第77話《新たな設計図、東方の『知恵の連合軍』》
1. 垂直の絶壁、空を喰らう村
馬車の揺れが止まり、俺が外へ足を踏み出した瞬間、肺の奥を突き刺すような鋭い冷気に襲われた。
「……は、あ。……すごいな」
目の前に広がっていたのは、文字通り「空を削り取ったような」光景だった。 峻険な断崖絶壁。その垂直の壁に、無数の横穴が穿たれ、そこからせり出すように太い杭で支えられた木造の家々がひしめき合っている。 アイゼル砦も高所にあったが、ここ『クリフネスト集落』の高度は、さらに一段、空に近い。
「ようこそ、俺の故郷へ。……足元、気をつけてな」
レオンが翼を軽くはためかせ、浮かれた様子で先陣を切る。 俺たちは崖に沿って設置された、頼りない吊り橋とハシゴを渡り始めた。
「トモヤ……。大丈夫?」
隣を歩くリュミアが、心配そうに俺の腕を支えてくれる。麻の服越しに、彼女の指先の温もりと、少し緊張した鼓動が伝わってくる。 チャコールグレーの猫耳が、高山特有の鋭い風音を拾うようにぴくりと震えていた。
「ああ。……それより、この村の作り。少し奇妙じゃないか?」
俺はエンジニアとしての直感を口にした。 見上げる上層には、色鮮やかな装飾が施された立派な邸宅が並び、翼の大きな若者たちが誇らしげに飛び交っている。 一方で、崖の底部——つまり地に近い場所には、古びた、けれど堅牢な造りの家が並び、そこには翼の衰えた老人たちが静かに暮らしていた。
「逆転している……」
(……地上では、権力者は安定した高台に住むのが常石だ。だが、この村では『飛行効率』が位階を決めている。上昇気流を掴みやすい高層階こそが特等席、というわけか)
物理法則に従った、あまりに合理的な、そして厳しい「垂直のヒエラルキー」。 俺はその「逆転の位階」に、この種族の生き様を見た気がした。
2. 静寂の間、広げられる「標準の地図」
最下層にある、一際大きな横穴。 そこは『静寂の間』と呼ばれる、長老会議の場だった。 俺たちの前に座るのは、翼に白い羽が混じった、威厳ある五人の長老たち。
「レオンよ。……東の砦を守り抜いたという話、風に乗って届いておるぞ」
中央の長老が、重厚な声で言った。 レオンは一度深く頭を下げると、俺に目配せを送る。 俺は頷き、懐から数枚の羊皮紙を取り出した。 最新の『コモンス王国の地図』だ。
「長老。現在、王国はラグナ帝国の物量という暴力に晒されています。……俺たちは、一人の英雄に頼るのではなく、領土全体を一つの『仕組み』として繋ぐ必要があると考えています」
俺は地図を指でなぞりながら、フィアレル領の生産量、そしてアイゼル砦の勝利をロジカルに説明した。 会議を囲む若き鳥人たちの目が、徐々に熱を帯びていくのが分かる。
「提案します。……鳥人族の圧倒的な機動力を、王国の『通信網』、そして『物流の目』として貸していただきたい。正確な情報を、一秒でも早く。それが数万の命を救う『知恵』になります」
「国の目……。面白いことを言う人間だ」
長老の一人が、地図に描かれた整然とした「道」の線を見つめ、満足げに鼻を鳴らした。
3. 禁忌の谷、空を征く「牙」
会議の終わり際。 一人の長老が、深い皺の刻まれた手で俺の肩を叩いた。
「智也と言ったな。……お前の知恵が本物なら、この村の奥にある『飛竜谷』の話をしよう」
その名が出た瞬間、レオンの表情が引き締まった。
「かつて我が族は、飛竜の背を借りて空を運んでいた伝説がある。……だが、今や奴らは荒ぶる野生。もしテイム(服従)させることができれば、お前の言う『物流』とやらは、山の高さを克服するだろう」
長老は一度言葉を切り、鋭い視線を投げかけた。
「だが、飛竜は気流を読み違える者を許さない。……そして、あの『咆哮』に三半規管を焼かれぬ覚悟はあるか?」
(……飛竜による大型輸送。きたな)
俺の脳内で、航空力学と物流計算の歯車が回り始めた。 不可能な距離を数時間で飛び越える、空のトラック。 それは、救国改革にとって最後の、そして最大のピースになるはずだ。
「……じゃあ、やるか。」
俺の短い決意が、薄暗い横穴に力強く響いた。
4. 牙を剥く「透明な壁」
クリフネストの集落を背に、俺たちはさらに北、雲が渦を巻く『飛竜谷』の入り口に立っていた。
同行するのは、俺たちに加え、レオンが呼び集めた十数人の鳥人族の若者たちだ。彼らは村の中でも一際大きな翼を持ち、急峻な上昇気流を遊び場にする「空の精鋭」だ。
「智也、ここから先が本番だ。……風の匂いが変わるぞ」
レオンが翼を鋭くしならせ、空気を切り裂く。 だが、谷の門を潜った瞬間。俺たちの常識は、物理的な暴力によって粉砕された。
「……っ!? なんだ、この風は!」
突如として襲いかかったのは、一定方向の強風ではない。 上から叩きつけられたかと思えば、次の瞬間には足元から掬い上げられるような、不規則極まりない『乱気流』
「智也殿、下がってください! 空気が……空気がねじ切れていますわ!」
ラナが叫び、俺の前に立ちふさがる。 見れば、空の専門家であるはずの鳥人の若者たちが、まるで荒波に放り出された木の葉のように翻弄されていた。
「うわああああっ! 翼が……翼が利かねぇ!!」 「失速する! 離脱しろ、離脱——!!」
一人の若者が、目に見えない巨大な渦に呑み込まれ、岩壁へと叩きつけられそうになる。 レオンが間一髪でその腕を掴み、強引に軌道を変えたが、彼の顔にはかつてない焦燥が張り付いていた。
(……航空力学でいう『ボルテックス(渦)』の規模が違いすぎる。地形による偏風だけじゃない。飛竜が羽ばたくたびに、谷全体の気圧を書き換えているんだ……!)
5. 三半規管を焼く「見えない牙」
風の暴力に耐え、なんとか谷の深部へと一歩踏み出したその時だった。
谷の奥、重なり合う雲の向こうから――「それ」が放たれた。
『――――――――――――ッ!!!!』
鼓膜に届く音は、それほど大きくはなかった。 だが、次の瞬間。俺の視界は、激しく上下に回転を始めた。
「……ぐ、っ!? あ、あああぁっ!」
激しい目眩。 平衡感覚が、糸を切られたマリオネットのように消失した。 立っているのか、倒れているのかすら分からない。 胃の底から酸っぱい熱気がせり上がり、俺はたまらず岩場に膝を突いた。
「トモヤ! 準備、できた!? ……じゃない、トモヤ! しっかりして!!」
リュミアが俺の肩を抱き寄せるが、その彼女の手すら、今の俺には「世界の歪み」の一部にしか感じられない。
「……咆哮、じゃない。超音波、だ……」
(……数万ヘルツを超える、高周波の振動。それが俺たちの耳を通り越し、脳の平衡中枢を直接殴りつけている。物理的な防御が、何一つ通用しない……)
鳥人の若者たちは、空中で次々と意識を混濁させ、墜落の危機に瀕していた。 ガルドが地響きのような咆哮を上げて若者たちを受け止めるが、彼自身もまた、足元のふらつきを隠せていない。
「……クソっ! 今は無理だ! 全員、撤退だッ!!」
レオンの悲痛な叫び。 俺たちは主の姿を拝むことすら叶わず、命からがら谷を逃げ出した。
6. 敗走の夕暮れ、長老の「導き」
クリフネストに戻った俺たちは、泥にまみれ、沈黙に包まれていた。 空の精鋭たちが、文字通り「翼を折られた」ショックは大きい。
「……あんなもん、どうしろってんだよ」
レオンが、羽の抜けた翼を忌々しげにさすった。 俺は地面に、震える手で『周波数』と『乱気流』の相関図を描き始めた。 エンジニアとしての敗北感が、腹の底でじりじりと焼ける。
(風が読めない。音が防げない。……この二つの壁を壊さない限り、飛竜のテイムなんて夢のまた夢だ)
そこへ、長老が静かに歩み寄ってきた。
「……やはり、個人の力では及ばなかったか。智也よ、落胆するな。飛竜は、一族の力ではなく『理の繋がり』を試しているのだ」
長老は空を見上げ、北の暗い森を指差した。
「わしから『梟人族』へ頼りを出しておいた。彼らは風の『流れ』を視るスペシャリストだ。……だが、あの『音』については、森のさらに奥、闇を住処とする『蝙蝠人族』に聞くのがよかろう」
「バットフォルク……」
(蝙蝠。……エコーロケーション。超音波の専門家か!)
「彼らは音を波として捉え、暗闇の中で形を見る。……お前の知恵と、彼らの耳。それが合わされば、あの狂った旋律を静める『楽器』が作れるかもしれん」
7. 知恵の拡張、少数民族の「ハブ」へ
長老の言葉は、俺の脳内に新しい「設計図」を投影した。
「長老。……このコモンス王国には、まだ他にも、特別な知恵を持つ民がいるのですか?」
「ああ。西方は大きな国力でまとまっておるが、東方は峻険な地形ゆえに、少数民族がそれぞれの『特技』を磨いて生き延びてきた。……驚異的な手先の器用さを持つ『栗鼠人族』、強靭な粘りの糸を産む『蜘蛛人族』、そして水辺の要塞を築く『ビーバー族』……」
長老が名を挙げるたび、俺の胸の高鳴りは速くなっていった。
(精密加工。高強度ワイヤー。水利土木。……俺が一人で、あるいは人間だけで数百年かけて到達すべき技術の頂が、この地の民の中に既に『本能』として存在している……!)
「智也君、面白いね。数字を並べる前に、まずは『仲間』を並べなきゃいけないんだ」
いつの間にか後ろに立っていたエルナが、のんびりと、けれど確信に満ちた声で囁いた。
「……そうだね、エルナ。中央の防御……アイゼル砦から王都までを『面』で守るには、彼らの協力が不可欠だ。……これは、ただのテイムじゃない。東方の『知恵の連合軍』を作るための戦いだ」
クリフネスト村の夜空。 その向こうには、数多の種族が紡いできた「知恵」が、星々の瞬きのように俺たちを待っていた。
【読者の皆様へ】
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