか……」

「顔赤いし、視線泳いでるぞ」

 近づいてくる唇に、反射的に顔を背けてしまう。メフィストフェレスは喉を鳴らして笑った。

「おまえ、この間からずいぶんいい反応するようになったよな」

 嬉しげな口調に腹が立つ。自覚した途端、あっという間に耳まで熱くなった。

「俺が恋を教えてやるよ」などという意味深長な言葉をもらって以来、たびたびこうした目に遭わされている。からかっているのか本気なのか、初恋も未経験なわたしには判別不能だ。

「メフィスト、さっさとどいてくれ。そろそろお尻が痛くなってきた」

「お菓子くれたらな。ほら、trick or treat?」

 押し返そうとした両手もやんわりと絡め取られ、いよいよ退路を失った。もう一度くり返された問いが吐息とともに首筋をくすぐり、わたしは叫びそうになった。

「ち、痴漢っ。変態、セクハラだ!」

「吸血鬼ってそんなもんだろ」

 ほとんど抱き竦められるような格好で、ほらほらと促される。鼓膜を震わせる心臓の高鳴りに耐えきれなくなり、ぎゅっと目を閉じた。

「……おっ」

「お?」

「お菓子、持って、ない」

 昼休みにチョコレートを食べてしまったことを激しく後悔した。だがもう遅い。すべてはあとの祭だ。

「ふーん。そうかそうか」

 吸血鬼のにやにや笑いが目に浮かぶ。バサリという衣擦れとともに、わたしはマントに包まれた。

「じゃあしょうがない。お菓子の代わりに陶子をいただくか」

 夜のような闇のなか、甘美な抱擁に捕らわれる。

 ――ああ、気絶寸前。

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