第83話【ラグナ帝国①】《帝都の夜景と虚飾の報告》
1.黄金の檻の舞踏会
帝都ラグナの中心に鎮座する「光輝宮」は、今宵も眩いばかりの光に包まれていた。
窓の外に広がる帝都の夜景は、王国のそれとは根本的に異なる。 数千、数万の魔石灯が整然と並ぶ大通りは、夜の闇を物理的に切り裂き、不夜城の如き威容を誇っている。
人口一千万人。
コモンス王国の倍を超える圧倒的な国力は、広大な領土に降り注ぐ陽光と、温暖湿潤な気候がもたらす豊かな実りによって支えられている。
国民の九割九分を占める人間族は、かつて大陸を跋扈していた亜人や獣人、そして「魔法」という不確かな力に頼る蛮族を、大陸中央を流れる「ルーン大河」の北方へと追いやり、自らの「数」と「組織」だけでこの巨大な文明を築き上げてきた。
この帝都を支えているのは、人間族の内部に存在する、岩盤のように強固な身分制度だ。 富める者はさらに富み、奴隷の子は奴隷として生まれる。この「過酷な循環」こそが、帝国の安価な労働力の源泉であり、繁栄の正体だった。
「……豊かなことだ。実に見苦しいほどに」
バルコニーからその喧騒を見下ろす男――ラグナ帝国皇太子、ユリウスは独りごちた。 その瞳に宿るのは、民への慈しみではない。 臣民が自分に傅き、奴隷が泥を這う。それは彼にとって、太陽が東から昇るのと同じ「当然の秩序」であった。
「この光の下では、アイゼルでの無様な敗北すら、美しい装飾に変えられるらしい。」
ユリウスの手には、一束の報告書が握られていた。帝国の高度な製紙技術が生み出した、滑らかで真っ白な紙だ。 その紙の白さが、アイゼル砦で流された兵たちの血を、事務的に覆い隠していた。
彼は、舞踏会の華やかな旋律が、どこか空虚な響きを帯びているのを感じていた。 貴族たちが杯を掲げ、帝国の栄光を称えるその裏で、数ヶ月前にアイゼル砦で起きた「あり得ない敗北」の事実は、今や社交界の笑い話へと変質しつつある。
2. 虚飾の報告書と「魔法」への逃避
舞踏会の喧騒を離れ、ユリウスは軍務省の執務室へと足を向けた。 重厚な黒檀の扉を閉めると、ようやく帝都の「熱」が遮断され、冷徹な静寂が戻ってきた。
彼は机に報告書を広げ、改めてその内容を追う。 カシウス将軍――帝国国府の名門出身であり、アイゼル攻防戦の指揮を執った男から届けられた『アイゼル砦敗戦詳報』だ。
そこには、名門カシウス家のプライドを守るため、敗北の原因を「人智を超えた怪異」に押し付けようとする美辞麗句が並んでいた。
『敵軍、数千年の眠りより覚めし古代魔法兵器(※智也の旋回投石機)を起動。その巨腕は音もなく旋回し、我が軍の衝車を紙細工の如く粉砕せり』
『空を埋め尽くす光の矢の雨(※智也の大型連弩による十字砲火)が、逃げ場なき死の網を成し、精鋭の魂を瞬時に刈り取れり』
『城壁には呪われた黒き魔法の盾(※智也のRC構造と重油塗布)が纏い、兵が触れることすら拒絶する絶壁と化せり。これは大地より這い出した悪魔の業なり』
「……失笑ものだな」
ユリウスは冷めた目で、その行間を読み解く。 カシウスが「魔法兵器」と呼んだものは、おそらく魔法ではない。 緻密な計算と仕組みによって制御された、高度な「機械」だ。
「だが、(王国には、魔法を使える耳付きの獣どもがいる。……魔法の可能性を完全に否定はできんが、これほどまでに『物理的な不条理』が重なるのは、偶然ではない。……分析が必要だ。これが本当に魔法なのか、それとも、別の『理』なのかを)」
ラグナ帝国は、魔法という概念を「不確かな蛮族の力」として憎み、排除してきた歴史を持つ。
「(……古代兵器? 魔法の盾? カシウスめ、嘘をつくならもう少しマシな嘘をつけ。……いや、彼は本当にそう見えたのかもしれん。自分の理解を超える事象を、すべて魔法という箱に放り込んで、思考を放棄したのだ)」
3. 泥の匂いと小貴族の証言
「殿下、マルクスをお連れしました」
入室してきたのは、カシウスに随行し、地獄のアイゼルから生還した小貴族の嫡男、マルクスだった。 帝国における貴族階級の末端に位置する彼は、皇太子の前で顔面を蒼白にさせ、ガタガタと震えていた。
「マルクス。お前はカシウスの縁者ではない。ありのままを言え。お前は何を見た」
ユリウスは、報告書と一緒に届けられた「現場の証言録」に目を移した。 こちらには、カシウスのような政治的思惑を持たない、現場の兵たちの生々しい声が断片的に記録されている。
「……壁、滑る壁であります」
マルクスは絞り出すように言った。
「石を積んだものではありませんでした。私が到着した時には既に、継ぎ目のない『一つの巨大な岩』のような壁が、そこに立ち塞がっていたのです。魔法の盾に弾かれたようにも見えましたが……いえ、魔法の光は見えませんでした。ただ、ひどく泥臭い匂いと……鼻を突く、黒い脂の匂いだけを覚えています。兵たちが梯子をかけても、まるで氷の上を滑るように……。命を賭けた突撃が、無慈悲に、そして滑稽に無力化されていったのです」
ユリウスの目が鋭く光る。 (魔法ではない、泥の匂い。最初から築かれていた、未知の構造……)
ユリウスは沈黙し、目の前の「事象」を脳内で組み立てる。 彼にはまだ、それが何であるかは分からない。 だが、そこには帝国が誇る「数」と「鉄」の文明を、根底から嘲笑うような、質の違う「何か」があることだけは理解できた。
4.歪んだ再現のロジック
数日後、ユリウスは宮廷工匠たちが集まる巨大な実験場へと向かった。 そこは帝国の最先端技術が集結する場所であり、アイゼルの報告にある「未知の防壁」と「滑る油」の再現が試みられていた。
「殿下、実験の結果が出ました」
案内されたのは、宮廷工匠たちが集まる巨大な実験場だった。 帝国の英知が集結し、報告にある「未知の兵器」の再現を試みていた。 彼らが使うのは、膨大な数の奴隷にふいごを引かせ、「数」の暴力で無理やり精製した高価な黄銅や、希少な薬石を混ぜ合わせた錬金溶剤だ。
「どうだ。あの『滑る壁』は再現できたか」
工匠長が苦々しい顔で、実験場の隅に転がる「紛い物」を指差した。
「……不可能です。高級な植物油に、摩擦を消すための希少な錬金薬を調合しましたが、持続性がありません。壁に至っては、大理石を細かく砕き、高価な接着材で固めてみましたが、強度が足りず、自重で崩壊しました」
彼らは、智也が「石灰と砂利」というどこにでもある材料を比率だけで変質させたとは夢にも思わなかった。 帝国にとっての強さとは、常に「より多くの人間」を使い、「より高価な素材」を注ぎ込むことだったからだ。
「敵は魔法も使わず、我らの最先端の錬金術を超える強度を実現しているというのか?」
ユリウスの問いに、工匠たちは沈黙した。 「人口」と「管理」こそが正義である帝国にとって、一人の「設計者」がもたらした「効率」の勝利は、理解の範疇を超えていた。
5. 皇帝の冷笑と「三万の生贄」
帝国の最高軍事会議は、熱狂に包まれていた。
「カシウス家を辱めた亜人共に死を!」「一刻も早い再侵攻を!」 鼻息を荒くする有力貴族たちが、名誉挽回を叫びながら美麗な装飾の侵攻計画書を突き合わせている。 ユリウスは、その輪の中に加わりながらも、冷徹にその状況を観察していた。
ユリウスにはわかっていた。今の帝国には、アイゼルの「不条理」を解き明かすリソースなど微々たるものだ。このまま突っ込めば、再び無様な敗北を晒す可能性が高い。
しかし、ユリウスの頭脳は、即座に別の「計算式」を組み上げた。
(……よかろう。今の私には、この熱狂を止めるカードはない。ならば、行かせてやればいい)
ユリウスは自ら一歩前へ出ると、父である皇帝の前に膝を突いた。
「父上。アイゼルの汚名は、帝国の威信に関わります。有力貴族諸卿の熱意を汲み、来夏に三万のアイゼル再侵攻軍を編成、派遣すべきかと存じます」
周囲の貴族たちから、どよめきと「さすが皇太子殿下!」という喝采が上がる。 だが、ユリウスの瞳は凍てついていた。
(再侵攻に失敗すれば、カシウスを含む有力貴族のメンツは、今度こそ完全に、再起不能なまでにつぶされる。有力貴族の一部が勝手に自滅してくれる。……それに、派遣される三万の兵の主力は『ボンヌ王国』などの属州兵だ。彼らがどれほど損耗しようと、帝国の真の痛手にはならん。むしろ、ボンヌの軍事力を削ぎ、支配を盤石にする絶好の機会だ……)
皇帝は、鼻息を荒くする貴族たちを背に、ゆっくりとユリウスに歩み寄った。 その口元には、息子の冷徹な本性を見透かすような、薄ら寒い「冷笑」が浮かんでいる。
「……ユリウスよ。それで良いのか?」
その低い問いかけに、ユリウスの心臓が跳ねた。 皇帝の目は、ユリウスが「軍事的な懸念」の裏で、何を天秤にかけているのかを、完全に見透かしている。
幼い頃から、ユリウスはこの父親にだけは、絶対に逆らえなかった。 皇帝が「黒」と言えば、たとえ雪が白く見えていても、帝国はそれを「黒」として処理する。 それが、この巨大な国家を維持するための唯一のルールだったからだ。
「……御心のままに、陛下。万全の『使い捨ての駒』を揃えてみせましょう」
「ふ……。励むが良い、ユリウス」
皇帝は、息子の冷徹な計算を愉しむかのように、さらに深く冷笑を刻んだ。受理はされたのだ。
6 知将の図面と「裏」の諮問
皇太子と、勝利を確信した貴族たちが意気揚々と去った後。
重厚な黒檀の扉が閉まり、執務室には深海のような静寂が戻った。 先ほどまでの熱狂が嘘のように、室内の温度が数度下がったかのような錯覚さえ覚える。
皇帝は一人、玉座に深く背を預けた。その鋭い眼光は、誰もいない闇の一角を射抜いている。
「……出てこい、ゼノン。貴公なら、今の茶番をどう見た」
影が揺らぎ、音もなく一人の男が姿を現した。 帝国軍総参謀、知将ゼノン。 軍服を纏っていても隠しきれないその痩身には、剣の重みではなく、数多の戦場を帳簿と地図だけで支配してきた冷徹な知性が宿っている。
ゼノンは音もなく膝を突き、感情を排した声で答えた。
「ユリウス殿下も貴族諸卿も、三万の駒をどう動かすかという『表』の盤面しか見ておりませんな。……兵の質も、精神論も、あの砦の前では無意味だというのに」
「ふ……。では、ゼノンよ。この侵攻の『裏』、お前ならどう書く?」
皇帝の諮問に、ゼノンは淀みない声で、まるで最初から決まっていた未来を読み上げるように答えた。
「……くくく。三万の生贄を捧げて、アイゼル砦の背後から裏をとるというわけか。相変わらず趣味が悪いな、ゼノン」
皇帝は愉快そうに喉を鳴らした。 そこにあるのは、支配者としての冷徹な愉悦だ。
「受理する。有力貴族達には花道(死に場所)を、ユリウスには試験を、そして私には……王国という新たな玩具を。完璧な図面だ、ゼノン。準備を急げ」
「御意に、陛下」
知将は再び影に溶けるように姿を消した。
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