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第8話《濁りを分かつ『線』と黄金の泡》

1. 収穫の影の「見えない泥」

秋の風は涼しく、森からはどんぐりの香ばしい匂いが漂ってくる。 だが、収穫のために村人が一箇所に集まり、作業が立て込むにつれ、俺の鼻には別の「嫌な匂い」が届くようになった。


(……井戸の近くの泥、もう限界だな)


この世界には、まだ飲み水と汚水を分ける概念が薄い 。 台所からの排水や家畜の近くのぬかるみが、村の共有井戸に向かってじわじわと流れているのだ 。 今は元気な村人たちも、このままでは冬を前に病で倒れてしまう。


「……トモヤ、また『怖い顔』してる」


振り返ると、リュミアが空のカゴを抱えて立っていた。 チャコールグレーの耳が、俺の表情を伺うようにわずかに伏せられている 。


「リュミア。……村で秋が終わる頃に、お腹を壊して倒れる人、いないかな?」


「……いる。冬の前に身体が弱るの。獣神様の試練だって言われてる」



「それは試練じゃない。この泥水が、身体の中に入るせいだ。……俺に、この泥を分ける『線』を引かせてほしい」


俺は地面を指差し、断言した。 エンジニアとして、見えない敵からこの村を守るための「設計」が必要だった。


2. 帳簿係の距離と、不意の白

俺はエルナを呼び出し、村の傾斜を測り直すことにした。 汚水を井戸から遠ざける「排水溝」と、排泄物を肥料に変える「堆肥式トイレ」の設置場所を決めるためだ 。


「智也くん。ここ、三歩分くらい高くなってるね。面白いなぁ、数字にすると村が生き物みたいに見えるよ」


エルナがのんびりとした調子で、俺の隣で板に記録を書き込んでいく。 彼女は計算に集中すると、無意識に距離が近くなる癖があるらしい 。 ふわりと甘い、陽だまりのような匂いがして、柔らかな肩が俺の腕に触れる。


「……あ。智也くん、ここ。ちょっと見て?」


「えっ、どこ……?」


覗き込もうとした瞬間、エルナが湿った落ち葉に足を取られた。


「あうっ……!」


「おっと、危ない!」


とっさに俺が彼女の腰を抱き止めたが、勢い余って二人で資材の木材に押し付けられる形になった。 エルナの小柄ながらも驚くほど豊かな身体の感触が、腕越しに伝わってくる 。


「……ふあ。智也くん、やっぱりあったかい。……落ち着くね」


エルナは頬を赤くし、されるがままに俺の胸に寄りかかっている。 さらに、彼女が体勢を直そうと身をよじった拍子に、濡れて体に張り付いた薄いシャツから、背中のラインと、その下にある下着の結び目のようなものが透けて見えてしまった。


俺は慌てて視線を逸らし、肺に冷たい秋の空気を流し込む。


(……作業に集中しなきゃダメだ。心臓がもたない)


3. 黄金の石鹸と、隣にある決意

排水溝の設計と並行して、俺は「石鹸」の試作を始めた。 灰と、秋の猟で出た獣の脂を煮込んで混ぜる 。 だが、攪拌かくはんの精度が足りないのか、油と水が分離してしまい、ドロドロの塊にしかならない。


「……トモヤ、詰まってる?」


リュミアが、心配そうに鍋を覗き込む。


「混ざりきらないんだ。……これがうまく混ざれば、体を洗って病気を防げるんだけど。今の俺の腕じゃ、ここまでが限界だ」


リュミアは少しだけ考えてから、鍋に手をかざした。


「……私の『水』なら、もっと細かく、仲良くさせられるかも」


彼女が囁くと、鍋の中の水面が青白く光り、微細な振動を始めた 。 分離していた脂と灰汁が、魔法の振動によって均一に溶け合っていく。 数分後、鍋の中には黄金色の滑らかな液体が完成していた。



「……すごい。リュミア、助かったよ。これなら仕組みで回せる」


「……トモヤが、みんなのために考えてくれたことだから」


火を落とした後の静かな台所で、俺たちは並んで腰を下ろした。


「リュミア。……俺、勝手なことばかりしてないかな。村のやり方を、無理やり変えて」


リュミアは長い尻尾をゆっくりと俺の足元に寄せ、静かに言った 。


「……最初は、変な人だと思った。でも、今はわかる。トモヤの『線』は、誰かを守るためのものだって」


彼女の淡いブルーの瞳が、まっすぐに俺を射抜く 。


「……私も、隣で踏ん張る。だから、一人で迷わないで。……一緒に、考えよう」


その短い言葉が、秋の夜気で冷え始めていた俺の胸を、どんな火よりも熱く焦がした。


4. 族長の「責任」

翌朝、俺は族長の家を訪れた。


「族長。村の『秋の病』を防ぐため、井戸とトイレの場所を分けさせていただけないでしょうか。排水の道も、作り直したいのです」


俺はエルナと作った、排水と区画の図面を広げた。 獅子系の耳を持つ族長は鋭い目で図面をなぞり、重々しく頷いた 。



「病が見えぬからと放っておけば、冬の前に村は衰える。智也、お前の知恵は、この村の『根』を強くしているようだな」



「恐縮です。ですが、村の方々の協力が不可欠です」


「決める。この改善は村の義務とする。責任はわしが持つ。智也、指示を出せ」



族長の言葉を受け、ガルドたちが土を掘り始める 。 排泄物を堆肥に変え、石鹸での手洗いを習慣化する。 現代では当たり前のことが、この村では革命だった。



「智也殿。目に見えぬ恐怖から民を救うその采配、実に見事ですわ」



通りかかったラナが、感心したようにこちらを見ていた。 俺は黄金色の石鹸を手に、村の景色を見つめた。


(……この『線』の先に、全員が健やかに冬を越せる道を作ってみせる)


次は、この石鹸を量産するための、より安定した「配合」を確立するつもりだ。

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