FILE1【メッセージはたった3通】#9
「……た、助かった――って降ろしてくださいよ」
時雨が修司をお姫様抱っこのまま廊下を歩いている。
「……」
時雨は完全無視。
「ちょ、聞いてますか、オジサ……っ――」
言いかけてやっと気が付いた。
「お……お姐さまなんですか?」
「分からないのか……?」
肩の辺りにやわらかい感触があった。そして、下を見ると意外に地面が近かった。
「貴女のような可憐な小さな女性にお姫様抱っこをさせるとは、男としての一生の不覚ぅううう!!! おっろっせぇええ!!!」
時雨の腕の中で暴れまくる。
そして、ちょうど階段の中四階の踊り場にさしかかったとき。
「……降ろす。本当にいいのだな?」
言われて冷静になって下を見るが、そこは何故か地面が遠かった。
ピントを他の場所に合わすと階段から四階半下へ降ろされることになると気付く。
「……――いやだぁああああっ!!!」
明日也のアパートでも絶対に人が出てくる声で叫ぶ。
「おぉ。奈津子さんや〜、お久しぶりやあ〜〜」
俺にはそんな人なんて知らなかった。
三浦さんは黒田に抱き疲れそうになって、恐ろしい速さで半歩左に身体を寄せた。
すると黒田はきっと抱きとめてくれると思ったため、前につんのめって転びそうになったが必死に足掻いてやっと立て直した体勢は無様なまでに小学生の体育すわりだった。
「母ちゃん……懐かしいよ、小学生の頃を思い出したよ」
「醜いからやめろ……」
俺が呆れていっても。
「そう、あなたのママの代わりにはならないけど私が叱っちゃ〜う――こらっ、そんなところにすわっ……」
俺は喜ぶ顔一つしない黒田と逆に黒田を弄んでいるように見える三浦さんをとうとう見捨ててしまった。
と、すると。
「……一生の不覚ぅううう!!! おっろっせぇええ!!!」
と修司の悲鳴、あるいは絶叫が聞こえた。
「聞こえた?」
成り行き上、三浦さんまでに俺はため口を使ってしまっていた。
「え? ああ、悲鳴ね。行くの?」
三浦さんは馴れ馴れしく俺に顔を寄せて訊く。
「こんな近くで事件は困りますから」
「俺も行くで……」
元気がないように黒田はとぼとぼと歩いていった。
「まっ、まてよ」
俺は黒田の横に着くまで早足で、それから黒田と二人で声の聞こえた方向へと走った。
「こらこらぁ、廊下は走っちゃいけませんよぉ」
三浦さんの声を無視して走り去る。
――じゃあ、どこ走ったらいいんだよ。
そして、階段の前に俺と黒田は来た。三浦さんはしなやかな早足でこちらに向かっているらしかった。
「……――いやだぁああああっ!!!」
と、二度目の絶叫。
それはまるで鼓膜が破れるのではないかと思うほどの声量だった。実際それは心臓の弱い人なら死んでいたかもしれない。いや、俺は絶対そう思う!
だが、階段の下を覗くと修司が降ろされる――落とされるところだった。
「だめぇぇえええ!!!」
修司が叫ぶ。
「止めて下さいっっ!!」
「だめやぁあっ!!」
「時雨ちゃんっ……」
俺と黒田と三浦さんの声が重なった。
そしてその瞬間に時雨さんが修司から手を離し、俺と黒田は半ば階段をずり落ちるように駆け下りていった。それから修司の足を引っ張り上げて、その勢いでまた二人で半階下へずるずると落ちていった。
修司のほうは目の前にいた三浦さんに頭をぺこぺこ下げていた。
「ああ、幸運の女神様! 助けてくださって有難うございます。一生、一生感謝いたしますっっ」
あいつは何か勘違いをしているんだ。
俺はそんなやり取りをよそに肩をさすりながらさりげなくその場を通り過ぎて行った。