マジックミュージック5
魔法使いが来たのは、数日前。
それでも、ほとんど宅配の人にしか話していなかった音子にとって、誰かと話すのは久しぶりだった。
楽しかった。素直にそう思った。
でも、あっという間だった。
魔法使いが魔法を使った。引きこもりの音子は、外の様子はわからない。だが、ネットの中ではそれなりに騒がれているようだった。
これは嘘なのか。違うのか。主にその2つだっだが、携帯が普及してる今、撮影者はかなりいたのだ。違うアングルから、たくさんの画像と動画。
騒ぎは次第に広がっていく。
「バレた」
魔法使いは開口一番、そう言った。
「おかえりさない」
音子はそう返した。
そして、
「はじめて魔法らしきものを見ました。……動画で、ですが」
***
魔法使いを座らせ事情を聞くと、大方音子の予想通りだった。
車に引かれそうになった子どもがいた。それを助けようと魔法を使った。男の子は助かったが、緊急事態だったために姿を隠すことを忘れていた。
「騒がれないようにすぐ逃げたんだけどな……」
「逃げないでその場にいれば良かったのです。そこで手品のひとつでも見せていれば、まだなんとかなったのですが」
子どもを助けた直後から、魔法使いの周りには人が集まりだしたらしい。
みな興奮しており口々に『ヒーローだ』『ヒーローだ』とはやしたてる。
「あまりにも『ヒーロー』『ヒーロー』言うもんだから、俺我慢できなくってさ、怒鳴ってまったんだよな」
「なんと?」
「『俺はヒーローじゃない、魔法使いだ!!』
って」
「致命傷ですね。潔く死んでください」
***
「ちなみにですが、魔法使いさんが魔法使いとバレるとどうなるのですか?
カエルになったりなにか愉快な動物になったりするのですか?
もしなるなら犬が良いです。猫は嫌です。ただ寝ているだけで癒されるなんて都市伝説は信じません。寝るのは私だけで十分です」
「バレても動物にならんし、お前が犬好きだということもどうでもいい」
「犬好きではありません。犬並みな猫なら、猫も好きになります」
「知らんがな。
とにかく、魔法使いだとバレると、もうここには居られなくなるな。……すぐにでも、出て行かなくちゃいけなくなる」
魔法使いはゆっくりと部屋を見渡す。
微かな笑みは、哀愁を漂わせていた。“冗談だ”そう魔法使いが言うのを待つが、魔法使いは言わない。
***
「魔法使いってさ、人の役に立つために魔法を使うんだ。
でも、それを見られちゃいけない。見せちゃいけない。……だから、音子の前で魔法を使えなかった」
この家に来てから、魔法使いが魔法を使ったのは数回あった。でも、音子はそれを見たこと無い。
「俺が言うのはなんだけどさ。魔法は万能過ぎる。便利過ぎるんだよ。だから制約が付く。俺の場合は“人の心を操ってはならない”“人に魔法を見られてはいけない”。大きいのはこの2つで、あとは使用制限とかがいくつか。
制約は人によって違うからな。前に話したろ? 俺が劇場で金を稼いだって。あれは別の魔法使いに頼んだんだ。組んでたって言えばいいのかな。人前でも魔法が使える魔法使いと一緒に二人でやってた」
「人気があった手品師だったのでしょう?」
「ああ。そうだな」
おや? と音子は思った。
“魔法使いだよ”とツッコミがない。魔法使いが、認めたのだ。
「魔法使いさん」
「ん?」
ツッコミが無いですよ。そう言おうと思ったが、言葉が詰まって出てこなかった。
吐き出したいのに、今口を開けば余計な感情まで一緒に撒き散らしてしまいそうで。必死に全てを飲み込んだ。
***
「……大丈夫ですよ。どうせ」
俯いたまま、音子が言った。魔法使いの顔は見えていなかったが、「ん?」と声がしたので大体の予想がついた。
「どうせ、すぐに収まります。魔法なんて非現実で、ほとんどの人は予想してないものです。今は騒がれていてもどうせ……」
ちらりとパソコンを見る。ネットで踊る文字は、魔法使いも見ていた。
「どうせすぐに収まります」
人の興味は長く続かない。どんな人気タレントも人気番組も必ずブームは過ぎるものなのだ。現実でこうなのだから、魔法なんてものはすぐ下火になる。
「かもな」
ああ、と音子は分かった。
「……それでも駄目なのですか?」
魔法使いの『かもな』は希望を含んでいた。希望は、駄目なのだ。
叶わない。ほとんどの場合、希望は無駄に終わる。
――――魔法でもなければ。
「あの、魔法使いさん」
「ん?」
「私の魔法のストック、ありますよね?」
気分が高まっていくのが自分で分かった。
頬が赤らむ。肩の辺りが熱くなる。言葉も自然に熱を帯びる。
「ストックを使って、魔法を使ってください。あの出来事をなかったことにしてください。あれを……事故を見た人の記憶を消してください。魔法使いさんならできます。そうすれば――」
「音子」
温かかった。
今までにないほど、その言葉は温かかった。
今まで自分の名前に好意的でなかったが、好きに思ってしまうぐらいに。
「無駄だよ。
俺はいなくなるよ。俺に関する、全ての記憶と共に」
***
――ルールなんだ。魔法を見せちゃいけない。もし魔法があると知られたら、全員が頼ってしまう。
――魔法を見せられるのは本当に困っている人だけだ。その人にだけなら、俺は魔法を使える。
――事故のときは、子どもに対して魔法を使った。それだけならなんの問題もなかった。でもそこには、本当に困っていなかった人もたくさんいた。その人に魔法の存在を知られたことが駄目なんだ。
――確かに、音子の言うように記憶に関する魔法は使えるけど、俺の魔法は完全じゃない。いつ消した記憶が蘇るか、わからない。
――だからな、もし魔法の存在がバレそうになったら、俺より上の組織が関わった人の記憶を消すことになってるんだ。
――完璧に、完全に、ほかの記憶で補うなんてことはしない。空白にするんだ。空白になればなにも出て来ない。
「それは、私も同じなんですか?」
――…………
「私はあなたと数日過ごしました。この記憶は、どうなるのですか」
――消える
***
「そんなのって、ないですよ」
顔は笑っているのに、言葉は涙が含む。
「勝手に来て、魔法使いだとか言って、数日居候して、それで時間と記憶を奪って消えるなんて、わがままですよ。身勝手ですよ。最低ですよ」
魔法使いの顔が歪んでいく。言葉で歪んでいるのではなかった。
魔法使いの双眸は、しっかりと音子を向いていた。
胸の上下を押さえ込んでいる顔は、見れたものではないだろうに。
「ストックだっていくつあると思ってるんですか?
それも使わずに消えるんですか?
せめて私の記憶は残して、魔法のストックは回数券として手元に残しておくのが礼儀なのではないのですか」
「……すまん」
「謝るぐらいなら実行してください」
魔法使いの襟首を掴んでまくしたてて……そんなことを考えていたのだが、手も声も出なかった。
声は嗚咽に消され、手は涙を隠すのに使ってしまった。
「私は、また訪問販売が来るまで待たなきゃいけないのですか?」
「訪問販売じゃねえよ」
***
「……魔法、使うか?」
魔法使いの質問に、音子は視線で意味を問う。声はひくつく声帯のせいで出なかった。
「ここに来た意味、俺はまだ果たしちゃいないだろ? だから」
聴いた音楽によって性格が変わる。
性格だけじゃない。人生さえも、音楽に左右されてきた。
「どうする?」
魔法使いは立ち上がり、泣きじゃくる音子の頭に右手を乗せる。
「まだ時間があるからと思って先延ばしにしてたが、もう猶予はない。性格を変えることは少し心配だが、どうする? 決めるのは音子だ」
音子が顔を上げても手首が邪魔して魔法使いは直接見えなかった。微かに見えた口元は、緩んでいる。
「魔法使い……あの……」
「ん?」
「変えないでください」
それを聞いて、魔法使いは右手を下ろした。
笑顔は、さらに大きなものになっていた。
「わかった」
***
それから、いろんな話しをした。
魔法使いは今まで助けた人のことを話してくれた。音子は今まであった、今となっては笑えるような話しをゆっくりとした。
何回も話題は変わり、興味は移り、時間を忘れて話したが、魔法使いは最後まで訊いてこなかった。
『なんで性格を変えなかった』
音子も、訊かれないで答えるつもりはない。それに、もし聞かれても適当にはぐらかすつもりでいた。
お茶を飲んで、お菓子をかじり、本当に何時間も話していた。
そして『そのとき』は急に訪れた。
***
「そろそろだ」
魔法使いは唐突に立ち上がった。
「そろそろだ」
もう一度繰り返す。
「本当に魔法はいいのか?」
音子は少し悩んで、
「では、一つ」
微笑みながら、人差し指を立てた。
「魔法使いさんの魔法で、私の記憶を消してもらえませんか?」
「俺の魔法で?」
「ええ。魔法のストックを全て使い果たすまで、何回も何回もかけてください。魔法使いさんの言う組織が、魔法を使わなくてもすむように」
魔法使いはなにかに気付いたように大きく頷いた。何回も首を振る。
「そんなに忘れたいか、俺のことを」
魔法使いは右手を音子の額に当てた。
「はい。忘れたいです。忘れ去りたいです」
「だが、俺の魔法は万能だが完全じゃないからな。もしかしたら、思い出しちまうかもしれないぞ」
「だから、言っているんです。何回もかけてください」
魔法使いの手首で顔は見えない。ということは、こちらの顔も見えていないはずだ。
どんな顔で別れたらいいかなんて、音子はわからない。
「じゃあ、行くぞ」
「はい」
世界が光に包まれた。
***
敷かれた布団以外のスペースは、全て音楽機器で占領されていた。
布団の上に座っている少女はヘッドホンをしていない。音楽は全て空気に垂れ流しになっている。五月蠅くない、けれど音符以外入り込む余地の無い部屋で、少女は笑顔で首を振る。
やがて曲が終わり、次の曲へ移る。その数秒の沈黙に、スピーカーから流れてくるものとは別の音がした。
ぴーんぽーん
チャイム。すなわち来客である。
少女は首を傾げ、玄関扉を開ける。このとき鏡を見なかったことは、最大の失敗だった。
玄関の向こうにいたのは、
「こんにちは〜!! 宅配便です」
よく見る宅配便のお兄さん。
「あ、はい」
扉を開けてから、今自分がパジャマだということに気付いた。髪はどうなっているのだろう。顔が赤くなっていく。
音子は、ハンコを押すと会話もなしに扉を閉めた。
「……はて?」
今、胸がチクリとしたような?
小包を持ったまま音楽溢れる部屋に行くとなにかを思い出しそうになった。
「……おや?」
小包になにか書いてある。
鉛筆で書いたのか、字はほとんど潰れていた。でも、なんとか読める。
『性格変わってなかったら、また会えるかもな!』
「そうですね」
呟いて、なにを言っているのかわからなくなった。
音子は首を傾げる。不思議な感覚だが、嫌ではなかった。
音子は音楽のボリュームを少し下げる。
久しぶりに外に出てみようかと、少しだけ考えていた。