第78話《領主の免状と、救国の三種作物 》
1. 領都への帰還と「数字」の証明
アイゼル砦を包囲していたラグナ帝国の残党が地平線の彼方へ消え、峻険な山脈に秋の気配が本格的に立ち込める頃。俺たちは、再び領都フィアレルの重厚な城門をくぐった。
馬車の窓から外を覗き見た瞬間、俺の胸にエンジニアとしての誇らしさが込み上げた。
一年前、ここは泥にまみれ、淀んだ水が側溝に溢れる「停滞した街」だった。だが今は違う。 俺たちがメギド鉱山から運び込ませた「黒油(重油)」で舗装されたメインストリートは、太陽を跳ね返すような漆黒の輝きを放ち、雨上がりのぬかるみなど微塵も感じさせない。その上を、精密旋盤によって削り出された「標準軸受」を組み込んだ『規格馬車』が、以前の数倍はあろうかという速度で、軽快な音を立てて走り抜けている。
「……智也くん、見て。街の歩幅が、私たちの計算通りに速くなっているよ」
隣で帳簿を抱えたエルナが、のんびりと、けれど確信に満ちた声で囁いた。彼女の言う通り、街を行き交う人々の表情からは「明日への不安」が消え、新しい仕組みを受け入れた者の「活気」が溢れている。
領主館の大広間。 そこには、フィアレル公をはじめ、領地の各部門を司る実務家たちが、かつてない熱量を持って集まっていた。
「智也殿! よくぞ戻られた。アイゼル砦の不落の知らせ、このフィアレルにも届いておりますぞ!」
穏やかなカバの獣人、フィアレル公が椅子から立ち上がり、俺の両手を力強く握った。彼の後ろでは、娘のアリア様が、ちんちくりんな背丈を精一杯伸ばしながら、好奇心と「ツン」とした誇らしさが入り混じった瞳で俺を射抜いている。
「……ふん、遅かったじゃない。でも、あのバリスタの設計図、すごかったですわよ。私、全部読み解いておきましたから!」
相変わらずの熱量だ。俺が苦笑いしていると、実務担当者たちが次々と紙を広げた。
「報告させていただきます、智也殿!」 農政官が、興奮で声を震わせながら一歩前に出た。 「あなたが導入した輪作体系、そして精密旋盤で量産された『鋼製農具』の配布が完了しました。……結果、今期の領内収穫量は、昨対比で一・五倍に跳ね上がりました! 算出上、今年の冬、このフィアレル領で飢えに泣く者は一人も出ません!」
続いて、メギド鉱山から駆けつけたバルトロさんが、煤のついた手で誇らしげに胸を叩いた。 「鋼の生産も順調ですぜ、智也さん! 新しい高炉の火は一日たりとも絶えていやせん。産出された鋼の質は安定し、インゴットの山が毎日積み上がっています!」
軍務官も、重厚な声で続けた。 「メギド鋼の安定供給により、月産一、〇〇〇セットの『規格鎧』と『交換式長槍』の生産ラインが確立されました。昨日も一千の武装が王都のヴァレリア様のもとへ向かいましたぞ。前線の兵士たちは、この鋼の板一枚を『奇跡』と呼んでおります!」
数字。それは魔法よりも残酷で、そして何よりも雄弁な真実だ。俺が持ち込んだ「工学」という種が、今やこの領地、ひいてはこの国の息の根を繋ぐ巨大な樹木へと成長していた。
2. 知恵の広がり:少数民族への「免状」
謁見が一段落した夜。俺は領主フィアレル公と、アリア様、そしてバルトロさんを交えた少人数での歓談の場を設けてもらった。
「公。今の成果は、あくまで既存の技術を『整えた』に過ぎません」
俺の言葉に、公は意外そうに眉を上げた。 「これほどの成果を出しながら、まだ先があるというのかね?」
「はい。帝国の物量に対抗し、さらにこの国の文明を一段階引き上げるには、汎用的な技術だけでは足りない。それぞれの分野に特化した『技術の徒』が必要です」
俺は、クリフネスト村で見た鳥人族の機動力や、蝙蝠人族の音響感知能力について語った。
「彼ら少数民族は、人間や普通の獣人が数百年かけても到達できない『特技』を本能として持っています。彼らの知恵を仕組みの中に組み込みたいんです。一人の天才ではなく、特技を持つ集団を繋ぐハブを作る。それが俺の次の設計図です」
フィアレル公は深く、深く頷いた。そして、傍らの執事に合図を送り、一枚の重厚な紙を持ってこさせた。そこには領主の紋章が鮮やかに刻印されている。
「智也殿、いや、救国改革総責任者・智也。そなたにこれを授けよう。……『領主特使の免状』だ。これがあれば、この領内のあらゆる部族と直接交渉し、協力を仰ぐ権限を与える」
「フィアレル公……」
「そなたの知恵が、この領を救った。今度は、その知恵で王国全土の民を繋いでやってくれ。まずは北の森に住む『栗鼠人族』を訪ねるのが良いだろう。彼らの手先の器用さは我が領の至宝だが、少々人見知りでな。そなたの理屈なら、彼らも耳を貸すはずだ」
俺は免状を受け取り、その重みを掌で感じた。 「ありがとうございます。」
アリア様が、「私もついていきたいですわ!」と騒ぎ出すのを、バルトロさんが笑って宥めていた。
3. 農業革命の加速:三種の救世主
翌朝から、俺は農政官のハンスさんを伴い、領都周辺の試験農場へと向かった。 ここでの任務は、スノウィ村で成功させた「三種の救世主」――ジャガイモ、トウモロコシ、綿花の大規模普及だ。
「ハンスさん。小麦は素晴らしい作物ですが、気候変動に弱い。……ですが、この『ジャガイモ』と『トウモロコシ』は不毛の地や寒冷地でも確実にエネルギー(カロリー)を産み出します。小麦が主食なら、これらは『命の保険』です」
俺は土の中から掘り起こしたばかりの、泥のついたジャガイモを掲げた。
「これを『救国の作物』として、全ての村へ配布してください。ただし、スノウィ村の『木札』と同じく、芽の毒に関する安全マニュアルの徹底を条件にします」
「承知しました! さらなる食料の増産ですね。植え付けは来春なので、この種芋達をフィアレル領のすみずみまで広めましょう」
彼は一度言葉を切ると、地図の北方に指を這わせた。
「また、サンプルを北方のスラン領にも配布しておきます。あちらは冷害に悩まされていると聞きます。きっと彼らも喜びますぞ」
ハンスの口調には、自領の発展だけでなく、同盟領への配慮まで含んだ力強さがあった。 本格的な普及は春からだが、この「泥臭い救世主」がこの国の食糧事情を劇的に変える日は、そう遠くないだろう。
さらに俺が力を入れたのは、白い綿毛を蓄えた「綿花」だ。
ハンスさんの部下の農政官達が熱心にメモを取る中、俺は白い綿毛を蓄えた「綿花」の苗を見つめていた。
(綿があれば、冬の防寒具だけじゃなく、機械のベルト材料や軍用キャンバスも量産できる……。だが、今のままの手紡ぎじゃ効率が悪すぎるな。精密旋盤で削り出したベアリング付きのスピンドルを使い、『高速紡績機』を早急に設計しないと。生産効率を数倍に引き上げれば、この国の『衣服』の概念が変わるはずだ)
俺の脳内では、すでに複雑な歯車の噛み合わせが組み上がり始めていた。
4. 物流の心臓:『馬の量産クラフト』
試験農場をあとにして、俺たちは牧場にたどり着いた。
次に俺が着手したのは、この世界の移動力の根幹――「馬」のシステム化だった。
「アイゼル砦で痛感しました。どんなに優れた武器を作っても、運べなければただの鉄屑だ。……物流の主役である馬そのものを、『仕組み』としてアップデートします」
俺は名馬の産地、フィアレル領の北西のバランタイン領から提供された名馬の血統をベースに、新たな『兵站拠点』を設立した。
①血統の対照図譜(系統管理) ベテラン馬主の脳内にしかなかった「勘」を、羊皮紙の図表へ落とし込んだ。親馬の「駆動力」「気性」「骨格」を五段階で格付けし、相性を一目で判別できる「交配帳」を作成。近親交配というリスクを排除し、目的に合わせた「規格通りの仔馬」を計画的に生産する。
②加熱処理の練り餌(高効率飼料) 仔馬の離乳に合わせ、大豆を煮炊きして消化を助ける「特製練り餌」を導入した。さらに、焼き固めて砕いた魚骨や貝殻を混ぜ込み、骨格形成を促す。魔法に頼らずとも、この栄養管理だけで成馬への成長期間を三割近く短縮した。
③白石灰の浄化法(衛生管理規範) 仔馬を死なせる「馬疫」の正体は不衛生だ。厩舎の床に白い石灰を撒いて消毒を徹底し、湿った藁を毎日替える「清浄の法」を定めた。経験則に頼っていた病対策を「手順」に変えることで、仔馬の生存率を劇的に引き上げた。
「智也殿……。一歳の仔が、去年の二歳馬より逞しく育っておる。これはもはや『算術』の勝利ですな!」
驚愕する農政官たち。彼らには奇跡に見えるだろうが、これは単なる「工程の標準化」と「栄養の最適化」の結果に過ぎない。
「素材(血統)の力を、仕組み(システム)で限界まで引き出す。これでコモンス王国の機動力は、今までにない速度で膨れ上がるはずだ」
空はどこまでも高く、澄み切った秋の風が、仔馬たちの背中を優しく押し出していった。
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