第85話《白銀の繭と、見えない水脈(みゃく)》― フライトスーツ ―
アイゼル砦に「大地の耳(センサー網)」という名の物理学の罠を仕掛け終えた俺たちは、飛竜の翼を借りてフィアレル領へと帰還した。だが、一息つく暇はない。
「……寒い。いや、寒すぎるんだよ、上空は」
飛竜から降りたレオンが、真っ青な顔をしてガタガタと震えている。高度を上げ、速度を増すほどに、風は「対流放熱」によって体温を容赦なく奪っていく。これからの冬の空輸作戦において、「防寒」は単なる快適さの問題ではなく、パイロットの生存に直結する工学的課題だった。
俺たちはその「素材」を求めて、フィアレル領のさらに奥深く、真っ白な霧に包まれた奇妙な集落を訪れていた。
1. 繭の街:蚕人族との出会い
そこは、俺の知っている「村」の概念を根底から覆す場所だった。 巨大な古木の枝から枝へ、透き通るような白い絹糸が幾重にも張り巡らされ、まるで街全体が巨大な繭の集合体のように見えた。
「……すごい。これ、全部糸なの?」
エルナが呆然と呟く。 村の入り口では、全身を光沢のある白いローブで包んだ人々――蚕人族が、静かに俺たちを迎えた。彼らは指先から、鋼鉄よりも強く、雲よりも軽い「魔導絹糸」を自在に紡ぎ出す。
「知恵者よ。アイゼルの山を震わせたあなたの噂は、風に乗ってここまで届いてる。」
村の長老らしき男が歩み寄る。その肌もまた、磨き上げられた絹のように白く滑らかだった。
「長老、単刀直入に言います。俺には彼らの糸が必要なんです。飛竜乗りたちが空で凍え死なないための、新しい『服』を作るために」
2. 重厚な毛皮を捨てろ:レイヤリング(積層)の革命
俺が提案したのは、この世界で常識とされている「分厚い獣皮を一枚羽織る」という防寒法を真っ向から否定する概念だった。
「いいか、レオン。熱の移動には伝導、対流、放射の3つがある。毛皮を厚くすれば伝導は抑えられるが、重くて動きにくいし、隙間から風が入れば対流で一気に冷める」
俺の計画はこうだ。
ベースレイヤー: 肌に密着し、汗を素早く逃がす蚕糸の薄布。
ミッドレイヤー: 梟人族や鳥人族から提供された、空気を大量に抱え込む羽毛を詰め込んだキルティング。
アウターレイヤー: 蚕糸を高密度で織り上げ、ワックスでコーティングした、完全防風・撥水シェルの「外殻」。
3. 蚕人族の困りごと:湿度のジレンマ
だが、交渉は一筋縄ではいかなかった。長老は、村の中央にある「育雛の繭」を指さし、悲しげに目を伏せた。
「我らの糸を差し上げるのは構いません。ですが、今、我らの村は存亡の危機にある。この冬、異常な湿気が繭を襲い、次世代を担う幼子たちが呼吸困難に陥っているのです……」
繭の中に入ると、確かにじっとりとした湿気が肌にまとわりつく。繭は気密性が高すぎるがゆえに、内部の代謝による湿気が排出されず、「結露」を引き起こしていた。
「なるほど、換気不足か。だが、ただ穴を開ければ冷たい風が入って幼子が凍える……。なら、これを使おう」
俺が設計したのは、木管と薄い絹膜を組み合わせた「簡易型顕熱交換換気システム」だ。
仕組み: 外の新鮮な冷たい空気と、中の汚れた暖かい空気を、薄い膜を隔てて隣接したパイプを通す。
効果: 膜を通じて熱だけを移動させ、中の暖かさを保ったまま、湿気だけを外に逃がす。
「これなら、温度を下げることなく空気だけを入れ替えられる」
管を掘り、蚕人族に膜を張ってもらい数刻。繭の中の空気が、劇的に「カラリ」と乾いた。幼子たちが元気に動き回るのを見て、長老は深く頭を下げ、お礼として最高級の絹糸の巻物を山のように差し出してくれた。
4. フライトスーツの誕生:極北の翼
拠点に戻った俺たちは、総動員で「フライトスーツ」の製作に取り掛かった。 工房には、蚕人族から譲り受けた光沢のある絹糸の巻物と、家畜から集められた大量の羽毛が積み上げられている。
この精密な「積層」作業を一手に引き受けてくれたのが、フィアレル領都の北方、「迷いの森」から来てくれた、少数民族「栗鼠人族」だ
。
「よし、ここのキルティングの幅は三センチだ。羽毛が偏ると断熱性能(R値)が下がるからな。頼めるか、リック?」
「任せとけって、智也! 俺たちの指先をなめんなよ!」
リス族のリーダー、リックが小さな胸を張る。彼らリス族は小柄だが、その指先の器用さと集中力は人間を遥かに凌駕していた。ミシンなどないこの世界で、蚕人族の極細の糸を使い、羽毛を均一に封じ込める精密な縫製をこなせるのは彼らしかいない。
ふと工房を見渡すと、いつの間にかリス族の数が増えていることに気づいた。
「リック、なんだか仲間が増えたな?」
「ああ! 智也が正当な『お給料』をくれるって評判でね。故郷の森じゃ、手先が器用なだけじゃ食っていけなかった奴らも、ここでは英雄扱いさ。特技を活かして、旨い飯が食えて、暖かい場所で眠れる。みんな、今の仕事が楽しくて仕方ないんだよ」
リックはそう笑うと、目にも止まらぬ速さで針を動かし始めた。 彼らの貢献により、当初の予定を大幅に上回るペースで生産ラインが回り出す。
数日後。 完成したスーツは、これまでの防寒具が嘘のように軽く、そして驚くほど薄かった。 レオンがそれを試着し、氷の張った水場の上で飛竜を駆る。
「……信じられない! 風が全く入ってこないし、動くと自分の体温でどんどん温かくなっていく! これなら、雪雲の上まで行けるぜ!」
レオンが高度数百メートルから急降下してきても、その表情には余裕があった。 これまでの「厚い毛皮を重ね着して、着ぶくれした状態で震える」という非効率な防寒は、智也の工学と少数民族の連携によって過去のものとなったのだ。
翌日、フライトスーツの性能確認を兼ねて、俺たちはフィアレル領の南西側を空から視察していた。 アイゼル砦周辺とは打って変わり、この地域は雪が極端に少ない。一見、冬を越しやすいように見えるが、実態は違った。
地上に降りて村を回ると、そこには「飢え」の影が色濃く漂っていた。
「この地域は昔から雨が少ねぇんだ。それと井戸を掘っても掘っても、出てくるのは湿った泥ばかりでよ……」
村長が、ひび割れた手で枯れ果てた畑を指さす。 雪が少ないということは、春先の雪解け水も期待できない。少量の井戸水を奪い合うようにして、人々は何とか今日を生き延びていた。
「(……地形から見るに、ここは扇状地の端だ。表面は乾いているが、地下には必ず水があるはずだ。ただ、今の彼らの技術では『深さ』が足りない)」
「智也くん、どうするの? 魔法で雨を降らせるわけにもいかないし……」 エルナが不安そうに俺の顔を覗き込む。
「魔法は必要ない。『地質学』と『物理学』があれば十分だ」
俺は、地面に一本の棒を突き立てた。
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