第88話《極寒の温室大作戦》― 絹のビニールクロス ―
1. 黄金の雫と甘い誘惑:蜜蜂人族の工房
「智也君、甘い匂いがしてきたよ!」
飛竜の前座席で、エルナが鼻をひくつかせながら振り返った。眼下に広がるのは、一年中枯れない魔導花が咲き乱れる「琥珀の谷」。そこに、巨大な六角形の家々が整然と並ぶ蜜蜂人族の村があった。
俺の目当ては、彼らが蜂蜜と共に精製する副産物、「蜜蝋」だ。
「知恵者よ。アイゼル砦での活躍、聞き及んでいる。我らの蝋が、戦に役立つのか?」
羽を微かに震わせながら現れた蜜蜂人族の長に、俺は設計図を見せ、冬の寒さから人々を守るために高品質な精製蝋が必要だと説明した。長は快諾し、すぐに大量の蜜蝋を用意してくれただけでなく、採れたての蜂蜜を使ったもてなしまで用意してくれた。
村の広場で、焼きたてのパンに黄金色の蜂蜜がたっぷりと塗られる。
「わぁ……! すごいよ智也君、見てーこの輝き!」
エルナが目を輝かせ、蜂蜜が滴るトーストを両手で持つ。そして、期待に満ちた瞳で俺を見つめた。
「智也君、お疲れ様です。はい、あーん」
差し出されたハニートーストに、俺は一瞬たじろいだ。周囲の蜜蜂人族たちが微笑ましそうに見ている。
「……あ、ああ。ありがとう」
意を決して口を開けると、エルナが嬉しそうにパンを口に運んでくれた。濃厚な甘みと花の香りが口いっぱいに広がり、冷えた体に染み渡っていく。
「えへへ、美味しいね!」
無邪気に笑うエルナの横で、俺はこれから始まる過酷な作業の前に、束の間の休息を得たのだった。
2. 絹の森と密着する体温
大量の蜜蝋を積み込み、琥珀の谷を後にした俺たちは、さらに深い森へと進路を取った。気温が下がり、風が冷たさを増してくる。
その時だった。後ろに乗っていたリュミアが、不自然なほど背中に体を密着させてきた。
「……ん、リュミア? 寒いのか?」
「少し揺れが気になって……。トモヤ、迷惑?」
耳元で囁かれる声と、吐息がかかる感覚に、俺は操縦桿を握る手に力を込めた。厚手のフライトスーツ越しにも、彼女の豊かな胸の柔らかな感触が、背中にはっきりと押し付けられているのが分かる。
「いや……大丈夫だ。しっかり掴まっていてくれ」
俺が平静を装って答えると、リュミアはさらに腕に力を込め、俺の腰にしっかりと抱きついた。背中に感じる熱と弾力に意識を持っていかれそうになるのを、俺は必死に堪える。
そして、森が開けた瞬間、リュミアが俺の肩越しに前方を指差した。
「……トモヤ、見て。森全体が白く光ってる。いつ見ても綺麗。」
眼下に広がっていたのは、幻想的な光景だった。巨大な古木の一本一本が、透き通るような純白の絹糸で幾重にもラッピングされ、まるで森全体が巨大な繭の集合体のように淡い光を放っている。
◇◇◇◇◇
降り立った村には、約300人の蚕人族が暮らしていた。 彼らの外見は人間とほぼ同サイズだが、その肌は驚くほど白く滑らかで、纏っているローブ自体が自らの指先から紡ぎ出された生体絹だという。
「知恵者よ。育雛の繭の件では世話になった。再び我らの里へ、何用かな?」
以前、幼子たちの結露問題を解決した際に仲良くなった長老が、慈愛に満ちた笑みを浮かべて出迎えてくれた。俺は背中に残るリュミアの体温と、柔らかい感触の余韻を名残惜しくも振り払い、意識を「工学者」のそれへと切り替える。
「長老、単刀直入にお伺いします。私は今、冬の寒さに凍える貧しい村を救うため、圧倒的な断熱性能を持つ素材を探し回っているんです。そこで教えてください……」
俺は一歩踏み出し、彼らの白く光る指先を見据えた。
「あなたたち一人が本気を出した場合、一日にどれだけの糸を紡ぎ出せるものなのですか?」
3. 規格外の「生体スループット」
長老の傍らにいた若い村人が、不思議そうに小首を傾げた。彼らにとって糸を出すのは呼吸と同じ、当たり前の行為だからだろう。
「本気、ですか? そうですね……食い扶持さえしっかりしていれば、一日に100メートルくらいなら、途切れさせずに紡げますが」
「……100メートル!!! ですか!?」
俺は思わず絶句した。脳内で即座に、元の世界の「蚕」のデータと比較を始める。
一般的な蚕(幼虫)が生涯で吐き出す糸の総延長は約1.5km。だが、それは髪の毛よりも遥かに細い微細な繊維だ。
人間サイズである彼らが、1日に100メートル紡げるのはおかしい話ではない。
「(計算が規格外だ……。質量換算なら、日本の蚕の数万倍どころじゃないぞ。これはもはや職人の集落じゃない。タンパク質を高分子繊維に変換し、そのまま布へと編み上げる移動式の超高性能繊維プラントだ……!)」
4. 「透明な春」の設計図
俺の頭の中で、バラバラだったピースが一つに繋がっていく。 自噴井の「水」、蜜蜂人族の「蜜蝋」、そして蚕人族の「絹」。これらを組み合わせれば、物理法則に従った「熱の牢獄」、すなわち簡易ビニールハウスが完成する。
「長老、是非、協力してください。皆さんの糸で、このフィアレルに『透明な繭』を造るんです。冬という巨大な冷気を遮断し、太陽の熱だけを閉じ込める――いわば、人工的な春の空間を」
「太陽光(短波長)を透過させ、地面からの放射熱(長波長)を逃がさない。この『温室効果』を実現するには、皆さんが紡ぐ均一で透光性の高い布が必要不可欠なんです。どうか、この技術を村を救うために貸していただけませんか?」
俺の熱意に押されたのか、長老は深く頷いた。 「知恵者よ。わしには難しくで良くわからん。じゃが、そなたが幼子たちを救ってくれた恩、忘れてはおらぬ。我ら一族の糸、思う存分役立てるがよい」
5. ビニールの錬成
作業は迅速に進んだ。 蚕人族の若者たちが一斉に指先を動かし、空中で純白のカーテンを編み上げていく。そのキメの細かさは、現代の精密織物をも凌駕していた。
そこに、エルナが蜜蜂人族から運んできた「精製蜜蝋」を、リュミアたちが温めて液状化させ、均一に薄くコーティングしていく。
「智也さん、これでいいですか? ムラにならないように、丁寧に塗りますね!」 「……智也様、この布、不思議な温かさを感じます。まるで、生きているみたいに」
二人の協力により、世界で初めての「絹のビニールクロス」が次々とロール状に巻き取られていく。
「よし、資材は揃った。次は『建築』だ」
巻き上げられた絹のビニールクロスを横目に、俺は手元の図面に最後の線を書き加えた。 材料は揃った。最高級の透光性と気密性を持つ「膜」は手に入れた。だが、これをどう展開し、どう維持するかが工学的な正念場だ。
俺の脳内では、すでに巨大なドーム状の温室――「第1号グリーンハウス」の施工シミュレーションが始まった。
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