友人
翌日の放課後。
大学近くのカフェは、学生たちで賑わっていた。
栗色の髪を揺らしながら、一人の女性が近づいてくる。白浜茜。写真で見たよりも、少し痩せているように見えた。
「真季……」
茜は、テーブルの前で立ち止まった。その表情には、複雑な感情が浮かんでいる。驚き、戸惑い、そして――罪悪感?
「久しぶりですわね、茜さん」
クラウディアは、穏やかに微笑んだ。
「座ってください。何か飲みますか」
「あ、うん……アイスラテで」
茜は、おずおずと向かいの席に座った。
注文を済ませ、しばしの沈黙。
茜が、落ち着かない様子で視線を泳がせている。
「……真季、変わったね」
「そうですか」
「うん。なんていうか、雰囲気が全然違う。前は、もっと……」
「もっと?」
「……おどおどしてた、っていうか。今の真季は、すごく堂々としてる」
クラウディアは、コーヒーを一口飲んだ。
「人は、変わりますから」
「……そうだよね」
また、沈黙。
茜が、テーブルの上で指を組んだり解いたりしている。明らかに緊張している。
「それで、話したいことって何ですの」
クラウディアが切り出すと、茜の肩がびくりと震えた。
「あ、うん……その……」
深呼吸をする茜。そして――
「ごめんなさい」
頭を下げた。
「……あの時、助けられなくて。本当に、ごめんなさい」
その声は、震えていた。
「私、怖かったの。真季が炎上した時、私まで巻き込まれるんじゃないかって。だから、距離を置いた。でも、それがどれだけ真季を傷つけたか……ずっと、後悔してた」
顔を上げた茜の目には、涙が滲んでいた。
「許してもらおうとは思ってない。でも、謝りたかった。ずっと」
クラウディアは、茜の顔をじっと見つめた。
「……茜さん」
「うん」
「私は、あなたを恨んでいませんわ」
茜の目が、大きく見開かれた。
「え……」
「あの状況で、自分を守ろうとしたのは、責められることではありません。誰だって、自分の身が可愛い。それは当然のことですわ」
「真季……」
「ただ――」
クラウディアの目が、わずかに真剣になった。
「一つ、聞きたいことがありますの」
「何?」
「あの炎上について、あなたは何か知っていますか」
茜は、少し考え込むような表情になった。
「知ってる、って……どういうこと」
「炎上を仕組んだ人物について、心当たりはありますか」
茜は、視線を逸らした。
「……私には、わからない」
「本当に?」
「うん。だって、私も驚いたもの。急に真季の悪評が広まって……」
茜の声は、やや早口になっていた。
「でも、あの噂って、全部嘘だったんでしょ? 真季が男の人を騙してたなんて、私は最初から信じてなかったよ」
――信じてなかったのに、距離を置いたのですか。
クラウディアは、その矛盾に気づいたが、今は追及しなかった。
「そうですか。では、奥沢祐一という人について、何か知っていますか」
茜の表情が、わずかに曇った。
「奥沢……先輩?」
「ええ。真季に告白して、振られた人ですわね」
「あ、うん……知ってる。同じサークルだったから」
「彼が、炎上に関与していると思いますか」
茜は、しばらく黙っていた。そして。
「……わからない。でも、可能性はあると思う」
「なぜ」
「だって、奥沢先輩、真季に振られてからおかしくなったもの。サークルでも浮いてたし、真季の悪口を言ってるのを聞いたこともある」
「悪口?」
「うん。『あいつは俺を馬鹿にした』とか、『いい子ぶってるだけだ』とか……サークルの飲み会の時に聞いたの」
茜の声が、徐々に熱を帯びてきた。
「私、あの時から奥沢先輩のこと苦手だったの。なんか、執着がすごくて気持ち悪かった。真季が炎上した時も、『やったのあいつじゃない?』って思ったくらい」
「でも、確証はない」
「うん。でも、調べたら何か出てくるかもしれないよ。あの人、絶対何かやってる」
クラウディアは、茜の言葉を注意深く聞いていた。
『お嬢様、茜様は奥沢祐一を強く疑っているようです』
セバスチャンの分析。
『感情的な発言が多いですが、サークル内での様子を知る証人としては貴重な情報源かもしれません』
――そうですわね。
クラウディアは、茜の証言を整理していた。
奥沢祐一への疑いは、さらに深まった。しかし、まだ決定的な証拠ではない。
「茜さん」
「うん」
「協力してもらえますか」
「協力?」
「真相を明らかにしたいのです。私を陥れた人物を突き止め、名誉を回復したい。そのために、情報が必要ですわ」
茜は、真剣な表情で頷いた。
「……いいよ。私にできることがあるなら。あの時助けられなかったから、せめて今は力になりたい」
「ありがとうございます」
クラウディアは、微笑んだ。
茜の申し出は、本心からのものに見える。しかし――
――本当に、それだけでしょうか。
心のどこかで、小さな疑念が残っていた。
「では、何かわかったら連絡してください。私も、調査を進めますから」
「うん、わかった。……ねえ、真季」
「何ですか」
「本当に、変わったね」
茜の声に、不思議な響きがあった。
「前の真季なら、私を許してくれなかったと思う。もっと、傷ついた顔で責めてきたんじゃないかな」
「……人は、変わりますから」
「そうだね。……じゃあ、また連絡するね」
茜は、ぎこちない笑顔を浮かべて立ち上がった。
会計を済ませ、店を出ていく。
その後ろ姿を、クラウディアはじっと見つめていた。
~~~
「セバスチャン、分析を」
『はい、お嬢様。茜様の証言から、いくつかの情報が得られました』
「言いなさい」
『奥沢祐一の異常な言動、サークル内での孤立、真季様への執着。これらは、茜様の証言によって裏付けられました。奥沢祐一が犯人である可能性は、さらに高まったと言えます』
「そうですわね」
『ただし、茜様の証言は感情的な部分も多く、客観的な証拠とは言えません。他の情報源での裏取りが必要です』
「わかりましたわ。サークルの他のメンバーにも話を聞くべきかしら」
『それが賢明かと思います』
クラウディアは、窓の外を見た。
「それにしても……茜さんは、本当に罪悪感から協力を申し出たのでしょうか」
『お嬢様は、疑っておられますか』
「いいえ、疑っているというより……」
クラウディアは、言葉を選んだ。
「何か、引っかかるものがあるのですわ。でも、それが何なのか、まだはっきりしない」
『直感は、時に論理を超えることがあります。お嬢様の違和感は、重要な手がかりかもしれません』
「そうですわね。今は、彼女の協力を受け入れつつ、慎重に進めましょう」
『賢明なご判断です、お嬢様』
クラウディアは、スマートフォンを手に取った。
次のステップは、奥沢祐一への直接的なアプローチ。
しかしその前に、もう少し情報を集める必要がある。
「セバスチャン、サークルのメンバーリストを洗い出して。炎上当時、誰がどのような行動をとったか、詳しく調べますわ」
『承知いたしました、お嬢様』
悪役令嬢は、静かに微笑んだ。
真相は、必ず明らかにする。
そのために――まだ、油断はできない。
~~~
その夜、スマートフォンに通知が入った。
甲斐田ゼミのグループチャット。
『明日のグループミーティング、十五時にカフェ「ブレンド」で。よろしくお願いします。――吉橋』
クラウディアは、画面を見つめたまま固まった。
「……明日」
『お嬢様、吉橋類様とのミーティングですね』
「わかっていますわ」
『心拍数が上昇しています』
「うるさいですわね」
クラウディアは、スマートフォンを裏返しにした。
――吉橋類。
あれから数日、できるだけ考えないようにしていた。しかし、考えないようにすればするほど、意識してしまう。
あの琥珀色の瞳。穏やかな声。優しい笑顔。
全てが、ルディを思い出させる。
「……困りましたわね」
『何がでしょうか』
「明日、まともに会話できる自信がありませんわ」
『お嬢様、いくつかアドバイスがあります』
「言いなさい」
『まず、深呼吸を心がけてください。緊張すると呼吸が浅くなり、判断力が低下します』
「当たり前のことを言わないでくださいまし」
『次に、吉橋類様を「ルディ様」と重ねないようにしてください。別人です』
「それができれば苦労しませんわ」
『最後に――』
「何ですの」
『吉橋類様も、人間です。お嬢様が緊張しているように、相手も何か感じているかもしれません』
クラウディアは、首を傾げた。
「どういうことですの」
『前回のゼミで、吉橋類様はお嬢様をじっと見ていました。何か気になることがあるようでした』
「……私を?」
『はい。お嬢様だけが一方的に意識しているわけではない、ということです』
クラウディアは、不思議な気持ちになった。
類も、自分を気にしている?
それは、どういう意味で?
「……考えすぎですわ」
『そうかもしれません。しかし、可能性としては――』
「もういいですわ。明日は、グループプロジェクトに集中します。私情は挟みません」
『賢明なご判断です』
「当然ですわ」
クラウディアは、ベッドに横たわった。
天井を見上げながら、明日のことを考える。
白浜茜の動向。奥沢祐一の調査。そして、吉橋類とのミーティング。
――忙しくなりそうですわね。
目を閉じると、なぜか類の笑顔が浮かんだ。
クラウディアは、慌てて目を開けた。
「……寝ますわ。おやすみなさい、セバスチャン」
『おやすみなさいませ、お嬢様。良い夢を』
「良い夢……」
できれば、類の夢は見たくない。
見たら、明日のミーティングで顔を合わせられない。
――でも、本当は……。
その思考を振り払い、クラウディアは目を閉じた。
夜は、静かに更けていった。
~~~
翌日、カフェ「ブレンド」。
「お疲れ様。じゃあ、ミーティング始めようか」
類が、にこやかに言った。
グループメンバー四人――類、クラウディア、山田、鈴木――がテーブルを囲んでいる。
「まず、テーマの確認から。『地域経済活性化のための政策提言』。甲斐田先生からは、具体的な地域を選んでケーススタディするように言われてるね」
類が、ホワイトボード代わりのタブレットに要点を書き込んでいく。
クラウディアは、努めて冷静に彼を見つめていた。
――大丈夫。普通に話せていますわ。
『お嬢様、心拍数は平常の1.3倍です。許容範囲内です』
セバスチャンの報告に、少しだけ安心する。
「大田原さんは、どこか興味のある地域ある?」
類が、クラウディアに話を振った。
「私は……そうですわね」
考える。この世界の地理は、まだ完全には把握していない。
「セバスチャン」と小声で呟く。
『お嬢様のお住まいの地域周辺で、経済的に課題を抱える地域をお勧めします。調査しやすいです』
なるほど。
「この大学の周辺地域はいかがでしょうか。商店街の衰退など、身近な課題がありそうですわ」
「いいね。身近な題材だと、フィールドワークもしやすいし」
類が、賛同してくれた。
――良かった。的外れなことを言わなくて。
議論は進んでいく。
山田と鈴木も意見を出し、プロジェクトの方向性が固まっていく。
クラウディアは、前世の知識を活かしながら議論に参加した。ホーエンシュタウフェン帝国でも、地方経済の活性化は重要な政策課題だった。細部は異なるが、本質は似ている。
「大田原さん、すごいね。政策の視点がしっかりしてる」
類が、感心したように言った。
「お褒めいただき、光栄ですわ」
「ってか、その話し方、ほんと独特だよね。どこで身についたの?」
「それは……」
答えに窮するクラウディア。
――「前世で公爵令嬢でした」とは言えませんわね。
「昔から、こういう話し方なのですわ。直そうと思っても、なかなか直りませんの」
「いいと思うけどな。個性があって」
類が、屈託なく笑った。
その笑顔に、クラウディアの心臓が跳ねる。
『お嬢様、心拍数が――』
「黙りなさい」
小声で遮る。
「え? 何か言った?」
「いいえ、何も」
クラウディアは、必死で平静を装った。
ミーティングは続く。
しかしクラウディアの意識は、半分以上が類に向いていた。
――困りましたわね、本当に。
悪役令嬢は、恋愛には不向きなのかもしれない。
そんなことを考えながら、クラウディアはコーヒーを啜った。




