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第79話《歯車の脈動と、黄金の指先》― 懐中時計―

1. 工業の心臓部:拡大された領都鍛冶屋


領主館での謁見を終えた数日後、俺はリュミアとエルナを伴って、領都の西側に新設された工業区画へと足を運んだ。


馬車を降りた瞬間、空気を震わせる重低音が鼓膜を叩いた。 「ドォン! ドォン!」と、リズムを刻む巨大な槌音。それはかつての、職人が一人で黙々と鉄を叩く静かな音ではない。組織化され、動力化された「工場の鼓動」だ。


「……すごい。以前に来た時とは、匂いまで違うね、智也くん」


エルナが目を細め、鼻先をひくつかせた。 以前は煤と汗の匂いだけだった。だが今は、高温で焼かれた鋼の匂いに加え、機械を潤滑する「黒油(重油)」の独特な香りが混ざり合っている。


「ああ。ここが、この国の新しい『心臓』だ」


案内された「第一領都工房」の扉を開けると、そこには巨大な空間が広がっていた。 俺が持ち込んだ「流れ作業(ライン生産)」の概念が、ここでは完璧な形で具現化されていた。


「おい! 三番ライン、寸法のチェックが甘いぞ! コンマ一ミリの狂いが、戦場では仲間の命を奪うと教えたはずだ!」


工房の奥から、聞き慣れた怒号が響く。ドワーフのギルド長だ。 相変わらずの厳しい顔つきだが、その眼光は以前よりも鋭く、そしてどこか誇らしげに見えた。


「ギルド長、お久しぶりです。相変わらずお元気そうで」


「おぉ、智也か! アイゼルから戻ったと聞いていたが、どうだこの工房は、見違えただろう!」


ギルド長は太い腕を拭いながら歩み寄ってくると、俺の肩を壊れんばかりの力で叩いた。その隣では、弟子が「智也さん、見てくださいよこれ!」と、完成したばかりの胸当てを掲げて見せる。


「これ、全部『型』で抜いてるんです。前みたいに一から叩き出す必要がないから、一日で百枚は作れるようになりました!」


工房内では、水車から引かれた動力がシャフトを伝わり、巨大な落としドロップハンマーを動かしていた。 「型」をセットし、真っ赤に熱した鋼板を置く。重厚なハンマーが一撃を加えるだけで、複雑な曲線を持つ鎧のパーツが正確に成形される。


「……素晴らしい。これなら熟練の感覚がなくても、一定の品質が担保できる」


俺が呟くと、周囲で働く若い職人たちが一斉に顔を上げた。 「智也さん! 俺たちが打ってるこの鋼が、王都の兵隊さんを支えてるんだってな!」 「ああ、昨日の出荷分も、全部『規格通り』に仕上がってるぜ!」


彼らの目には、単なる労働ではない、国を支える「インフラの担い手」としての自負が宿っていた。 技術は、ただ道具を便利にするだけじゃない。それに関わる人間の精神までも「規格化」し、底上げしていくのだ。




2. 時間の支配:ビトルと懐中時計の量産


鍛冶工房を後にした俺は、その一角に設けられた「精密加工室」へ向かった。 そこは、鉄粉の舞う屋外とは対照的に、静謐で、どこか研究所のような空気が流れている。


「……お兄ちゃん! 智也お兄ちゃん!」


部屋に入るなり、小さな影が弾丸のように突っ込んできた。ドワーフの天才少年、ビトルだ。 彼は俺の腰にしがみつくと、顔を上げて満面の笑みを浮かべた。


「アイゼル砦、勝ったんだよね! 僕が作ったバリスタの部品、役に立った!?」


「ああ、最高だったよ、ビトル。君の作った精密軸受がなければ、敵の攻城兵器を狙い撃つことはできなかった」


「えへへ……よかった!」


俺は彼の頭を撫でてから、懐から一つの布包みを取り出した。 アイゼル砦の戦利品、あるいは商人から特別に買い付けた「懐中時計の原型」だ。この世界ではまだ、一部の貴族が所有する「高価なおもちゃ」に過ぎない。


「ビトル、これを見てくれ」


包みを開くと、金細工の施された小さな時計が現れた。 ビトルの目が、一瞬で「職人」のそれに変わった。彼は奪い取るようにそれを手に取ると、裏蓋を器用に開けて内部を覗き込む。


「……すごい。このゼンマイ、手で巻いてるの? 歯車も、こんなに小さいのにちゃんと噛み合ってる……」


「これは王都で作られたものらしいが、精度にムラがある。……ビトル、俺はこれの『量産型』を作りたいんだ。それも、ただの時計じゃない」


俺は設計図の一枚を広げた。 「魔石の出力を一定の間隔で解放・遮断する『魔石ガバナー(調速機)』。これと脱進機を組み合わせれば、魔法の出力を『秒』の単位で制御できるようになる」


「秒……」


ビトルが息を呑んだ。 「これだ! これだよ、智也お兄ちゃん! 今までは魔石のエネルギーって、蛇口を全開にするか閉めるかしかできなかったけど……これがあれば、『秒』でエネルギーを切り出せる! 自動で動く機械の『脳』になるんだ!」


少年の興奮は止まらなかった。 だが、課題は山積みだ。これほど微小な歯車やネジを、ドワーフの太い指先だけで量産するのは限界がある。


「形は作れる。でも、お兄ちゃん、これを数百個、数千個って作るのは、僕一人じゃ無理だよ。……ドワーフの指は、大きな岩を砕くのには向いてるけど、この小さなネジを締めるのには……」


「分かっている。だから、新しい『仲間』を呼びに行くつもりだ」




3. 精密加工の担い手:栗鼠人族との邂逅


翌日、俺たちはフィアレル公から授かった「免状」を携え、領都の北方、古くから「迷いの森」と呼ばれる一角へ足を踏み入れた。


そこに住むのは、少数民族「栗鼠人族スクイレルフォルク」。 森の深い場所に作られた彼らの村は、俺がこれまで見てきたどの村とも違っていた。


「……わぁ、面白い形」


エルナが声を上げた。 巨大な樹木の幹に沿って、螺旋状に小さな家が整然と並んでいる。 地上には道がなく、代わりに丈夫なつるや細い板で作られた「空中回廊」が網の目のように張り巡らされていた。


「トモヤ、あそこ。……動いてる」


リュミアが指差した先。 視界の端で、黄金色の影が凄まじい速度で動いた。 体長は人間の子供ほど。ふさふさとした大きな尻尾と、尖った耳。 彼らは空中回廊を走るというより、跳んでいた。それも、両手にはナッツの入った籠や、何やら細かな道具を抱えたままで。


「キッ! キキッ!」


一匹の栗鼠人族が、俺たちの目の前の枝に止まった。 彼は止まった瞬間に、持っていたナッツの殻を、目にも止まらぬ速さで剥き始めた。 爪というより、指先に仕込まれた小さなナイフのような道具を使い、一秒に三個。 剥かれた殻は一箇所に整然と積み上げられ、中身は寸分違わず別の籠へと放り込まれる。


(……多動、と言ってもいいほどの高回転な集中力。それに、あの整理整頓の習性……)


俺は確信した。彼らこそが、時計産業の「指先」になる存在だと。


「栗鼠人族のおさに会いたい。フィアレル公の使者として、相談があるんだ」


俺が免状を掲げると、周囲の樹上から何十もの瞳が俺たちを凝視した。 彼らは極端な人見知りだと聞いていたが、俺が手に持っていた「鋼製の精密ピンセット(ビトルの試作品)」に、一人の若者が興味を示して近づいてきた。


「……それ、なに。キ。すごく、細い。指の代わり?」


「そう。これを使えば、君たちの指先よりもさらに細かな仕事ができる。……君たちのその素晴らしい速度と正確さを、もっと広い世界のために使ってくれないか?」


俺は彼らの習性を観察しながら語りかけた。 彼らは「バラバラなものを、決まった場所に、素早く並べる」ことに本能的な喜びを感じているようだった。


「領都に、新しい『精密部品工場』を作る。そこは君たちのための場所だ。高い場所が好きな君たちのために、建物の高層階を工房にする。君たちが作る『小さな歯車』が、この国の時間を動かすんだ」


長と呼ばれる老いた栗鼠人族は、俺が持参した懐中時計の内部構造を見つめ、信じられないほど細い指先で歯車を回した。


「……キキ。これ、面白い。パズルみたい。……俺たち、これ、たくさん並べるの、得意」


彼らの合意を得るのは、理屈よりも「面白さ」だった。 彼らにとって、複雑な機械の組み立ては、最高にスリリングで、最高に「整った」遊びなのだ。




4. エンジニアリングの結実:新ラインの構築


数週間後。領都に新設された工場の最上階。 そこでは、異世界でも前例のない「多種族協働」のラインが稼働し始めていた。


「ビトル、設計値はどうだ?」


「バッチリだよ、お兄ちゃん! 魔石の脈動を、このガバナーが完全に押さえ込んでる!」


中央の台座で、ビトルが魔石回路と調速機を最終調整する。そこから吐き出される、微小なネジ、極小の歯車、極細のゼンマイ。


それを、ラインに並んだ栗鼠人族たちが迎え撃つ。「キッ!」短い掛け声とともに、彼らの手が残像を残して動く。ピンセットを使い、肉眼では捉えきれない速さで部品を組み上げ、カチリ、カチリと時計の心臓部を完成させていく。


(……一人が部品を選別し、一人が組み込み、一人がネジを締める。……ドワーフの設計能力と、栗鼠人族の高速組立。これが、工学による『生産性の爆発』だ)


完成した懐中時計が、次々とベルベットの布の上に並べられていく。 それらは全て、一秒の狂いもなく、同じリズムで時を刻んでいた。


「智也くん。これがあれば……」 エルナが、完成した時計の一つを手に取った。


「ああ。これがあれば、戦場に散らばった部隊が『同じ瞬間』に突撃できる。……『時間』を量産する。それは、この国の秩序を、魔法の届かないレベルまで強固にするってことだ」


だが、俺は手元の帳簿を見て、軽く息を吐いた。


「……とはいえ、手放しでは喜べないな。これだけ手を尽くしても、今のラインじゃ『量産』とは程遠い。歩留まりが最悪だ。組み上げた十個のうち、七個はゼンマイの強度が足りずに弾かれている。……栗鼠人族たちの集中力をもってしても、月間三十セットが限界だ」


「三十……。王国の全軍に配るには、程遠い数字だね」


エルナが少し残念そうに、計算盤を叩いた。だが、エンジニアとして、俺の目は死んでいなかった。


「いいや、今はこれでいい。この『三十』という数字こそが、世界の仕組みを変えるための、最初の一歩だ。……まずは、前線の将軍や隊長といった指揮官にだけ配備する」


「指揮官だけに?」


「ああ。部隊を束ねるリーダーたちが『共通の時間』を持っているだけで、作戦の同期精度は劇的に上がる。地上部隊が秒単位で同時突撃を仕掛ける。……たった三十個の時計が、数万の兵の動きを一つの生き物に変えるんだ」


俺の手元で、一つの懐中時計が「チ、チ、チ」と規則正しい音を立てている。


それは単なる時間の計測器ではない。バラバラだった種族の特技が、一つの「仕組み」の中で噛み合った、新しい文明の鼓動だった。


「……じゃあ、やるか」


俺は短く呟き、次の設計図を広げた。 精密機械の基礎ができた今、俺の視界には、空を征く輸送隊に搭載すべき「高度計」や「風速計」の図面が浮かんでいた。


秋の風が、工場の窓から入り込み、新しい歯車の音を乗せて、王国全土へと広がっていった。


【読者の皆様へ】

最後まで読んでいただき、心より感謝申し上げます。

日常の忙しさの中で、数分でもこのファンタジーの世界を楽しんでいただき、現実から離れてリラックスできる一助となれば幸いです。


~もしよろしければ、ブックマークや評価で応援いただけると、執筆の励みになります!~


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