彼女との邂逅
この一週間この町に滞在してきたが、ここには奴らの気配は無かった。長居する理由も見当たらないし、そろそろ出るか…と思いつつベッドから上体を起こし、カーテンを開ける。窓越しに雨が降りそうな、どんよりとした空が目の前に広がった。
「はあ、なんか嫌な天気だな」
そんなことを呟きながら、ベッドから降り、着替えをさっと済ませ、朝飯を食べに一階の食堂に向かう。食堂に入った所で、女将さんに
「あら、おはようございます、アレンさん」
と笑顔で声を掛けられた。俺も
「おはようございます」
と笑顔で返す。
「今日はどうなされますか?」
と問われ、言わなければならないことを思い出す。
「あ、そういえば俺、今日で宿出ます。行くところがあるので。」
「そうですか…寂しくなりますね…あ、朝食はどうされますか?」
「いただきます」
「ではお掛けしてお待ちください、アレンさんの旅路の幸福を祈って、腕によりをかけてつくりますね」
「そんな大袈裟なことでは…ですが、ありがとうございます」
「いえいえ、少々お待ちください」
女将さんが厨房の方へ歩いて行くのを見届けてから、椅子に腰掛ける。することも無いし、思考に耽ろう―と思ったがやめた。考え事をすると、いつの間にかやたらと長い時間がたっていることが多々ある。考えを途中で止めるのも面倒だし、朝飯ができるまで大人しく待っておこう…と思った途端に「お待たせしましたー」と女将さんの明るい声が届く。待った覚えがないので、待ってませんよ、と言おうとして危うく飲み込んだ。なかなか慣れないが、お待たせしました、とは決まり文句なのだった。かわりに、
「ありがとうございます。…すごい量ですね」
と返すことに成功する。
「ええ、しっかり食べて、しっかり力つけて行ってくださいね」
といいつつ女将さんは俺の目の前に豪勢な料理がのったお盆を置いた。そうして「ごゆっくりどうぞ」と言い残し、また厨房の方へと去っていく。彼女の姿が見えなくなると、「いただきます」と小声で呟いて、料理を食べ始める。料理の美味さといい、女将さんの人のよさといい、この宿はとてもいいところだった。出ていくのは何処か惜しいが、俺は別に宿巡りのために旅をしているわけではないのだ。そんな事を思いながら、僅かな名残惜しさを、ほんのり香ばしいお茶と共に飲み下した。
「一週間、お世話になりました」
「またこの町に来る機会があれば、寄っていってくださいね」
「ええ、是非」
「それでは、お気をつけて」
「はい、ではまた」
女将さんと宿に別れを告げ、次の町への道を歩き出す。さっきは、是非、と言ったものの、この地を踏むことは恐らくもうないだろう。俺ができることは、ただ、この町が戦火に巻き込まれないことを祈ることぐらいか―いや、そうでもないらしい。町を出たすぐ近くにある草陰に違和感を感じる。
―これは…存在隠蔽魔法か。魔力探知を行わないでも見つかるとは、相当レベルの低い魔法使いだな。
と、心の内で呟いてから、荷物を置き、魔法破壊を行使しようと、その方向へ手をかざし詠唱を開始する。
「大いなる力よ、我が前に潜む妖しげなる術の内を暴け!」
その呪文を唱えると同時に、俺の手の前に、光る円が描かれ、その中に幾何学的な図形が刻まれる。その陣が完成すると、眩い光が発せられ目の前に存在していた違和感のベールを引き剥がす。
そこに見えたのは同じ服に身を包んだ四人の男。その服は、群青色の中でひときわ目立つ血のように紅い×印を背中に刻む特徴的な制服。見間違いようもない、奴ら…リタリエ帝国軍の制服だ。
―四人か…少ないな。ということは偵察隊か…もしそうならば、後方にそこそこの人数を率いた隊が控えているだろう。さてと、とっととこいつらを倒して後ろの軍隊に出てきてもらおうか。
さっと思考を回らせると、先頭に立っていたリーダーと思しき男が
「小僧、我の隠蔽魔法を破るとは中々やるな」
と、声をかけてきた。それに対し
「あんなもん隠蔽魔法と呼べるかすら分からないな。違和感が滲み出てたし、探知魔法を使うまでもなかったよ」
と挑発する。
「貴様…調子に乗るなよ。…お前たち、やれ」
「「「はっ!」」」
見事にのってくれた。早く終わらせるのに越したことないのでありがたい。自分から仕掛けるのも趣味ではないし。
「全ての源たる水よ…」
「燃え盛りし炎よ…」
「吹き荒れし風よ…」
と三人が詠唱を開始すると、俺も右手を地面に向け防御魔法の詠唱に入る。
「大いなる大地よ、今その身を盾と化し、我に降り注ぐ災難を自らの力とせよ!リソービング・シールド!」
三人の攻撃魔法が飛んでくる直前に、地面に描かれた陣が完成し、恐ろしく巨大な一枚の岩石が俺の前に築かれる。その巨大かつ分厚い岩は三人の魔法を受けてもびくともしなかった。この魔法の利点は、短い詠唱でかなりの強度を誇ることと、受けた魔法の魔力を吸収し、
「破壊」
と呟くと、岩が砕け、破片がその魔力を利用して、敵のほうへと飛んでいくことだ。また、この威力は吸収した魔力に比例するので、敵のだいたいの力量を把握することもできる。さてどれ位の威力かな、と破片の行く末を見つめると―案の定ではあったがものすごーく勢いがなかった。ぎりぎり奴らに届くぐらいだったので、思わず
「弱っ!」
と叫んでしまった。自重自重。しかし、その速さでも男四人は慌てふためき、これまたぎりぎり巨大な岩の破片を避けた。 ―もういいか、実力は分かったし。これ以上決着を引き延ばす必要もない。 と思い、とどめの一撃を放とうとした時、男の一人が驚愕の声を漏らす。
「名前付きだと…ま、まさか貴様、古代魔法を使ったというのか…⁈」
―ふーん、弱っちくても知識はあるのか。まあ、答えてやる義理は無いが。
それの返事とばかりに俺は再び詠唱を開始する。
「燃え盛りし炎よ、我が眼前の邪なる存在を跡形残らず焼き払え!バースト・フレイム!」
唱えると同時に、四人の下に巨大な陣が描かれる。それが完成すると、陣の中心部から高密度かつ巨大な炎が噴き上がり、周囲の空気を焦がす。普通、魔法の威力や範囲は、個人の才能や素質を除けば、呪文の長さ、複雑さによって決定する。しかし、古代魔法は過去の偉人たちが生み出した、呪文の長さ、複雑さに対する威力、範囲が常識を逸する魔法なのだ。だからこそ、今まで幾人もの人間が習得に挑戦してきた。が、誰一人として成功した者はいない。唯一人(多分)、俺という人間を除いては。 古代魔法の素晴らしさに浸っていると、ようやく炎が完全に消え、焦げた制服を身につけた四人の男たち一人一人の身体から小さい光が抜け出し、弾け、消えた。―戦闘終了だ。
「な、なぜ俺は死んでいないんだ⁈」
四人のリーダー(予想)が当然の疑問を口にする。 仕方ない、この手の質問には答えるようにしているし、説明してやるか。
「驚いたか?死んだと思っただろう」
「貴様…何をした」
「これ見れば分かるか?」
と言って自らの右腕の袖を捲る。そこには、複雑な図形が痛々しく身に刻まれていた。
「な…まさか、魔法制限陣だと…!」
やはり、こいつは魔法能力は下の下だが、かなりの知識は持ち合わせているらしい。しかし、これはただのリミッターではないのだ。
「この陣、ちょっと特殊なんだよ。ほとんどの魔法で人を殺せないところまでは普通なんだが、ここから先がかわってるんだ。俺は魔法で人を殺せない、が、その代わり相手を死にいたらしめる魔法攻撃は相手の魔力の根源を完全に破壊する。そういうリミッターなんだ」
「な…」
「だから、あんたらはもう一生魔法を使えない。たとえ帝国の魔法変換技術を使ったとしても、だ」
ショックのせいなのか、それとも体力の限界がきたのかは分からないが、男は気を失った。
―さて、後は待つだけか。やることも無いし、罠でもはってやろうか。でも、面倒だなー。無くても多分倒せるし。って、これが自惚れってやつか、自重じ…
「今使ってたのって、古代魔法だよねっ?そうだよねっ!」
無駄な思考の途中で、背後から、興奮していることがありありと分かる声が聞こえてきた。
―しまった、実にしまった。考えに耽ってしまったせいで、敵の隠蔽魔法に気づかなかったとは…!くそっ、なーにが自重自重だ!アホか!くだらん事考えてないで周囲を警戒しとけ!もともと隠れてたんなら罠もなんもあるか!
と過去の自分を罵りつつ、身体を声のあった方へと回転しながら後方へと跳ぶ。幸いにも攻撃は飛んできていないようだ。ようやく頭が戦闘モードに切り替わったところで声の主を確認しようと顔を上げる。しかし、俺の目が捉えたのは、あの制服を身につけた帝国軍の連中ではなく―長い黒髪の、美麗な少女だった。恐らく、今、俺の顔は『ポカーンとした顔というのは、こういう顔の事をいうんですよ』並みのポカーンとした顔をしていることだろう。完全に拍子抜けを食らってしまった。絶対に奴らだと思い込んで、がっつり戦闘態勢に入ってしまったが、今考えると、あんなに興奮した声で奴らが世界側の人間に話し掛ける訳もないのだ。しかし、ではなぜ隠蔽魔法を使って隠れていたのか…
「あ、ごめんなさい!驚かせるつもりはなかったんですけど、 つい興奮しちゃって。古代魔法を使っている人を見たの、初めてだったので!」
と未だ興奮冷めやらぬ雰囲気の声が、またも俺の思考を遮った。まあいい、本人に聞けば分かることだ。
「君は何者だ?隠蔽魔法を使って隠れていたようだけど」
と、さっきの疑問をそのまま口にする。真実が返ってくるかは分からないが、大体のことは態度で見当がつくので問題ないだろう。
「ああ、あの誤解されているかもしれませんが、私はただ、この道を通ろうとしたら戦闘が行われててびっくりしちゃって、思わず隠蔽魔法を使っちゃっただけであって、決して背後からあなたを襲おうとか、そういうのじゃないんです。あっ、リタリエ帝国の人間でもないですから!」
…全くよく喋る人だ。というか俺が聞いたのは、何者なのか、ということではなかっただろうか。まあでも、この少女は少なくとも奴ら側ではないことは今ので分かった。さて、そろそろ奴らが来るし、とっととお引き取り願おうか…
「あ、そうだ、一番聞かなきゃいけないこと忘れてた!あの、あなたが使ってた魔法って、古代魔法ですよね?どうやって使えるようになったんですか?できれば…いや、絶対教えて頂きたいんですけどっ!!」
ああ、思い出した。この少女は俺の古代魔法について知りたくて接触してきたのだった。というか絶対ってなんだ。かなり図々しくないか?初対面のはずなのだが…。いやそんなことより考えるべきは、もうそろそろ来るであろう帝国軍のことだ。この少女の戦闘能力がどれ位かは分からないが、とにかく、ここから離れさせなければ…
「あの、今時間ありますかね?あれば町の方のどこかでお話をうかが…」
「ちっ、もう来やがったか。考えていたより随分早いな」
と今度は俺が少女の言葉を遮る。
―まずい、悠長に話を聞いている場合ではなかったか。今から逃がしても、恐らく間に合わない。となれば…
「あの、何が来るんですか?話が全然分からないんですけど…」
「君、存在隠蔽魔法使えたよね、早くそれを使って隠れて」
「へ?なんでですか?っていうかまだ話はおわってな…」
「いいから!これが終わったら話すから!とにかく隠れて!」
あ、しまった。つい勢いで言ってしまった。
「ほんとですね⁈絶対ですよ⁈」
と俺の心中の後悔も知らず、少女は呪文の詠唱を始める。
「大いなる魔力よ、今その力によって我が存在を世界より隔離せよ!」
ほう、そこそこ高位なものとは思っていたが、まさか"隔離"級だとは思わなかった。隔離級は、かなり高位な魔法探知でしか反応せず、高位な魔法破壊でしか壊せない強力な隠蔽魔法だ。習得するにはある程度の才能と、かなりの努力を要する。少女の能力の高さに感心しつつ、奴らが現れるであろう方向を見つめる。
―少なくとも十人以上はいるだろう、油断はできない。それに、この少女の存在を気づかせてはならないという余計な仕事も増えたし。はあ、今日は良い日なのか厄日なのかわからんな。おっと、もう来るか。さて一体何人かな。
「君かね、私の大切な部下を倒したのは」
という妙に威厳のある声と共に帝国軍が木々の間から姿を現す。
―ざっと三十人ってところか。予想を随分と上回ったな…くそっ、こんなにいるなら本当に罠なりなんなりはっておくべきだったか…。
「…もう一度聞こう。私の部下を殺したのは君かね?」
先程の声に少々苛立ちを加えて、右腕に腕章をつけた男が俺に尋ねる。恐らくこいつがリーダーだろう。
「殺してはいない、ただ魔力を壊しただけだ」
「魔力を壊す…。はて、どういう事かな少年?」
「そう焦ることもないだろう。もうすぐ分かる」
「ふん、面白い。では早急に君を倒して、吐いてもらうとするかな。―皆の者、彼を殺すなよ」
「なめられたものだな。そんなまどろっこしい事をする必要もない。ただ、あんたらがその身で味わえばいいだけの話だろう?」
「はっはっは!随分と強気だな少年。三十五人相手に一人で…いや、二人か」
―馬鹿な。探知魔法を使わずに、隔離級の隠蔽魔法を見破っただと⁈…いや、違う。もとから探知魔法を使っていて、今まで維持してきたということか…どちらにせよまずい、かなりまずい。彼女を戦闘に巻き込むわけには……仕方ない。姿が露見してしまえば標的になるのは必然だ。ならば、俺の趣味に合わないが、先手必勝、というやつだ。先に、仕掛ける!
「大いなる魔力よ…」
案の定、奴は魔法破壊を行使するため詠唱を開始した。魔法破壊の呪文は短い。できれば先の戦闘のように防御魔法を使いたいところだが、間に合わない可能性が高過ぎるため却下。そのため、呪文が短く、かつ奴らの行動を一時的に―防御魔法を行使できる程度の時間―止め得る魔法の呪文の詠唱を開始する。
「吹き荒れし風よ…」
―狙うは奴らの少し手前の地面。ちと卑怯だが、どんな手を使ってでも彼女を殺させる訳にはいかない…誰であろうと、俺の目の前でもう二度と殺させる訳には…!
「我に仇なす眼前の妖しき術を壊し、真の景色を…」 「渦を巻きて、全てを飲み込め!サイクロン!」
奴より早く陣を完成させることに成功。狙い通り、軍隊の目の前に砂塵嵐が巻き起こる。
「くっ…!」
視界を奪われ、奴の魔法破壊は失敗した。これで少し、時間のよゆ…
「なにこれ⁈どういう状況なの⁈三十五人とか聞いたことないんだけど!」
今俺の前に見えているのは先程の少女に凄く、もの凄く似ている、いや、瓜二つと表現するべき別の少女だろうか……………そんな訳ないよな!
「お前何勝手に隠蔽魔法解除してんだよ⁈今やっと隙を作れたところなんだぞ⁈俺の努力はなんだったんだよ!ああ、こんなくだらない話をしてる内にせっかくの時間があああ!」
「あ、あの大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃねええええ!主にお前のせいだああああ!はっ、いいから早く隠蔽魔法使って!俺も詠唱に入るから!」
「え、あ、はい。分かりました」
彼女はえらく混乱している様子だったが、俺の気迫に気圧されてか、すぐに詠唱を開始した。
「大いなる魔力よ…」
呪文の最初の部分を聞くと、俺も地に手をかざし、詠唱に入る。
「大いなる大地よ、今その身を盾と化し、我に降り注ぐ災厄を自らの力とせよ!リソービング・シールド!」
その呪文を唱え終わると同時に、目の前の地面が巨大な壁へと姿を変えた。これで最低限の防御はできるようになり一応は安心する。そういえば奴らはまだ俺が生み出した砂嵐に手こずっているようだ。あの砂嵐の厄介なところは視界が遮られること以外にも、口に砂が入り、呪文の詠唱が難しくなることもある。
―さて、時間はまだありそうだし、もうちょっと守りを固めますか。
と思い、再び詠唱に入る。
「大いなる大地よ、今その身を鍛えらた鋼より固き壁へ変え、我に向かい来るあらゆる災いを受け止めよ!イモータリィ・ウォール!」
詠唱を終えると、俺の周りに円を描くように、けたたましい音をたてながら、分厚く、巨大な壁が出来上がった。このイモータリィ・ウォールは、魔力を吸収するのに特化したリソービング・シールドと違い、ただただ攻撃を防ぐ為だけに存在する壁である。また、呪文が長い分、範囲が広いため、背後の抜け道か、風魔法か何かで飛んでくるか、あるいは大地魔法か何かで地面を掘る以外侵入方法はない。さらに、防御のみに特化されており恐ろしく強固であるため、そうそう破壊されることもない(今まで破壊されたためしがない)。さらに、二つの盾と壁の配置に工夫を施してある。リソービング・シールドは前方向しか守ることが出来ないが、面積はかなり大きい。また、イモータリィ・ウォールはほぼ全方向を守れる円状になっている。これを利用して、リソービング・シールドの後ろに隠れるようにイモータリィ・ウォールを築き、前からは完全に見えない状況を作り出したのだ。まあ、横に回られたら勿論ばれる訳だが…あまり問題ではない。なぜなら、攻撃魔法使いは定位置から動かずに戦闘を行うことを好むからだ。攻撃魔法に限ったことではないが、魔法を移動しながら行使するのは極めて難度の高い業であり、並大抵の魔法使いが行えるものでは到底無い。それを可能とするのは桁外れの精神力と集中力を併せ持った者のみ。移動しながら魔法を使えないとなると、自分が移動している時間は、相手に詠唱の隙を与えることに他ならない。だから、大多数の攻撃魔法使いは、余程のことがない限り戦闘が始まったときから場所を動かない。即ち、イモータリィ・ウォールの存在がばれる可能性は低い…はずだか、今回ばかりは少々不安要素が存在する。それは、妙に貫禄のあるあの隊長だ。奴は、恐らく探知魔法を―いつからかは分からないが―発動した状態で維持していた。奴に横に回られれば作戦はその時点で頓挫してしまう…が、それで負けてしまう訳でもないし、どうすることもできない。後は野となれ山となれ、だ。
「おのれえええ!小僧めえええ!許さん、許さんぞおおお!―お前たち、先程の命令を撤回するっ!全力で殺しにかかれぇ!」
盾と壁ごしでも、しっかりと聞こえる大音量の怒声が俺の耳に届く。ようやく砂嵐から脱したようだ。台詞と声質から、すぐにあの隊長だと分かったが、少し驚いた。奴は冷静沈着なタイプだと思っていたのだか、予想が外れた。しかし、今回の予想は外れた方が都合がいい。魔法の威力や精度などは魔法使いの感情に密接に関係している。例えば『怒』の感情は魔法の威力を上げるが、精度を大幅に下げる。また、精神力と集中力を欠くことにもなる。奴があんなにも激怒している状態で、移動しながら魔法を行使できる確率はほぼ無いに等しい。というか、まずその思考に至らないかもしれない。どちらにせよ…
ドドドッ!
と鈍い音が響き、奴らの反撃が開始したことを告げる。作戦通り、リソービング・シールドに攻撃が集中しているようだ。
ドドドッ!ドドドドドッ!
流石三十五人、攻撃回数は半端ではない。
ドッ!!ドドッ!!
音が大きくなってきた。そろそろか。
「破壊!」
万を時してその言葉を発する。敵の魔力を、壊れるギリギリのところまで溜めたので、かなりのスピードがでるはずだ。これが俺の作戦、奴らをまとめて倒すことのできる、この戦いにおける切り札。
「上手く行ってくれよ。これが成功しないと面倒なんだし」
と言いながら、巨大な盾の破片の行く末を見るため、壁の上に飛び乗る。その破片達は俺の予想以上のスピードで奴らの方へと向かっていく。それに反応し、奴らの内何人かが咄嗟に防御魔法を展開した。対した反応速度だが、それすらも作戦の内、というより、それこそが作戦なのだ。あの破片はとても大きい、しかも今回は威力も絶大だ。当たり前だが、防御が間に合わなければ全員そろって潰される。しかし、それは期待していない。というかそれだと困る。俺の放った攻撃を俺が止める羽目になってしまう。俺が本当に期待していたのは…
ギャイン!
防御魔法と破片が激突し、金属音と似たような音が響く。ぶつかっているのは、俺が放った岩の破片と、奴らが展開した大地、氷、炎などの様々な盾だが、それら全ては魔力によって作られた物であり、実質上は魔力と魔力の衝突と同じことのため、特殊な音が発生するのだ。ぶつかり合う二つの魔力は、どちらも譲らず硬直状態を保っている。しかし、この状況は俺に絶対の利をもたらしている。奴らは今、自らが作り上げた防御魔法と、巨大な岩の破片によって完全に視界を封じられているのだから。しかも、少しでも気を緩めれば、保たれていた攻撃と防御の均衡が攻撃の方へと傾くというおまけ付きだ。
―さあ、終焉だ。一撃で仕留める!
「燃え盛りし炎よ、今こそ地の底より噴き出で、我が眼前の景色を紅く染めあげろ!」
通常の詠唱を終了し、古代魔法特有の魔法の"名前"を口にしようとしたとき、ふいに隊長の男が顔を上げた。その顔は、怒りの赤から、みるみるうちに絶望の青へと変わっていく。だが、今更気付いたところでもう遅い。言うなれば、リソービング・シールドを攻撃した時点で勝敗は決していたのだ。そして俺は、無慈悲にとどめの言葉を口にする。
「ヘリッシュ・オブ・ブレイズ!」
詠唱を終えると、奴らの真下からまるでマグマの様な超高熱の炎の柱が立ち、彼らと景色を赤く染めていく。あれから逃げることのできる者などいないだろうが、俺はその光景を見つめていた。彼らの魔法使いとしての最期を見届けるために。 やがて炎は消え、倒れた彼らの姿が見えた。そして、彼らの一人一人の身体から、魔法使いにとっての命の光が浮かび上がり、空気に溶けた。―戦闘終了。
「凄い…」
いつの間にか隣にいたあの少女が小さく呟く。
「本当に、本当に強いんですね。あなたは」
その言葉に、俺は何も返すことは出来なかった。確かに魔法能力だけでいえば強いかもしれない。だが、俺が使う魔法は全て他人が編み出した物であり、俺の魔法ではない。結局、自分の魔法を使えないという点では、他のどんな魔法使いよりもずっと弱いのかもしれない。まあ、どれだけ考えても人の『強さ』なんてそうそう分かるものでもないだろう。主観や客観で色々と変わってくるし…
「あ!忘れるところでした!古代魔法のこと、詳しく教えて頂けるんですよね?ね?」
―ちくしょう、覚えていやがったか。忘れておけばいいものを…どうにかして興味をなくして貰わなければ。面倒だし。
「君が思ってるような面白い話でもないよ。正直時間の無駄だと思うけど」
という、興味を失せさせるための適当な発言に対し、
「それでも構いません。わたしには、わたしには力が必要なんです。どんな些細なことでもいいですから。お願いします」
と、少女は真剣に答え、俺の目を見つめる。その眼差しには凄まじい覚悟の色が見えた。一体何が、この少女にこれほどの覚悟を背負わせているというのだろう。何故これほどまでに力を欲すのか、何故そこまでの覚悟を持っているのか、疑問点は残る。だが、真剣な眼差しに晒されてなのか、それとも他の理由かは分からないが、俺の思考から教えないという選択肢は消えていた。
「分かった。知っていることは全て話そう。それは君の求めるものかどうかは分からないけどね」
そういうと、少女は目を輝かせた。そして何かを言おうとしたが、それは
「うわああああああああぁぁぁぁぁぁ!」
という甲高い悲鳴とも絶叫ともつかない声に遮られた。
「何だ⁈」 「何⁈」
混乱しつつ振り向くと、そこには帝国軍の制服を着た一人の女性が立っていた。あの声は彼女のものであるということは疑いようがないだろう。迂闊だった。倒れている奴らを隠蔽魔法で隠すのを忘れていた。なぜ、まだ仲間がいると考えなかったのか。倒れている仲間を見て、取り乱さない者などそういないだろう。あの状態なら、死んでいると思われてもおかしくない。などと考えている内に、その女性は隊長の所へとおぼつかない足取りで近づいていく。そして目的地に着くと膝から崩れ落ち、
「ジュニファー!ジュニファー!」
と泣き叫ぶ。そういうのに疎い俺でも分かる。あの女性と隊長は恋仲だったのだろうということぐらいは。
「目を覚まして!お願い!お願いだから…ジュニファー!」
と叫びながら女性は隊長の身体を揺する。彼を倒した技は高威力であったためか、一向に目を覚ます気配はない。
「ジュニファー…ジュニファー…ジュニファー…」
段々と声が萎んでゆく。その光景を見て、俺も少女も動くことができなかった。やがて、女性は黙り込み、項垂れた。その直後、女性から禍々しいオーラのようなものが発せられ…た気がした。いや、違う。あれは不可視のオーラなどではない。しっかりと目に視えている。あれは…確かどこかで見たことがあったはず…。…思い出した。思い出して、しまった。
―まさか、まさか…違う、ありえない。嘘だ、嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ、ありえないありえないありえないありえないありえない。もう考えるな。もう何も考えるな。
その命令を無視し、脳は高速で回転する。そして、もう分かっていたはずの、一つの答えを導き出し、俺に突きつける。あれは…闇魔法だ。それも、最悪の状態の。闇魔法は全攻撃魔法の中で最も強大だ。だが、それ故に大きなデメリットが存在する。それは、魔法使いの精神状態が不安定になったとき身体の主導権を魔力に奪われるというものだ。精神の不安定さにもよるが、その魔力は敵味方関係なく目に映るもの全てを殺そうとする。それに加え、闇魔法は普通の状態の魔法使いが行使してもかなりの威力を持っているというのに、その魔力そのものが放つ攻撃の威力が絶大であろうことは想像に難くない。今思えば、なぜあの女性が悲しみにくれているときに攻撃を加えなかったのだろう。いくらその光景が悲哀に満ち溢れていたものであろうと敵は敵だというのに。…今は過去を悔やんでいる場合ではない。何が何でもこの少女は生きて帰さなければ。そう思い、少女に逃げろと伝えようとしたときには、もうすでに手遅れだった。
「――――――」
音も無く女性が立ち上がり、俺たちのいる方向に体を向ける。そして、俺たちを視界に捉えた。ぞわりと体全体に悪寒が走る。あれはもう人ではない、あれは「闇」そのものだ。見られているだけなのに、動作を封じる魔法にかけられたかのような錯覚に陥る。動けない、声も出せない、逃げろと伝えたいのに口は動こうとしない。
―死ぬのか…?こんなところで…?ああ、そうか、これは罰なんだ。人を殺め、のうのうと生きてきた俺への。仕方が無いのかもしれない、これは定められた運命なのだろう。しかし皮肉なものだ、俺が彼らを殺した魔法で、俺も殺されるとは…いや、それすらも運命なのかもしれないな。彼らが味わった痛みを受けて罪を償う、それが俺に与えられた運命なのか…………しっかりしろっっっ!何を弱気になっている、何を逃げようとしている!俺は、あのとき、どんな罪だろうと真っ向から背負うとそう決めたんじゃなかったのか!運命など関係ない、俺はこんなところで死ぬわけにはいかない、この少女を死なせるわけにはいかない!
少しの逡巡を経て、ようやく動くようになった口で
「早く逃げろ!思いっきり走ればまだ間に合うかもしれない!」
と、隣にいる少女へ言う。しかし、少女はぴくりとも動かない。あの女性の目から放たれる強烈な圧力にやられているようだ。
「おい、しっかりしろ!」
やはり動く気配はない。動けない人を守りながら戦うのは少々きついが仕方ない。そう思ったとき、半開きだった女性の目がかっと見開かれた。
「―――――」
音も無く、女性を中心とした巨大な陣が地面に描かれる。反応もできないうちに、陣が眩い光を放つ。そして、一瞬の間に陣と同じ大きさの結界が姿を現した。
―一瞬でこの大きさの結界を作っただと⁈普通の魔法使いなら作ることさえままならない規模だぞ⁈…いや、それ以前に、何か大事なことを忘れている気が…そうだ、今、彼女は口を開いていたか?信じたくはない、しかし、それは既にその答えは俺の目が見ている。…彼女の口は一切動いていなかった。
だが、よく考えれば当たり前のことなのかもしれない。魔法の呪文詠唱というのは、自らの内に在る魔力に攻撃方法を伝えるために存在する。しかし、彼女の場合、あの身体を支配しているのは魔力そのものなのだから、詠唱など必要なはずがない。理由は何にせよ、勝率が絶望的に低くなったことに変わりはない。しかも、この結界のせいで、硬直が解けたら、少女をどうにかして逃がそう、と考えていたのにそれすらも不可能に近くなってしまった。一度箱にしまった恐怖と焦りが、蓋をあけて再び込み上げてくる。が、もう一度、今度は鍵をかけて箱に押し込む。もう迷っている暇などない、今はただ前の敵に集中する。そのとき、女性の目が見開かれたのが見えた。咄嗟に辺りを確認すると、俺と少女の乗っている壁の下に陣が描かれていることに気付く。
「やばっ!」
動けない少女の手を引いて、陣の外へ脱出する。その直後、陣が輝き、一瞬にして強固かつ分厚いイモータリィ・ウォールが跡形も無く消えた。代わりに、その場所にはクレーターのような深く巨大な穴が穿たれていた。
「嘘だろ…」
詠唱もせず、体も動かさず、ただ目を少しばかり開くだけでここまでの威力があるなど、もはや反則だ。それに彼女(闇)は、このあたり一帯を覆う程の馬鹿でかい結界を維持しながら戦っている。一体どれだけの魔力があればこんな芸当ができるのか見当もつかない。とにかく、今は逃げと守りに徹して、あるかわからない反撃の隙を狙うしかない。が、未だ動くことのできない少女をかばいながらの戦闘はかなり厳しい。早く硬直が解ければ良いのだが…復活の兆しはまだ見えそうにない。今更だが、少女も俺もただ圧力にやられたのではなく、なんらかの魔法の作用で一時的に動きを封じられたようだ。単なる圧力で長時間動けなくなるはずがない。などと考えていると、また女性の目が見開かれ、今度は俺たちの真下に陣が描かれる。瞬時に少女の手を引き、安全な場所へと跳ぶ。またもその直後、俺と少女が立っていた場所が闇の槍のようなもので埋め尽くされる。その一つ一つが禍々しい瘴気を纏っていた。あんなのに刺されれば何かに乗っ取られそうだ、と思ってしまうほどにそれらは邪悪で怖ろしく……ぞわり。背筋を悪寒がなでる。慌てて足下を見ると、陣が、もう既に、完成していた。
―まずい、間に合わない。このままでは少女まで…
咄嗟に、少女の手をできる限りの速さで引き、陣の外へ出すことに成功する。その後、俺は体をよじらせ、どうにか陣の外に出ようとしたが、少し、時間が足りなかった。
「っ!」
魔法が発動し、地面から無数の刃のようなものが現れ、その内の一本が俺の左腕を深く抉る。
「うぐっ!」
その箇所から大量の血が吹き出る。その鮮やかな紅色は、否応なく、あの日の記憶を呼び起こさせた。
――紅く彩られた地面に、ついさっきまで人だった"もの"が転がっている。咄嗟に見た俺の手には闇魔法で作られた………
「いやああぁぁぁぁ!血がっ、血がっ!だ、だだっ、大丈夫⁈」
望まない追憶を遮ったのは、ようやく硬直を脱した少女の声だった。魔法の効果がきれたのはいいが、とても狼狽しているようだ。血が苦手だったか。
「これって、わたしのせいだよね、絶対、そうだよね…また、わたし、わたしっ…!」
まずい、このままでは硬直状態よりも厄介だ。そう思い
「落ち着け!この怪我は君のせいなんかじゃない、俺の不注意が招いたものだ!第一、今はそんなこといってる場合じゃない!」
と、少女に言う。ここで取り乱されては本当にまずい、この、闇魔法がいつ放たれるかわからない状況では…と、ここまで考えてふと気付く。この数十秒間、攻撃が止んでいることに。俺たちが会話をしている間だけ待ってくれている、なんてサービス精神を魔力が持っているなんてあり得ないだろうし、一体どうしたのかと女性の方を向くと、彼女は膝から崩れ落ち、何かに苦しむように体をねじっていた。
―一体何が……そうか、、普通に考えれば分かることだ。あれだけ強大な魔力を全身に宿して、身体が無事なわけがない。恐らく、身体の限界がきたのだろう、魔法を使う様子もないし。なら、今しかこの場全員の命を救うことはできない。あの女性の身体が、完全につぶれる前に…!
瞬時に状況を理解し、手を女性の方へ向けて、早急に詠唱を開始する。
「眩き光よ、今、我が眼前にありし邪なる存在を包み込み、浄化せよ!ホーリー・エンブレイス!」
呪文を詠唱し終えると同時に、俺の手の前に描かれた陣より、光の渦が巻き起こり、呪文の通り女性を包み込む。そして、彼女から闇の魔力が引き剥がされ、消滅した。―終わったのだ…。今回も、ぎりぎりではあったが誰も死なせることなく終わらせることができた。
「終わったのはいいけど、傷!早く治しに行きましょう!血が凄いし!」
おっと、傷のことも少女のことも忘れていた。少女の言うとおり、切り裂かれた場所からは、未だそこそこの勢いで血が流れていた。確かにこのままではまずいかもしれないと感じ、後ろに放り投げていた鞄の所へ歩み寄り、中から包帯を取り出した。
「えっ、包帯なんか常備してるんですか⁈」
そんなに驚くことだろうか。普通だと思っていたのだが。
「いつ怪我するかわからないし、一応」
「そんなにたくさん帝国軍と戦っているんですか?」
「まあ…頻度はそこそこ高めだな。怪我することは滅多にないけど」
「そうなんですか…そうだ、立ち話もなんですし、一旦町の方へ戻りましょ!怪我も、さすがにそのままっていう訳にもいかないでしょうし」
そうだった、古代魔法の話をしなければいけないんだった…まあ仕方ない。一度言ったことだし、分かっていることは教えておこう。
「そうだな、戻ろうか」
「ええ、行きましょう!」
と少女が町へ歩き出す。その後ろ姿を見ながら、倒れている帝国軍の者たちに向かって
「大いなる魔力よ、今その力により、彼らの存在をこの世より断絶せよ!」
と、小声で唱える。そうすると、今まで目の前に倒れていた人々は、完全に、存在を認識できなくなった。
「おーい!なにしてるんですかー?早く行きますよー!」
と遠くから少女の呼ぶ声が聞こえる。怪しまれると厄介だし、そろそろ行くか。
「悪いー!すぐ行くー!」
と言って少女の方へと走る。全くもって、今日は面倒な日だな、と思いながら…