第84話《大地の鼓動を聴く者たち》― 振動増幅装置 ―
1. 盤面という名の迷宮
アイゼル砦の司令室に、重苦しい沈黙が流れていた。 机の上に広げられた巨大な周辺地図。そこに刻まれた等高線は、複雑な指紋のようにこの地の険しさを物語っている。
「……どこだ。どこからでも来れるし、どこから来てもおかしくない」
俺――高瀬智也は、羽ペンを指に挟んだまま、地図の空白地帯を睨みつけていた。
アイゼル砦の正面ゲートは、先の戦いで証明した通り、鉄筋コンクリートの防壁と重油による摩擦消失、そして連弩の十字砲火によって難攻不落だ。 だが、この砦の背後に広がる原生林と、無数に枝分かれした「羊飼いの道」と呼ばれる間道はどうだ?
(……物理的に、すべての道を兵士で埋めるのは不可能だ。人手が足りなすぎる)
「トモヤ、顔が怖いよ。……お茶、淹れ直そうか?」
隣でエルナが、帳簿をめくる手を止めて首を傾げた。 彼女の細い指が、俺の肩にそっと触れる。 (……う、近い。これ、もしリュミアに見られたらどうしよう……) 背中に熱い視線を感じるような気がして、俺は不自然に背筋を伸ばしたが、今はそれどころではなかった。
「智也! どうした、顔が疫病神みたいだぞ!」
背後から快活な声が響いた。レオンだ。 彼は俺の深刻な顔を見て、ニカッと歯を見せて笑う。
「いや、レオン。帝国兵がもし迂回してきたらと地図を睨んでたんだが……。正面以外、すべてが死角に見えてきてな」
「トモヤ、そんなに根を詰めんなよ。飛竜から見れば一発だろ? ほら、外の空気でも吸いに行こうぜ!」
レオンは気楽に俺の背中を叩くと、半ば強引に俺を空へと連れ出した。
2. 視覚の敗北 ―― 白銀の遮蔽
「高度、維持できるかレオン!」
俺は、レオンが操る飛竜の背にしがみつきながら叫んだ。 吹き付ける風は刺すように冷たい。
眼下に広がるのは、見渡す限りの白銀の世界だ。 標高の高いアイゼル砦周辺は、すでに深い雪に覆われていた。
「わかってるって! でもこれ以上下げると、気流が乱れて墜落しちまう。それにトモヤ、見てみな。この雪じゃあ、何もかも真っ白だろ?」
レオンが翼を旋回させ、地上を指差す。 雪がすべての凹凸を埋め、敵が潜んでいるであろう「羊飼いの道」も、単なる白い平原の一部にしか見えない。
「……これじゃ、数千の軍勢が移動していても、上空からは影一つ見えないな」
「だろ? 雪に潜られたら、空からじゃお手上げだ」
(……それに夏場は緑のカーテンだろう。これじゃ、地上を数千の軍勢が移動していても、上空からは影一つ見えない)
「レオン、鳥人族達の斥候はもっと低く偵察できるのか?」
「無理だよ。低く飛べば、それこそ帝国の強弓の餌食だ。それに、こうやって空を周回してるだけで、俺たちが『必死に探してます』って宣伝してるようなもんだ。奴らは俺たちの死角を突いて、今この瞬間も動いてるかもしれないぜ?」
レオンの言葉は、鋭い針のように俺の焦りを突いた。 鳥人族という「空の目」を手に入れたことで、どこか慢心していたのかもしれない。 光――すなわち視覚は、あまりにも遮蔽物に弱すぎる。
俺は、眼下に広がる静かな、だが不気味な雪山を見下ろしながら、唇を噛んだ。 視覚という情報は、気象条件一つでここまで無力化されるのか。
3. 「波」の着想
司令室に戻った俺は、椅子に深く腰掛け、リュミアが淹れてくれた温かいお茶を眺めていた。 思考が空回りする。
(魔石の力を使って、何か……レーダー的なものが作れないか?)
魔石ガバナーの技術を応用し、魔力を放射して反射を見る。理屈はわかる。だが、この世界に「波」を解析する計算機はない。
その時だった。
『ガンッ! ガンッ!』
砦の補強工事をしている建築班のハンマーの音が、壁を伝って響いてきた。 その振動で、机の上に置かれたカップの中で、お茶の表面にかすかな同心円状の波紋が広がった。
俺はカップの水面を見つめたまま、固まった。 手は動いていない。風も吹いていない。 だが、地面を伝わってきた微かな揺れが、液体を揺らしている。
(待てよ。……空気(気体)を通る音は、木々や地形で減衰する。だが、大地(固体)を伝わる振動ならどうだ?)
エンジニアとしての知識が、頭の中で急速に数式を組み立てていく。 音波は媒体の密度が高いほど、速く、遠くまで伝わる。
(待てよ。……現世にいたとき、どこかで読んだが、足の裏には、振動に非常に敏感な「パチニ小体」という神経末端が密集している。これは人間の指先にもあるが、象はこれを巨大な足の裏に備えており、数十キロ先の地鳴りや雷、仲間の足音さえも感知できると言われている……)
「……ミラージュ将軍だ!」
俺は立ち上がり、そのまま部屋を飛び出した。
4. 象人族:戦略的広域ソーナー
ミラージュ将軍の大きな足が、砦の地下にある露出した岩盤を静かに踏みしめる。
「将軍。皆さんの足の裏で、岩盤を伝わる敵の歩法を察知できませんか?」
俺の問いに、将軍は重い沈黙で応えた。 その瞳は、はるか遠く、己のルーツを見つめているようだった。
「…………」
数拍の間の後、彼は短く、地鳴りのような声で言った。
「……不可能ではない」
だが、彼はそのまま自身の頑強な脚を見つめ、自嘲気味に首を振った。
「……だが、軍務。……戦い。……足裏、鈍った」
長年の行軍と戦闘で鍛え上げられたその足は、戦士としては一級品だが、大地のかすかな震えを読み取る「探知機」としては、いささか硬くなりすぎていたのだ。 将軍は傍らにあった羊皮紙を引き寄せると、無言のまま、迷いのない筆致で地図と紹介状を書き上げた。
「……里。……純粋な、聴き手。……適任、いる」
差し出された紹介状。そこに刻まれた紋章の重みが、この作戦の成否を物語っていた。
5.共鳴ドラムと象人族の青年
フィアレル領の工房。 熱気と金属の匂いが立ち込める中、俺は職人グレンに向き合っていた。
「グレンさん、無理を言っているのは承知しています。ですが、この『針』の精度が、砦の数千人の命を左右するんです!」
「……わかってるよ、智也。このミスリル、髪の毛一本分でも狂えば台無しなんだろ。やってやるさ」
グレンが火花を散らし、旋盤が唸りを上げる。 俺が設計したのは、巨大な木製の共鳴ドラムと、その中心に配した「極薄のミスリル針」を連動させた、機械式の振動増幅装置だ。 地中を伝わる微弱な弾性波を、物理的に拡大して皮膚へと伝える。現代工学と、この世界の希少金属が交差する瞬間だった。
数日後。俺たちは象人族の隠れ里を訪れ、一人の青年をフィアレル領の工房にに招き入れた。 名前はパド。 戦士のような猛々しさはないが、彼の足の裏は、まるで赤ん坊のように柔らかく、繊細な皮膚に覆われていた。里でも指折りの「大地の声を聴く者」だという。
「パド、この上に立ってみてくれ。……怖いかもしれないが、信じてほしい」
「…………」
パドは無言で頷き、俺たちが心血を注いで作り上げた共鳴ドラムの上に、そっと素足を乗せた。 彼が深く息を吐き、静かに目を閉じる。 周囲の兵士たちも息を呑み、静寂が地下室を支配した。
「パド、まずは練習だ。……5キロ先、街道を行く隊商の動き、追えるか?」
パドが共鳴ドラムの上に素足を乗せる。針がわずかに振れ、ドラムが微かに鳴動した。
「……聞こえる。……馬車、三台。……一台、車輪が、軋んでる」
その言葉に、俺は鳥肌が立つのを感じた。 空を飛んで確認から戻ったレオンが、信じられないといった顔で叫ぶ。
「……おい智也! 本当だ! 三台目がガタついてやがる。……おいおい、5キロ先だぜ!? 台数までピタリと言い当てるなんて……!」
(……すごい。台数、それに整備不良の振動まで嗅ぎ分けるのか!)
俺は拳を握る。だが、本番はここからだ。敵の行軍を捉えるには、さらに深い、遠くの「波」を拾わなければならない。
「次は……北西だ。パド、いけるか?」
パドの表情に、これまでにない緊張が走る。 彼は深く、長く息を吐き、周囲の雑音を遮断するようにまぶたを閉じた。 15キロ先に補給部隊が行軍している情報をもらっている。 空気中なら音など届くはずもない絶望的な距離。だが、この足の下にある大地は、巨大な一つの回路として繋がっている。
「…………っ」
パドの指先が、白くなるほど握りしめられた。 ドラムの中央。 目に見えないほど細かく、だが、命の鼓動のように力強く、ミスリル針が「大地の脈動」を刻み始める。 それは、単なる振動の記録ではない。遥か彼方で土を蹴る、数千の命の律動だ。
「……重い。……一歩一歩が、深く、冷たい。……雪を、踏み抜く音。……千。………………15キロ。」
パドの声は、確信に満ちていた。 15km。その絶望的な距離の壁を、俺たちの「知恵」と彼の「感覚」が今、完全に打ち破ったのだ。
「……捉えた。ばっちりだ、パド! 君の足は最高の『耳』だ!」
俺はパドの肩を強く叩いた。 エンジニアとして設計図を引き、職人が形にし、異世界の民がその能力を捧げる。 バラバラだったピースが噛み合い、巨大な機械が動き出したかのような、震えるほどの感動が胸に迫る。
「よし……これなら、敵の隠密部隊も逃がさない」
重力に従って地面を踏みしめる限り、この大地そのものが、帝国軍を指し示す指針になるんだ。
(……位置はわかった。次は、この情報のリードを活かして、帝国軍が『完璧な奇襲』だと確信した瞬間に、四方から逃げ場のない包囲殲滅網に叩き込む。)
【読者の皆様へ】
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