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七 追及

 個人の書斎のような社長室で、部屋の主は、入ってきてドアを閉めたままドア口で留まっている部下に、室内へ車椅子を進めるよう促した。

 窓の外の夜空は、街の明かりを反射し少し雲が見える。

「どうしたの?酒井。・・・・思いつめた顔をして。体調はまだ本調子じゃないのかな」

「かなり良くなりました」

「じゃあ、リハビリが思うように進まないとか」

「いえ・・・順調です・・・」

「ならその不幸のどん底みたいな顔色はどういうことなのかな」

 阪元は酒井の顔をもう一度ちらりと見た後、奥のカウンターへコーヒーセットを取りに行く。

「社長、お願いがあります。」

「なに?」

「チームを替えてもらえないでしょうか。」

「は?」

 ポットに熱いコーヒーを注ぎながら、阪元はやや驚いた声を出した。

「俺を恭子さんのチームから外して、別のチームに所属させるか、フリーにしてもらえないでしょうか。」

「一体どうしたの?」

「恭子さんと、一線を越えてしまいました。」

 高い金属音をたてて、阪元の足元に銀のコーヒースプーンが落ちた。

 阪元は別のスプーンを取り出し、トレイに載せ、二つのカップ&ソーサーとコーヒーポットを部屋の中央の円テーブルまで運び、自分が先に椅子に座った。

「Sorry?」

「社長」

「What did you just say?」

「社長、英語になってます。動揺されてます?」

「・・・動揺してる。・・・・・・一線って、酒井、つまりそれは」

「・・・・・」

「一夜を共にしたの?恭子さんと?」

「そんなことするわけありません。」

 沈黙が流れた。

「?」

「・・・・・」

「そうじゃないの?」

「はい」

 阪元は目をまるくした。

「それじゃあ、もしかしたら、キスだけとかなの?」

「・・・・・そうですが。」

「・・・・・」

 ポットからコーヒーを注ぎ、阪元は向かいの席の酒井に勧めた。

 その表情は、ほっとしているというより、がっかりしているという表現がふさわしいものだった。

「社長?」

「なーんだ」

「なーんだとは何ですか」

 酒井は明らかに顔を赤くしていた。

「つまらないなあ」

「社長、なにを言ってはるのかわかりません」

 阪元は眉間にしわを寄せながら、コーヒーを一口飲んだ。

「あのね、ラブ・アフェアに発展してからそういうことは言いなさい。」

「すみません、なんか不倫関係みたいな響きがありますが」

「スリープ・ウィズがよかったかな」

「スペンド・ザ・ナイト・ウィズでお願いします。・・・・って、そうじゃなくてですね、」

「まあコーヒーでも飲みなさい」

「はい」

 酒井は好み通りブラックで勧められたコーヒーを、自分も少し難しい表情をして、飲んだ。

 頬杖をついて、阪元は微笑しながら部下の顔を見た。

「がんばってね、酒井。」

「・・・・・・」

「そのペースじゃ、君達が本当の一線を越えられるのと、地球が滅びるのと、どっちが先か心もとない。」

「・・・・・」

「同じチームにいるという利点を最大限活かしなさい。」

「社長、ほんとに意味がわかりません。」

 阪元はおかしそうに笑った。

 そして少しだけ表情を変えて、静かにもう一度酒井のほうを見た。

「・・・なんですか?」

「いや、あらためて思っただけだよ」

「何をですか?」

「酒井、お前、生きてるんだなって。」

「・・・・・」

 阪元の顔から笑顔がほぼ消え、その表情には苦しそうな様子さえ見てとれた。

「長かったよ。お前が戻ってくるのを待っている間。」

「・・・・・」

「意識が戻らなければ、三か月目、必ず生命維持装置を外さなくてはいけないからね。お前の意思表示は明快だった。」

「うちのチームは全員意思表示してますよ。」

「そうだね。そして、生命維持装置を外す役目は、私がやろうと思っていたよ。」

「チームリーダーじゃないんですか」

「基本的にはそうだけど、特に決まりがあるわけじゃない。お前は、誰にやってほしかった?」

「恭子さんです。・・・でも、やっぱり、だめです」

「そうだろう?そんなつらい役目を、恭子さんにはさせたくないよね?」

「はい。」

「祐耶でもよかったかな」

「そうですね。でも・・・・」

「うん。あいつには、無理だろう」

「そうですね。ということはやはり、社長ですか。」

「そうだよ。だからほんとに、そういう意味でも私のほうが死にそうだったんだよ。わかる?」

「・・・・・」

 阪元は立ち上がり、テーブルを回り込んで酒井の傍らに立った。

 そしてその手を、酒井の肩に置いた。

「本当に・・・・」

「・・・・」

「・・・よく、生還してくれたね。」

「・・・・・」

「ありがとう。」

 阪元の顔を見上げ、その表情を見て酒井は言葉を失い、ただ黙って頭を垂れた。



 車椅子を収納できる送迎用の車は、朝の光を受けその白いボディが一層明るく見える。

 助手席の同僚のほうをちらりと見たが、金茶色の波打つ長髪を後ろで縛った若きアサーシンは、何も言わずに運転を続ける。

 酒井は煙草を取り出し、しかし火はつけずに口で弄び、しばらくして自分から声をかけた。

「祐耶」

「・・・・なに?」

「いや、わざわざ送ってもらってすまんな」

「なんだよ今頃。もう何週目?」

「リハビリというのは地味で気が滅入る作業やけど、行き返りにお前が下らん話をしてくれると気が紛れて助かる」

「それは良かったよ」

「それやから、今日はやけに静かやなと思ってな」

「・・・・ちょっと考え事してた。」

「ちょうど、三か月やからかね?」

「よく分かったね。・・・・そうだよ。もしもあれからお前が目を覚まさなかったら、今日が、その日だったんだよ。」

 酒井は前を向いたまま、少し笑った。

「ルールAは、よくできた仕組みやと思うで。」

「・・・・・」

「意識がなくて、自分の口から物を食べることもできない・・・下手したら自分で呼吸することもできない、そういう状態になって回復の見込みも高くなくなったとき、どうしてほしいか、自分できちんと決めて意思表示してしかもそのとおりにしてもらえる。これは、明日どんな怪我をするかもわからんエージェントにとって、まさに福音や。」

「・・・・」

「だからこそ、お前も俺も、そういう意思表示をしてるんやろ。」

「まあね。」

「生命維持装置を外すっていうのは、安楽死でさえない。単なる自然死や。」

「そうだよ」

「そやから、お前が今日そんなに感傷的になる理由は、なにひとつないということや。」

「わかってるよ。でも、理屈と感情は別なんだから」

「目を覚ます見込みが限りなく低い。そういういわゆる植物状態の人間は、本人もやけど、周囲が本当に大変なんやで。」

「・・・生きててくれるだけでも、嬉しいと思うんじゃないの?」

「そうやろうな。けどな、それはまさに生殺しやと、俺は思うね。それに、俺たちは会社が金銭的にむちゃくちゃ恵まれてるから医療や介護の費用の心配はないけど、世の中多くの場合は、実際は、感情だけじゃなく現実というもんがのしかかってくる。経済的なこと、そして、時間、労力、精神的疲労・・・。」

「・・・・・」

「俺の場合でさえそうやで。祐耶、お前はただ髭剃りしながら嘆き悲しんでただけやけど、俺が意識不明やった間、ケアしてくれてた病院スタッフの労力を考えてみい。」

「・・・・・」

「純粋な医療だけやなく、何度も何度も体の向き変えたり着替えさせたり、髪や口を洗ったり体拭いたり、下の世話したり。そういうことを誰かがやり続けなあかんねんで。」

「リアルだなあ」

「当たり前やろ。どんな美男美女かてクソもすればゲロも吐く。」

「それが生きるってことなんだね。」

「そうやけど、そういうことの始末を、自分でできなくなるということを、よく考えてみ。・・・そして一番忘れたらあかんのは、それでももしもそれが、植物状態になった人間本人がそうやって世話されながらそのまま生き続けたいと真に思っているなら、その甲斐もあるやろけど、そうじゃないとしたら、こんな悲惨なことはない・・ということや。」

「・・・・・」

「祐耶。お前、ルールAの意思表示、これからも撤回する気はないんやろ?俺もないしな。」

「うん。」

「なら、お前がもしも負傷して意識不明になって三か月たったら、俺が生命維持装置を外す。」

「・・・うん。」

「だから、いつか俺がそうなったら、お前が同じことをやれ。」

「・・・・・・」

「無理かね?」

「・・・・・ちょっと考えさせて」

 路肩に、深山は車を停車させ、同僚のほうをゆっくりと見た。

 その表情は情けない困惑に満ちていた。

「・・・凌介」

「なんや」

「たしかに僕は髭剃ってただけだけど・・・・でも、お前が戻ってきてくれて、本当に本当に、嬉しかったんだよ。」

「・・・・」

「お前の言うことは何から何まで正しいけど、僕はひとつだけ納得できない。」

「・・・・・」

「僕がどれだけ悲しかったか、ほんとにわかってる?」

 酒井はやや気おされたように、深山の顔を見た。

「わかってるよ。」

「わかってないよ」

「わかってる」

 酒井は、右手を伸ばして深山の肩を抱き、そして親友の頭を自分の肩へと引き寄せた。

「・・・・凌介の大馬鹿野郎。あんなに何日も何日も・・・・、ずっと眠って。三か月の猶予しかないのに。たったそれだけしかないのに。」

「・・・悪かった。」

「許さない」

「ほんまに悪かった。謝る。」

 深山はもう何も言わなかった。



 葛城は自宅へ向かう静かな住宅街の夜道を、普段通り道の右側のやや高くなった歩道部分を歩いていたが、後方から近付いてきた軽自動車が、必要以上にこちらへ接近して走行していることを不審に思い、振り返って立ち止まった。

 軽自動車は葛城の脇で静かに停止し、運転席のウインドーが、少しだけ開いた。

 運転手は口にした煙草に、火を点けず、少し長めの黒髪の間から精悍な顔立ちの、漆黒の両目をこちらへと向けていた。

「車も色々便利なものがありますな。両足ギプスでも、手だけで運転できるものがあるんですよ。」

「・・・・酒井・・・・」

「お帰りのところすみませんな。念のためと思いまして。」

「・・・・・」

「祐耶から河合さんがお聞きやと思いますけど、大森パトロール社さんの所属である、ということは、あなたたちの命を守りもしませんし必要以上の危険に曝すこともありません。」

「・・・・・」

「そこのところを、くれぐれもお間違え頂かないよう、お願いしたいんです。」

「わかっています」

「クライアントを守るため、命を懸けはるのはご自由です。止めても無駄でしょうからね。しかし、それ以外の何かわけのわからないもののために、我々に無駄な殺生をさせるのは、あまりありがたくない。それだけのことです。」

「・・・・・」

「とくに、あの、新人じゃないといいつついつまでも初心な、可愛い警護員さんに、よくよく言い聞かせてあげてほしいですな。」

「酒井・・・・・」

「それでは、失礼します。大森パトロールの、葛城さん。」

 目立たない軽自動車は、そのまま走り去り、見えなくなった。



 簡素なデザインだが贅沢な機能を有する、地下の広々としたトレーニング・センターで、体育館ほどの面積もある稽古場で二人の長身の男性が道着姿で互いの襟をつかみ、技をかけるタイミングを計っていた。黒髪の男性は右の足首だけでなく左の膝からも白い簡易ギプスが覗いているが、そのことにはまったく関知していないように見えた。

 次の瞬間、黒髪の男性のほうが、金茶色の髪の男性を組み伏せた。

「社長、今回は頂きです」

「くるしいよ、酒井」

「だめです、その作戦には乗りません。前にそれで騙されましたからね。というか、簡易ギプスの俺に簡単に寝技をかけられるとは情けないことです。」

「うううう」

「参った、とおっしゃればいいんですけど?」

「・・・酒井・・・・」

「なんですか?」

「あの優しく美しい警護員さん、元気だった?」

「まあまあですな。」

「急なお願いにも関わらず、行ってくれてありがとう。」

「はあ。まあ、どんな効果があったんやら、わかりませんけど?」

「隙あり」

 阪元が態勢を逆転させた。

「社長、卑怯ですよ」

「戦いに卑怯もなにもない」

「祐耶にいいつけますよ、社長が足の治ってない俺を稽古に誘ったって」

「それはだめだよ、殺される」

 再び酒井の体が上になり、そして数秒後、阪元が負けを認め、稽古が終わった。

 帰りの車は阪元が運転席に座った。

「足、大丈夫?酒井」

「なにをいまごろ労わりの言葉かけてはるんですか」

「まあ、満身創痍でも現場で仕事をやり遂げた伝説には事欠かないからね、酒井、お前は。それよりなまった体を早く元に戻したいだろう?どんどん協力するからね」

「それはありがとうございます。しかし俺は・・・」

「そうだね。そうしょっちゅう満身創痍になってたわけじゃない。意識不明の重体で病院に担ぎ込まれるような・・・・死にかけるような怪我をしたのは今回を入れて二度だけ。でも、たまに結構な重傷は負ってた。」

「・・・・・」

「そしてそれは必ず、自分以外の誰かをかばったり、助けたりしたときだったね。」

「・・・・・」

 車が地下駐車場を出て、星空の下の大通りを滑り出す。

「・・・酒井。」

「はい」

「私は私の悩みを悩んで、仕事をする。」

「はい」

「酒井。・・・・お前は、これからも、お前の仕事をしっかりやってほしい。」

「・・・はい」

「少しでも長く、ね。」

「・・・・はい。」

「・・・で、酒井。」

 阪元は静かに車を路肩に停めた。

 そしてその深い緑色の目で部下の顔を斜に、しかしじっと、見た。

「聞きにくいことを聞くのが、上司の仕事だ。」

「はい」



 事務の池田さんの悲鳴に近い歓声が聞こえ、事務所内にいた数名の警護員たちは何事かと受付カウンターのほうを見た。

 大森パトロール社事務所の従業員用入口から入ってきた二人のごく若い警護員が、バスケットのような鞄を持ち、池田さんになにやら交渉している。

「ありがとうございます!」

 茂の大きな声とともに、「ニャー」という明らかに人間のものではない声が聞こえてきた。

 茂と槙野は、ペット用キャリーバッグを持った茂を先頭に事務室内へ入り、席に座ったまま「?」な表情でやはり自分たちを見ていた葛城の前で立ち止った。

「あの、葛城さん」

「は、はい」

「前に一度、おっしゃっていたことがあったので・・・・・。その・・・、一度猫を思いっきり可愛がってみたいって」

「・・・ええ、たしかに・・・」

「短い時間なら大丈夫かなと思って」

「・・・もしかしてこの猫は・・・槙野さんのところのミケ?・・・・・」

「はい。ちょっと試して頂いても・・・いいでしょうか」

 キャリーバッグのファスナーを開き、茂は槙野に手伝ってもらって三毛猫のミケを抱いてバッグから出した。

 そのまま、葛城へと渡す。

 猫を抱いたまましばらく葛城はミケの白と茶の模様の頭を見ていたが、やがて驚いた顔で茂と槙野を順に見た。

「あ・・・。くしゃみも、鼻水も出ないです。どうして・・・・」

「よかった!」

 茂と槙野は顔を見合わせて笑った。

 槙野が言った。

「河合さんと一緒に、ミケをお風呂に入れたんです。」

「お風呂に?」

「はい。それから、徹底的にブラッシングもしました。」

「毛が飛ばないように・・?」

「はい。そして、毛もなんですが、猫アレルギーの原因は主に猫のフケなんだそうです。なので、お風呂できれいに洗ったらしばらくは大丈夫なんだそうです。」

「なるほど」

 葛城の腕の中でミケはあくびをして自分の前足をなめた。ついでに近くにあった葛城の手の甲もなめる。

 葛城の顔がほころんだ。右手でミケの頭を嬉しそうになでる。

 そしてすぐに、茂と槙野の手を見て、葛城が申し訳なさそうな表情をした。

「その手の擦り傷・・・・お風呂でミケに・・・?」

「はい、多少は抵抗されました。でも予想したほどじゃなかったですよね、槙野さん。」

「ええ。」

 葛城はもう一度椅子に座り、今度は膝の上にミケをのせて背中をなでた。幸せそうな表情で猫を見下ろす葛城を、茂と槙野は満足そうに見つめる。

「茂さん、槙野さん、ありがとうございます。アレルギー発症して以来、猫を抱ける日が来るとは思いませんでした。」

「葛城さんは最近残業続きでお疲れですよね。是非癒されて頂きたいと思って・・・・。お風呂に入れるだけですから、またときどき連れてきます。」

「池田さんは大丈夫だったんですか」

「はい。池田さんもすごい猫好きなんだそうで」

「よかった。池田さんがいいとおっしゃったら、うちの事務所はもう誰も止める人はいないですから」

「あははは」

「事務所の看板猫になるかもしれないですね」

「猫が嫌いな警護員がいたら無理ですけどね・・・」

「・・・・・・」

 三人は一瞬沈黙した。そっと後ろを振り返った葛城の視線の向こうには、自席で作業している月ケ瀬の姿があった。

 彼は特に反応はしていなかった。

 今度は葛城は茂と槙野の背後に目をやった。ふたりが振り向くと高原と山添が立っていた。



 酒井は上司の質問の内容を予想しているように静かに阪元の顔を見返した。

 阪元はそのまま、質問をした。

「なぜ、葛城を助けた?」

 酒井は精悍な顔立ちを少しも動揺させず、しかしすぐに返事はしなかった。

「・・・・・・」

「私には、尋ねる権利があると思うんだけどね。」

「はい」

「全部じゃなくてもいいよ」

「全部申し上げます。・・・まず、理由のひとつめですが・・何がお客様にとって一番ええことなのかとか、そういうことはわからない・・・いつも、単にお客様のご要望に答えるしか能のないのがエージェントです。しかしそれならせめて、それだけは納得いくまで徹底したい。」

「そう。」

「それから二つ目。・・・・葛城さんに無駄死にしてほしくありませんでした。それは葛城さんのためというより、うちの会社のために、だと思います。大森パトロール社のあの警護員が犠牲になったら、多分うちのエージェントの何人かは確実に転職を考えるんと違いますか?」

「そうかもしれないね。」

「そして三つめですが」

「それはさすがに言わなくていいよ、酒井。」

「・・・・」

 酒井は、そのまま続きを言うのをやめた。

「ありがとう、酒井。」

「・・・・」

「正直に答えてくれたね。そして見事に、私の今の課題を・・・・言い当ててくれた。嬉しいけど、きついよ。」

「すみません」

「ほんと、きついな。」

 窓の外には、夕闇が迫っていた。

 酒井はうつむき、唇で笑った。少し伸びた前髪が落ちてきたせいで、その目がどんな表情なのかは、見えなかった。



 山添が微笑しながら少し顔を傾け、言った。

「前向きだ。俺たちの後輩は。」

 そして高原を追い越しながらその頭を小突き、そのまま歩いて、座って猫を抱いている葛城の頭も軽く叩いた。

「・・・・崇・・・」

「猫が好きなのに猫アレルギー、なんていう、一見解決不可能な事態にも、打開策を建設的に探してる。お前たちの百万倍偉いんじゃないか?」

「・・・そうだね。」

 葛城が目を伏せ、笑った。

 高原もうつむいて、少し笑った。

 山添は高原のほうを振り向いた。

「・・・お前に言われたくない、とか言ってもいいけどさ、晶生。」

「・・・・そんなこと、言わないよ。」

「とりあえず、あきらめないことだね、怜も晶生も。」

「・・・・・ああ。」

「それでも、駄目かもしれないけどさ。」

「ああ。」

 茂が言いにくそうに口を開いた。

「あ、あの・・・」

「どうしました?茂さん」

「実は、猫を連れてくるアイデアは、・・・俺じゃなくて、三村が思いついたんです。」

「・・・・・」

 一瞬の沈黙の後、三人の先輩警護員たちは一斉に笑った。

「あははははは」

「え、えっと・・・」

 葛城が猫を逃がさないように抱きかかえながら、笑いすぎで滲んできた涙をぬぐった。

「英一さんって、そういう人だったんですね」

「あ、いえ、まあ・・・・」

「茂さん、英一さんに伝えてください」

「はい」

「・・・惚れ直しました、って。」

「・・・・・・・」

 窓の外の夜空に、月は見えない。

 月は太陽を真後ろに背負い、太陽と共に沈んだままだった。

 しかし月は確かに存在し、そして再び光を帯びるときを、いつと知ることもなく、待っていた。

やや群像劇のようになってしまいました。

次回、できれば、少し人物を絞って焦点をあてたいと思います。

これからもよろしくお願いします。

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