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六 迷路

「だから、そんなに落ち込むな、河合」

「・・・・・・」

「悩みを人に打ち明けるとラクになるっていうけど、お前は打ち明けた後よけいに落ち込むんだな。」

「・・・・・・・」

 夕暮れ時の、会社近くのコーヒー店で、廃人のようにぼんやりと向かいの席に座っている茂を、英一があきれた顔で見つめる。 

「残念だが、月ヶ瀬さんの言うことは、非常に正しい。」

「・・・・・うん・・・」

「そして、葛城さんは、非常に怒っている。」

「・・・・・・・・・」

「関係とか信頼とかは、こわれるときって一瞬なんだよな。でも修復したいなら、また一歩一歩地道に頑張るしかないよ。」

「うん」

「劇的な方法も、特効薬も、ないんだから」

「うん」

「毎日の仕事をしっかりやって、警護員として認められろ。何年かかってもしょうがないんだからあきらめて取り組め。」

「・・・・そうだね。」

 やがて、茂がふんわりとした目になったので、英一はやや戸惑った。

「?」

「ありがとう、三村。」

「・・・・・」

「お前は性格は悪いけど、ほんとに賢いよな」

「・・・・そうでもないけど」

「ありがとう。がんばるよ。・・・敵に軽々にアプローチするような馬鹿なことは二度としない。そしてそのことを信頼してもらえるようになるまで、どれだけかかっても努力するよ。」

 茂から、英一が厳しい視線を外さないので茂はもう一度英一のほうを見た。

「三村?」

「ひとつ、確認を忘れたが」

「うん」

「全部残らず反省しているんだろうな」

「なにが?」

「お前がやったことだよ。葛城さんを絶望させ、月ヶ瀬さんに叱られた、その全部のことだよ」

「もちろん。」

「・・・・あいつらに、・・・・阪元探偵社の奴に頼んだ、馬鹿なことも?」

「・・・ああ、殺してくれって言ったこと?」

「そうだよ」

「それは反省してない」

「・・・・・・」

 茂はその透明度の高い琥珀色の目で、英一の端正な漆黒の目を見、大真面目に言った。

「だって、全然意味のないことなんだからさ」

「そういう問題なのか?」

「殺し屋に人を殺せって言うのは、本屋さんに本を売ってくれって言うのと同じくらいのことだもの。」

「・・・・・お前は、あいつらに殺されてもいいと、思っているのか?」

 ふたつ隣のテーブルで会話をしていた客たちが、ぎょっとした顔で英一と茂を見た。

「うん。だってプロのボディガードだもの。全然おかしくないよね。でもそのことを葛城さんに聞かれてしまったことは、本当にまずかったと思う。」

 英一は咳払いをして声をひそめる。

「・・・河合。」

「なに?」

「これから大森パトロール社で仕事か?」

「いや。でも事務所に寄るつもりだけど。」

「・・・行くぞ。」

「え?」

 英一は伝票の上に現金を置くとおもむろに立ち上がり、先に立って歩きだした。茂は気おされたようにその後を追った。

 店を出た二人は、しばらく黙って歩いた。先に行く英一を茂が追随する格好で、そしてついに茂が我慢しきれずに口を開く。

「三村」

「・・・・・」

「なんだよ、お前までなにを怒ってるんだよ」

「あのさ、河合」

「うん」

「いつかお前、山添さんに説教したんだよな。いや、山添さんだけじゃない。高原さんと、葛城さんにも。」

「・・・ああ・・山添さんが自傷して入院されたときか・・・」

「そうだ」

「確かに、そうだよ」

「お前、なんて言った?そのとき」

「クライアントを守るためだけに、命を使ってくださいって。それ以外には絶対使わないでくださいって、言った。」

「そうだよな。それじゃあ、お前はクライアントを守るために必要かどうかも分からない段階で、なぜ自分が殺されることが構わないと思うんだ?」

「クライアントを守るために必要なことだよ。」

「・・・・」

「先輩警護員たちが・・・いや、ほかの警護員も含めて、うちの警護員たちが無駄に危ないめに遭わないこと・・・。腕のいい警護員たちが安全にクライアントを守ること。そのために、阪元探偵社を遠ざけることは絶対必要なことなんだ。」

「お前のことを上司や先輩たちがどれだけ大事にして、心配しているかわかっていて言ってるのか?」

「・・・そうだよ。・・・それはわかるけど、でももっと大事なことがあると思うからさ」

「お前は今まで先輩たちのことを色々批判していたけど、その資格は全然ないな。」

「・・・・・」

 英一は少し前を歩きながら振り向かずに言う。

 茂は黙った。

「お前、今まで先輩達が無茶をするのを見て、つらい思いをしてきたはずだ。その同じ思いを、なぜわざわざ先輩にさせるようなことをする?」

「・・・・」

「河合」

「・・・・だってさ・・・」

「・・・・」

「だって、嫌なんだ。」

「・・・・・」

「もう、嫌だ。」

「河合・・・」

「いやだよ!」

 茂は立ち止り、地面を見つめ、英一が驚くような声で叫んだ。

 平日夜の雑踏でも、周囲の通行人たちが何人も振り返るような大声だった。

「・・河合・・・・」

 英一も立ち止り、茂のほうを見た。

「葛城さんは、初めて俺がサブ警護員としてペアを組んだ案件で、死にかけたんだよ。お前もよく知ってることだけどさ。」

「・・・ああ、そうだな・・・」

「呼吸も止まって・・・心臓も止まって。ほんとにだめかと思った。」

「・・・・」

「あんないい人が・・・・、犯人を助けて、死んでしまうとこだったんだよ。」

「・・・・」

「そして山添さんだけじゃない。高原さんも、自分を殺そうとされた。クライアントのために犠牲になろうとされた。普通ならそんなことありえない、超一流の警護員の高原さんが・・・あいつらのせいで・・・・。」

「・・・知ってるよ。」

「あの会社の殺し屋は、もうものすごい腕なんだ。高原さんも一度は負傷されたし、この間は殺されかかった。そして・・・・」

「今回の葛城さん、なんだな。・・・あいつらをひとりでもふたりでも逮捕しなければ、この先も同じようなことが続くから、なんとかその可能性をつくろうとして・・・・」

「酒井が助けなかったら、百パーセント葛城さんは亡くなっていたんだよ。バルコニーが崩れて、態勢を整える時間なんかなかったんだから。その覚悟で行動されたんだ。」

 雑踏で立ち止っている二人を、帰宅途中の大勢の人間たちが追いぬいていく。

「そうだな」

「この間、うちの会社のほかの警護員と話す機会があったんだ。山添さんに育てられた、若い優秀な警護員だよ。でも彼は、この先きっと今回の葛城さんと同じことをする。身を挺してあいつらに立ち向かって、そしてきっと・・・・」

「・・・・・だから、お前が死ぬのか・・・・?」

 茂は琥珀色の両目に街灯の光を反射させて、英一の顔を見上げた。

「お前を連れ去った浅香が、お前を睡眠薬で眠らせて俺たちに返したことがあった。」

「ああ。」

「あいつらは、殺人なんか本当はしたくないんだ。それは確かなんだ。」

「そうだな」

「そしてあいつらは、仲間をものすごく大切にしている。それは多分、俺たちと同じくらいに。そして・・・これは俺の勘だけどさ・・・・、あいつらは、何かに躓くのを待っているんじゃないかと思うんだ。」

「え・・・?」

「あいつらも、こんなことは本当はやめたいんじゃないかと思うんだよ。うちの会社の人間と命を削り合ってるって、すごく無駄で空しいことのはずだから。」

「・・・・・」

「殺したくない人間を殺してしまったとき、きっとあいつらは立ち止る。でも俺は、それが高原さんであってほしくないし、ほかのどの警護員でもあってほしくないんだよ。」

「お前なら良いっていうのか」

「そうだよ。」

「めちゃくちゃだな」

「わかってるよ。めちゃくちゃだよ。でももう俺は、限界なんだ。」

「そうか・・・・」

 英一は、ふっと表情を柔和なものにした。

 それは逆に茂を驚かせ、気持ちを少し我に返らせた。

「・・・・・」

「そうだな。仮にお前ひとりが死ぬことで、何かが変わるきっかけになって、そして・・・・・もしも、この先何人もの警護員さんたちの命が助かるんだとしたら、それは高原さんや葛城さんたちにとって、一番うれしいことと言えるのかもしれないな。」

「うん。」

「たとえお前を失う、そのときは、なにより苦しくつらいことと感じるとしても、だ。」

「うん。」

 哀しそうな色が、英一の端正な漆黒の両目に、はっきりと宿った。

「河合」

「なに?」

「相手にとって、何が一番良いことなのか。それは、難しいことだな。」

「・・・・・」

 風が渡り、街路樹のケヤキ並木の高い枝をざわめかせた。

 茂はまばたきもせず、親友の顔を見上げたままでいた。

「なにがお前にとって一番いいことなのか、も。」

「・・・・・」

「なにが葛城さんにとって一番なのか・・・も。」

「・・・・そうだね・・・・」

 英一は一瞬、その目を逸らした。

「いや、正確には」

「・・・・・」

「難しいんじゃなくて、・・・・・・わかりっこない、のかもね。」

「・・・・・・・」

 茂はうつむいた。

 一分間近くもそのままでいた。

 次の言葉を言ったのは、英一のほうだった。

「わからないとしても、考え続けるしかないな。」

「・・・・うん・・・・・」

「お前に、これまで、葛城さんがしてくれたことを考えてみろ。」

「・・・・うん」

「数え切れるか?」

「・・・数えきるなんて無理だ。・・・・葛城さんはいつも絶対に優しくて・・・どんな時も守ってくれて、そして俺が俺のせいで危ない目に遭ったときでも、いつも・・・・ご自分を責めて、詫びられた。」

「そうだよな」

「お前の警護で、お前がふざけた行動をして俺がルール違反して追っかけたとき、葛城さんは危険を冒してフォローしてくれた。」

「・・・・あのときは、すまなかった。」

「そしてご自分の悩みは俺には分けてはくださらなくて。・・・後輩が元気で幸せでいることが、先輩にとっての幸せなんだっておっしゃっていた。」

「そうか」

「・・・・高原さんも同じだよ・・・。・・・俺に、危ない目に遭ってほしくないって。それがどんなに俺にとって、不本意なことであったとしても。そうおっしゃっていた。」

「・・・なるほどな」

 茂はさらにうつむいた。

「先輩たちは、俺の気持ちなんか全然わかってくださらない・・・・」

「そうだな」

「俺は、ひとりだけ無事で元気でいても全然うれしくなんかないんだ」

「・・・そうだろうな」

「先輩達が、元気で幸せでいてくださったら、それだけでいいんだ」

「絶望的に利害が対立しているな。」

「・・・・・」

「あきらめろ、河合。問題の解決は無理だ。」

「・・・・・・」

「お前が死んだところで、解決するような簡単な問題じゃない。」

「・・・・・・」

「もちろん、死にたい奴を無理に止める気はないし、そんなことは不可能なことだけど。」

「・・・・・・」

「とりあえず、事務所へ行くか。俺も久々に高原さんにお会いしたいし。」

「・・・・・・」

「今日はお二人ともいらっしゃるんじゃないか?お前が行こうとしていたということは。」

「うん・・・」

 十分後、茂と英一とが駅の反対側の雑居ビル二階に入っている大森パトロール社の事務室に顔を出したとき、カウンターの向こうの事務室の自席から、高原が目だけでこちらに挨拶した。耳に携帯電話を当てている。

 葛城の姿はなかった。

 高原は黙ったまましばらく携帯電話を発信しているようだったが、やがてあきらめたように電話を切り、立ちあがった。

 こちらへ歩いてくる高原の表情が僅かに緊張していることに気づき、英一が声をかけた。

「こんばんは、高原さん。・・・・なにか、ありましたか?」

 眼鏡の奥の、普段は知性に愛嬌が不思議に同居している両目に、ほぼ知性だけが残っているような状態で、高原は来客に一礼した。

「三村さん、こんばんは。河合がいつもお世話になってます。・・・・すみません、怜が・・・・葛城が今日こちらに来れないときは電話が来るはずが、まだだったので、電話してたんですが・・・・・。おい、河合、お前今日なにか怜と電話とかしてないよな?」

「はい、特には・・・・・」

「おかしいな」

 英一が尋ねた。

「携帯に電話されたんですね?」

「はい。」

「コールしないんですか」

「・・・そうです。」

「それは・・・・おかしいですね・・・・」

「はい。」

 茂は背中から血の気が引いていくのを感じた。

 警護員は二十四時間三百六十五日、業務用携帯電話を身につけている。それは、予め断った場合を除いて、電源が切られたり圏外になったりすることは許されていない。コールしてすぐに出ないことは許容されているが、できるだけ速やかにかけ直さなければならない。

「三村さん、せっかくお越しいただいたのにすみません、これから・・・・」

「葛城さんの自宅へ行かれるんですね?よろしければ、ご一緒します。」

「・・・・・」

「河合が同行するはずですし、万一のことを考えれば人手は多い方がいいでしょう。」

「しかし・・・」

「急ぎましょう。なにかあったとしたら大変です。」

「・・・・はい。」

 三人を乗せた事務所の車が静かに葛城の自宅前に停車したとき、夕食時を過ぎた閑静な住宅街にふさわしく辺りは静まり返っていた。

 土塀に囲まれた古い一軒家である葛城の家は、外から見る限りどの部屋も明かりはついていない。

 インターフォンにも応答はない。車は車庫に入っていた。

 高原は玄関の引き戸前に跪き、簡単な道具を使って数分で鍵を外から解錠した。

「すごいですね」

「高原さんは鍵の権威なんだよ。この世に存在する鍵は、全部開けられるんだから。」

 玄関から家に入ると、ふわりと何かの香りがした。湿った空気と、石鹸の香りだった。

「お風呂っぽい匂いがしますね」

「怜のやつ、風呂場で倒れてるんじゃないだろうな・・・・・」

 間取りを熟知している茂が案内し、明かりを点けながら高原と英一を案内する。浴室は使った形跡があったが無人だった。

 二手に分かれて一階の部屋を全てチェックし、三人は二階へ上がる。

 二階は一階よりかなり面積は狭く、二間続きの和室と六畳間、そして唯一の洋室がある。

 洋室のドアが半分開いており、先に入った高原が小さく声をあげた。

「怜・・・・」

 後から部屋の明かりを点けて入った茂の目に、洋間の寝室奥のベッドで苦しそうな表情で目を閉じている葛城の姿が飛び込んできた。

「葛城さん!」

 高原が近づき、葛城の肩をつかんで揺すると、葛城は目を開けて高原のほうを見た。

「・・・晶生・・?」

「怜、どうした、大丈夫か?」

「・・・寝てた・・・・」

「それは見れば分かるけどさ、すごく熱いぞ」

「少し熱が・・・あるみたいで・・・・・」

「少しじゃないな。河合、契約病院に電話してくれ。連れていく。往診が可能かも一応聞いてくれ。」

「はい!」

 茂は廊下に出て携帯電話をかけた。

 英一は階下からガラスのコップに水を入れて持ってきた。高原が葛城の上体を助け起こし、飲ませる。

「ありがとう・・・・」

「すぐに連絡しなきゃだめだろ。携帯も電源が切れてるし。」

「あ・・・」

 葛城が目をやった先の床の上に、業務用携帯と、充電器とが転がっていた。

 高原も同じほうを見て、ため息をついた。

「充電しようとしたところで、力尽きたのか。」

「ベッドの上から手を伸ばして、うまくいかなかったんだ・・・。そしてそのまま寝てしまったみたい。」

「風呂に入ってて気分が悪くなったんだな?」

「その前から少し熱っぽかったから」

「しょうがない奴だな」

 後ろから英一が声をかける。

「葛城さん、体温計はどこですか?」

 葛城が場所を説明し、英一から手渡された体温計で熱を測る。

「げっ」

 高原が数字を見て声をあげる。

 英一は今度は冷凍庫から大きめの保冷剤を見つけ出し、タオルにくるんで頭にあてたり、別のタオルを濡らして額にあてたりしてやる。

「お前、けっこう使えるよな、こういうときも」

「お前とは違うからな、河合。」

「すみません、英一さんまで・・・・巻きこんでしまって・・・・・」

「いいんですよ。生きておられてよかった。」

「・・・・・」

「高原さん、契約病院から折り返し連絡がありました。一時間くらい待っていただけたら往診できるそうですが、どうしますか?」

「一時間なら待つよ。連れていくより負担が少なそうだ。そう伝えてくれ。」

「はい。」

 英一が部屋のドアのほうまで後退し、そしてふと高原の方を見た。

 目が合った高原が、微かに頷いて、そして廊下へ出ていく。

「おい、河合。」

「はい」

「三村さんと、近くまでちょっと買い出しに行ってくるから」

「はい」

「お前は怜についてやっていてくれ」

「了解しました」

 さっさと英一と高原が出て行ってしまうと、茂は廊下から寝室へ入り、葛城に声をかけた。

「葛城さん、もう少しお水飲まれますか?他にも、なにかできることがありましたら・・・。」

 葛城は枕の上で顔を傾け、茂のほうを見た。

 顔は真っ赤で、目はかなりぼんやりとしていて、さらに熱が上がっているようだ。体を動かすのも難しそうである。

「・・・ありがとうございます。大丈夫です・・・。あ、そこの椅子、使ってください。」

「はい」

 茂がライティングビューローの前の椅子を引っ張りベッドの横に置いて座ると、葛城はもう一度茂の顔を見た。

「お願いがあるんですが、波多野部長に・・・連絡してもらえますか?」

「はい」

「明日事務所で、次の警護案件についてお話を伺う予定でしたが、行けなさそうなのでと。・・・そして茂さん、明日の夜、私の代わりに波多野さんからその件について聞いておいてもらうことはできますか・・・?」

「はい、大丈夫です。」

 茂は手持ちの携帯電話ですぐに連絡を入れた。電話の途中で茂が葛城に尋ねる。

「葛城さん、波多野さんは了解だそうですが、今週末の段階で葛城さんの体調が戻らないようだったら、山添さんにメイン警護員は代理を頼むとのことです。その場合、山添さんが今準備している来月の案件に、代わりに入ってもらうことになるそうですが、出張警護になるそうです。一週間の泊まりだそうですが。」

「了解です。」

 波多野との電話を終えた茂に、葛城は礼を言った。

「タオル取り替えますね」

 茂は階下から氷水を入れた洗面器を持ってきて、葛城の額の上で温かくなっていた濡れタオルを冷やし、絞って葛城の額へ当てる。

「すみません。」

「いえ・・・。あ、あの、葛城さん」

「はい」

「明日、波多野さんに案件の資料を頂いたら、すぐお届けしたいと思いますが、ファックスがいいですか?メールのほうがいいですか?」

「じゃあ、メールでお願いします。」

「了解しました。」

「茂さん」

「・・・はい」

「・・・・同じ資料を、共有フォルダに新しいフォルダをつくって保存もしておいてください。フォルダ名はいつもどおりで。」

「はい、担当者別のところと、日付別のところに同じものを入れておきます。」

「よろしくお願いします。・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・茂さん」

「はい」

「水、もらってもいいですか?やっぱり」

「はい。」

 茂は再び台所へと降りていった。


 車で走りながら、運転席の高原は、助手席の英一が何も言わないので少し居心地悪そうにしていた。

 やがてちらりと英一の横顔を盗み見た高原は、英一がひとり微笑していることを知り、咳払いした。

「三村さん」

「はい」

「ちょっと露骨でしたかね」

「大丈夫ですよ。葛城さんと何か話ができているといいですね。あいつは・・・河合は、割と反省してるみたいですし。」

「・・・・全部ご存じなんですよね、三村さん」

「だいたい河合から聞きました。」

「お恥ずかしいです・・・・。」

「ああいう後輩を持つと先輩はご自分自身のお仕事だけではなく、命がいくつあっても足りませんね。」

「ははは・・・・。でも問題なのは河合というよりは、我々のほうなんです。」

「・・・・ご心労、お察しします」

「怜もしょうがない奴です」

「わかりやすいですよね」

「てきめんに体に来ましたね。寝込むなんて久々です。」

「高原さんは、大丈夫ですか?少しお痩せになった気がしますが。」

「三村さんだから言いますが、体重が一週間で五キロ減りました」

「それはかなり・・・」

 高原は運転しながら声に出して苦笑をした。

「それもこれも、自業自得です。自分のしてきたことが、結局自分に跳ね返る。」

「・・・・・」

「事態を謙虚に受け止めて、地道に出直しです。」

「・・・・そうなんですね」

「河合が、苦しむことが、少しでも減るように・・・・自分が死ななければならないなんて思わないで済むように・・・・」

「・・・・・」

「そんなことができるのかどうか、分からないですが、考えて、自分がどうすべきか考えて、やってみます。」

「はい」

「三村さん

「・・・・はい」

「あなたは、河合にとって誰より重要な人です」

「・・・・・」

「どうか、あいつをよろしくお願いします。私にこんなことを言う資格がないことは承知ではありますが。」

「・・・・・」

 英一はなにか言おうとしたが、思いとどまったように沈黙した。

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