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歩道橋

作者: 田貫うどん

僕の通っていた小学校は市内で一番大きかったので下校する時は四方にある門から出入りすることが出来た。

その校庭を挟んだ場所にある小さな門の目の前には、二車線道路を越すように歩道橋があった。

狭かった歩道も今では拡張され少し歩いた場所には横断歩道があるのでその歩道橋を使う生徒は少ない。

この歩道橋が作られた経緯は今から50年位前までさかのぼることが出来る。

話は簡単だ、生徒が道路を渡ろうとしてトラックにはねられる事故があり、もう悲しい思いをしない為に作られたそうである。

ありきたりな話であるが事実らしい。

僕はことあるごとにこの話を思い出す。



小学生の時、確か3年生くらいだっただろうか、僕たちのクラスはその歩道橋が作られた意味や由来を先生から聞かされ、その内容を紙芝居にするという時間があった。

生徒が分担して何枚かの絵を書くというものだった。

これはただの絵の授業ではなく、後々この紙芝居を映像として編集し学校教材にすると聞かされていた。

後日作られたビデオを皆で見た記憶がある。

絵を書く作業は一日で終わり、所詮子供の書く絵だ上手いも下手もありはしない。

それでも私は自分が書く絵を人に見られることが嫌いでせかされやっとの思いで書いた記憶がある。

こんなの面倒で任せればいいや、なんでやらないといけないんだ、と思っていたに違いない。

それでも出来た時は達成感があった。

何をやっても中途半端で色を塗っても、日記を書いても最後まで書くことは出来ず、白い部分を多く残して泣きながら適当に埋めていたあの頃。

今は泣くことは無いが、最後まで飽きもせず終わらせる事は苦痛で仕方ない。

それはさておき、子供の時は人が居なくなるという感情などは勉強や運動、友達と遊ぶ好奇心によってかき消されてしまい心に残っていない。

ましてや顔も名前も知らない子供が事故で死んだという事実があろうともどうでもよかった。

誰でもそう、先月行方不明になったあの人も、事件で殺されたあの人も連日ニュースで取り上げられたが、記憶に殆ど無い。

その中でいつも歩道橋の事を思い出すというのはそれほど衝撃的だったのだろうか。

実際には通学路としてその歩道橋は使った事がなく、別の門から登下校していたし、夏休みのプール登校の日も変わらずだった。


ある日、自転車で友達の家から自宅まで帰る途中に歩道橋の横を通ったことがある。

何を思ったのか自転車で階段をのぼり向こう側へ行こうとした。

自転車を押してのぼれるスロープなどなく、一段一段重い自転車を持ち上げては息をつきやっとのことで上までたどり着いた。

夕日が沈む前の光景、歩道橋自体は数えるくらいしか行き来していなかったが、何とも無意味な事をして損したなと思った。

下りも同じく一段ずつタイヤが階段の角に当たる度に疲れた身体に衝撃が来ていた。

この滑稽な姿、誰かに見られていたらどんなに恥ずかしいことだろうか。

たまに後ろを見たり、一段飛ばしで降りてみたりした。

降りきり疲れたので早く帰ろうと自転車にまたがり少し進んだところでもう一度歩道橋を見た。

これはやり切った達成感ともうやらないという誓いの為だったのかもしれない。


黒い影が見えた。

沈みかけの太陽に当たった身体から伸びる長い影を掴んでいる。

僕の体は何とも無かったが、影が異様だった。

それは子どもが親の服を引っ張るように、車道の方へ導いていた。

黒い影はそのまま車道へはみ出していく。

更に日は傾き、その影と一体になる僕の影、このままどうにかなってしまうのだろうかと考えた。

でもどうしたらいいかは分からなかった。

3分くらい経った時、後方から車が来たのが分かった。

黒い影はまだ僕の影を出そうとしている。

どうにかならないか腕を振り上げたり回したりしていると、黒い影は車道へ飛び出す。

車はスピードを上げ僕の横を通過すると何かと接触したような音を出し、十数メートル先で止まった。

中から焦った表情の運転手が現れ車の下を覗いていた。

僕は怖くなって急いで家へ帰った。


もしかしたら、ここで事故にあった子供の幽霊でも見たんじゃないかと震えて、風呂に1人では入れそうになかったので弟と入った。

結局あの車はどうなったのだろう、ぶつかったのは何だったのか。

僕が見たのは黒い影だけだった。

大人になると子供の時に見えていた物が見えなくなるという、そういった類の物なのだろうか。

考えれば考える程怖くなったが、数日過ぎる頃には忘れていた。

それから歩道橋を通る事もなく卒業し中学へ進学した。

親に連れられ歩道橋の下を車で通る時に何も無ければいいと願った事がある。

自転車で横を通らないように遠回りしたこともあった。

気づかないうちに歩道橋へは近づくことが無くなった。

だけどもいつでも思い出す、あの時の恐怖というか不思議な体験は今まで生きてきた中でもう経験出来る事がないだろうと。

小学生だった時よりも知識が増え、常識や非常識も理解できる。

テレビ番組で見る未知の生物やホラー特集を見てもこれはCGで作りものなのだと自分に言い聞かせる事ができた。

自分を偽っているわけではない、これが常識なのだと分かったのだ。

しかし、それでも納得できるわけではない。

自分で見た物しか信じないのは昔からだが、見てしまった物が嘘だと認識することは出来なくなっている。

今更証明できるわけでもない。



最近夢を見た。

昔見た事のあるけど、それが何だったのかは目が覚めると忘れていた。

今回は鮮明に覚えている。


両親と子供の三人で歩いている様子が見える。

僕は傍観者だった。

道路を挟んだ歩道に子供の友達が手を振っている。

その子供は近くに行こうと道路を渡るのだがつまづき車とぶつかってしまったのだ。

慌てた両親と友達、車はそのままスピードを落とさず去っていった。

両親は泣き喚くが子供は息をしなくなった。


これは小学生の時に書いた紙芝居の、歩道橋が出来るきっかけの事故の光景だった。

いつもこの夢を見ていて起きては忘れていた。

どうして何度も見ているのだろうか。

何か因果がありそうで怖くなった。



また夢を見た。

僕は子どもの友達だった。

向こうから子供が走ってきて転び、車と接触した。

僕は何も出来ず泣いていた。


今まで同じような夢が続くことなんて経験が無かった。

いや思い出せなかっただけで見ていたのかもしれない。

それにしてもまだ寝てから数時間しか経っていない。朝まではまだ時間がある。

ぼやけた頭ではそんなことはどうでもよかった。

すぐさま眠りについた。



朝方、また夢を見た。

今度は子供の母親だった。

向こうから手を振る子供の友達、父親はよそ見をしている。

僕は手を子供の肩に置き、車が来るのを確認して突き飛ばした。

子供は転び、車とぶつかる・・・。


僕は目が覚めた。

飛び起きたといってもいい、頭が痛くなったがこれが夢だったと分かると深くため息をついた。

良かった、夢で。

夢の出来事が衝撃的過ぎてまだ動悸は治まらず手は震えていた。


車で外出する予定があったので朝食を食べ準備をし、出発した。

運が悪いことに歩道橋の下を通らなければいけなかった。

今日だけは通りたくない、あの夢を見た後だから尚更嫌だった。

安全運転で行こう、いつもそうしているが今日は特に。


寒気がしたのは一瞬だった。

歩道橋の下の両側の広くなった歩道には誰の姿も見当たらない。

しかし僕の目の前に黒い影が倒れ込んできて、ぶつかってしまった。

衝撃があって乗り上げる感覚がある。

急いでブレーキを踏もうとした気が動転していたので踏み込めずそのままガードレールに衝突してしまった。

その後は記憶が定かではないが、振り向くと女の人がいたような気がした。




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