第99話【ラグナ帝国②】《黄金の天幕と、鉄の沈黙》
1. 祝祭か、軍列か
帝都ラグナの郊外、広大な平原を埋め尽くしているのは、夏の王国侵攻を控えた軍勢だ。 その中心に立つ皇太子ユリウスは、眼下に広がる光景を眺め、こめかみに走る鈍い痛みを抑えきれずにいた。
「……正気か」
ユリウスの視線の先には、名門貴族カシウス一族の天幕があった。 それは戦場に張るための野営具ではない。金糸で刺繍を施した極彩色のシルクが風にたなびき、入り口には豪奢な燭台と、高価な香木が焚かれた磁器の器が並んでいる。さらに、その後方には主人のための贅沢な料理を運ぶための、二十台を超える専用の馬車が連なっていた。
(我らが向かうのは、険峻な山脈に囲まれたアイゼル砦だ。勾配のきつい山道に、あんな重たいだけの装飾品を持ち込んでどうする。荷馬車の車輪が一つ割れるだけで、全軍の行軍が数時間止まるという計算さえできないのか)
カシウス公爵は、黄金に輝く「儀礼用の鎧」に身を包み、部下たちとワインを酌み交わしている。その笑い声は、軍規の厳粛さとは程遠いものだった。 さらに視線を転じれば、他の血筋の良い貴族たちも似たり寄ったりだ。戦うための道具ではなく、自らの権威を誇示するための「飾られた暴力」がそこにはあった。
(狩りにでも行くつもりか、彼らは。……いや、彼らにとって、魔法を持たぬ亜人や獣人の国など、その程度の認識なのだろう)
ユリウスは内心で吐き捨てた。 彼らには見えていない。アイゼルで何が起きたのか。
前回の敗走を「不測の魔法の怪異」として片付けた彼らは、王国の智也というエンジニアがもたらした「理」の刃が、いかに自分たちの喉元に迫っているかに気づいていなかった。
2. 深夜の「知恵の集会」
その夜。ユリウスは騒がしい本陣を離れ、信頼する学友であるマルクス伯爵とアルフォンス男爵を、自身の天幕へと招いた。
「殿下。例の『戦利品』、詳しく解析しました」
マルクスが興奮を抑えきれぬ様子で、布に包まれた「何か」を差し出す。 それは、王国軍の兵士が装着していた、量産型の腕当てだ。 三人は顔を寄せ、魔導灯の青白い光の下でそれを観察した。
「見てください、このリベットの打ち方、そして鋼材の厚み。……驚くべきことに、回収された十個の防具、その全てが『全く同じ寸法』で作られています」
アルフォンスが震える指で接合部をなぞる。 帝国の武具は、職人が一つ一つ叩き出す。ゆえに、部品同士には必ずわずかな個体差が生じる。それが当たり前だった。 だが、この腕当てには「職人の癖」が微塵も感じられない。
「……『規格化』だ」
ユリウスが低く呟いた。
「我らに比べ、人口や資源が乏しい彼らは、個人の技量に頼るのを止めた。誰が作っても同じ形になり、誰が装着しても同じ性能を発揮する。もし戦場で一部が壊れても、隣の死体から部品を剥ぎ取れば、その場で修理が完了する。……我らが『芸術品』を愛でている間に、彼らは『システム』を構築したのだ」
「何かが変わっています。コモンス王国側には、我々が知らない『理』を操る者がいる」
「しかし、殿下。いくら精巧だといっても、所詮は弱小国の足掻き。我ら帝国の物量――3万でアイゼルを強行する、物理の理だけで勝てるとは思えません」
「……そうだな。」
ユリウスは、窓の外の月を見上げた。 圧倒的な物量。だが、その指揮系統は腐った貴族たちが握っている。
王国が「一本のネジ」から国を強化している一方で、帝国は「巨大な黄金の塊」のままだ、緩やかに崩壊を始めているのではないか。そんな予感が、彼の胸を離れなかった。
3. 心を欠いた「怪物」
翌朝、ユリウスは総大将としてラーズ帝への最終報告に赴いた。 黄金の玉座に深く腰掛けた父を前に、ユリウスは冷たい石床に膝をつく。
幼少期から、彼はこの父に一度も心を許せたことがなかった。 ユリウスに母の記憶はない。物心ついた時には既にいなかった。宮廷の暗い隅で囁かれていた噂では、母は皇帝に「死を賜った」のだという。
ユリウスの脳裏に、ある光景が焼き付いている。 まだ幼かった彼が、訓練中に転んで膝を深く擦りむいた時のことだ。真っ赤に溢れる血を見て泣きじゃくるわが子に対し、皇帝ラグナが発した言葉は「大丈夫か」でも「泣くな」でもなかった。
ラグナは、泣き叫ぶユリウスを、ただ見下ろして――「薄ら笑い」を浮かべていた。
慈しみも、嘲笑ですらない。まるで、道端に転がる石ころが不規則な音を立てたのを、ただ「面白い」と眺めているかのような、空虚で不気味な笑み。 (……あの笑みの意味が、今でもわからない。父上にとって、人の痛みとは、ただの現象に過ぎないのか)
「ユリウス。進軍準備は滞りはないか」
皇帝の声が、低く響く。ユリウスは感情を殺し、跪いたまま答えた。 「はっ。カシウス公爵らも意気軒昂。これより出立し、夏至と共に、アイゼル砦を完全に包囲、殲滅いたします」
「くくっ……。カシウスが黄金の天幕を持ち込んでいるそうだな。滑稽よな。死に行く者に黄金を纏わせても、その肉の価値が上がるわけではなかろうに。……ユリウス。もし奴の荷物が軍を遅らせるなら、その天幕ごと奴を崖から突き落とせ。それができるなら、お前にこの国を譲っても良い」
皇帝の口端に浮かぶのは、あの時と同じ「薄ら笑い」だった。 この男は、単なる暴君ではない。人間が本来持っているはずの「情緒」という機能が最初から欠落している、効率と暴力の異常者なのだ。
「……御意に」
ユリウスは、喉の奥がせり上がるような不快感を押し殺し、頭を下げた。
4. 汚れゆく血統、下品な哄笑
進軍の準備が進む中で、ついに「事件」が起きた。 ある下級貴族の青年が、カシウス一族の非効率な行軍計画に異を唱えたのだ。青年は戦術学校を最優秀で卒業した俊英だったが、カシウス公爵にとってそれは「血の薄い者の分際で、名門に恥をかかせた」という大罪に他ならなかった。
「……生意気な。平民に近い血の分際で、我ら上位者の知恵に口を出すか!」
カシウス一族によって捏造された「王国との内通」の証拠。軍議の場に引きずり出された青年は、釈明の機会さえ与えられず、ユリウスの目の前で即座に処刑が宣告された。
「ラーズ陛下も仰せだ! 血の薄い者は、心も濁りやすいとな!」
カシウス公爵が、贅沢なワインを煽りながら下品な笑い声を上げる。周囲の貴族たちも、それに合わせて嘲笑を重ねた。
「いい見せしめだ」 「知恵など、我ら上位者にのみ許された特権よ」
断頭台に送られる青年の、絶望に満ちた瞳。 ユリウスは、拳を握り締め、爪が掌に食い込むのを感じた。 智也の世界では、リスも、アリも、カモノハシも、その特技を「仕組み」の一部として活かされているという。 だが、この帝国では――優れた知恵を持つ者ほど、高貴な無能によって踏み潰される。
(……狂っている。この国は、勝利を目前にして、自らその足を腐らせているのだ)
ユリウスは、「怪物」の息子としての仮面を被り、処刑の執行に淡々と頷いた。 内心の激昂を氷の下に隠し、彼はただ、来たるべき「夏の陣」を見据える。
三万の軍勢。黄金の天幕。腐った血統。 そして、その先で待ち構えている、高瀬智也という名の「理」。
どちらが真に世界を導くべき力なのか。 その答えが出る日は、もうすぐそこまで迫っていた。
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