第76話《静寂の森と鎧の下の震え》
1. 隊商の「珍品」と、精密の極み
翌朝。村の入り口に、見慣れた隊商の旗が翻っていた。 かつて俺にジャガイモの種を売った、あのリーダーだ。
「よお、英雄さん。噂は聞いてるぜ。フィアレルをひっくり返して、アイゼルを鉄壁にしたんだってなぁ」
リーダーは快活に笑い、連れてきた一頭の馬を叩いた。 筋骨隆々とした見事な駿馬だ。
「あんたの活躍のおかげで、このあたりの道が走りやすくて助かる。これは礼だ。物流を強化したいって言ってたよな? 王国一の脚を持つ名馬だぜ。……それとな、西の王都で面白いもんを見つけてきた」
彼が取り出したのは、掌に乗るサイズの小さな金属製の塊だった。 古びた金細工の蓋を開けると、中から「チ・チ・チ」という規則正しい音が響く。
「……懐中時計の原型か!?」
俺は思わず身を乗り出した。 ゼンマイと脱進機を用いた、機械式の計時装置。 まだ精度は甘いが、構造は紛れもなく『時計』だ。
「これなら……ビトルに見せれば、魔石ガバナーと組み合わせて、完全に『標準化された秒』を量産できる!」
(……作戦行動の同期、列車の運行、工場のシフト管理。全ての近代化に、この『秒』が必要だったんだ)
俺は震える手で、その時計を受け取った。 ビトルの天才的な回路設計と、精密な組立技術があれば――この世界の「時間」は一気に加速する。
「あんたなら、その『チクタク鳴るだけのガラクタ』の価値が分かると信じていたぜ。」
2. 職人の矜持、二代目の咆哮
グレンは、自分たちが去った後の工房の扉を蹴り開けた。 「……おい! 怠けてねぇだろうな、野郎ども!」
グレンの怒号に応えたのは、数人の若き職人たちの活気に満ちた返声だった。 工房の中央には、智也が設計し、彼らが遺した「二代目精密旋盤」が鎮座している。 かつてはグレン一人にしか扱えなかったその機械を、今はドワーフの少年や人間の娘が、当然のような顔で使いこなしていた。
「……ほう」
グレンの目が鋭くなる。 一人の弟子が、削り出したばかりの農具の「ネジ」を持って駆け寄ってきた。
「親方! 治具の三番角度、コンマ二ミリの摩耗が見られたので、昨日修正しておきました! 荷重計算もバッチリです!」
グレンは無言でそのボルトを手に取り、掌の感覚だけで精度を確かめる。 厳しい顔は崩さない。 だが、その瞳の奥には、自分たちがいない間も「精度」を追求し続けた弟子たちへの、深い満足感が宿っていた。
「……ふん。まだまだだな。焼き入れの色がコンマ一秒遅い。……だが、寸法と荷重を忘れてねぇのは認めてやる」
(……グレンさん。素直じゃないけど、口元が緩んでますよ)
俺は後ろで見守りながら、工学が「個人の技」から「組織の力」へと変わった瞬間を、確かな手応えとして噛み締めていた。
3. 重油の膜、永続する回転
ハックは、村の外れにある巨大水車の点検に向かった。 「智也の野郎が言ってた『ベアリング』、まだ泣いてねぇだろうな……」
彼が主軸のカバーを外すと、そこには滑らかな黒い輝きがあった。 俺が持ち込んだ黒油(重油)による潤滑。 それが、村人たちの手で定期的に差し替えられ、一年の酷使を経てもなお、軸受を無傷に保っていた。
「……馴染んでやがる」
ハックは、汚れるのも構わずにその黒い油に触れた。
「魔法の呪文より、この『泥臭い油』の方が、ずっと長く村を守ってたわけか。……智也の理屈は、本当に理不尽なくらい正しいな」
(……再現性、そして持続性。それこそが俺がこの世界に残したかったクラフトだ)
水車は「ゴウン、ゴウン」と、かつてよりも低い、安定した音を立てて回り続けていた。 その一定のリズムは、村の命の鼓動そのものだった。
4. 戦士の休日、静かなる殺意の消失
村の広場で、ガルドとラナが武器を整えていた。 「……智也。ちょっと森まで行ってくる。宴の肉が足りなくなると困るからな」
「わたくしも同行しますわ。……智也殿、今の森は、あなたの『知恵』で随分と穏やかになりましたけれど、やはり刃を鈍らせるのは戦士の恥ですから」
二人は連れ立って、村の北側に広がる深い森へと消えていった。 かつては「フォレスト・ウルフ」や「新緑の王」が闊歩し、一歩足を踏み入れれば死を覚悟した森。
だが、今の森には智也が設計し、弟子たちが保守し続けている「仕組み」がある。 特定の獣道を狙った『まきびし』の散布、踏み抜けば拘束される『アンカー・ボルト』。 生態系を壊さない程度に、魔物の分布を制御する「工学的なゾーニング」。
ガルドは槍を担ぎ、笑って言った。 「……智也が来てから、森の空気まで『理屈』が通るようになった気がするぜ。獲物がどこに追い詰められるか、目をつぶってても分かる」
「ええ。ですが、最後の一刺しは『肉体の規律』ですわ」
二人のコンビネーションは、かつてないほど洗練されていた。 信頼という名の歯車が、一分の狂いもなく噛み合っている。 それは、智也が作った「仕組み」の上で咲いた、究極の個人技だった。
「……ガルド。……アイゼル砦でのこと、覚えていますわね」
ラナの声は、いつも通り凛としていた。 だが、槍の穂先を見つめるその瞳が、僅かに揺れている。
「智也殿の『知恵』は、確かに不落でした。……けれど、わたくし達のの放った矢の先で、何百、何千という命が、消えていくのを見ましたわ」
ラナは、自分の白く細い指をじっと見つめた。
「正直、ショックでしたの。わたくしが守りたかった規律は、あんな凄惨な光景の果てにあるものだったのかと。……今も、目を閉じると、帝国兵の叫びが聞こえるのです」
彼女の肩が、薄い防具の下で小さく、けれど耐えきれないほどに震えていた。 村一番の美貌を持つ戦士。 その重圧に耐え続けてきた彼女が、初めて見せた「弱さ」だった。
「……。おう、任せておけ」
ガルドが、重々しく口を開いた。 彼は血のついた自分の掌を、無造作に太ももで拭うと、ラナの前にどっしりと立った。
「ガキの頃から、お前は自分勝手に……いや、『自分ごと』にしすぎるんだよ、ラナ。あそこで死んだ奴らの分まで、お前一人が背負う理屈なんてどこにもねぇだろ」
「……ガルド」
「いいか。智也は『仕組み』を作った。お前は『規律』を守った。それで村やこの国が助かった。……十分だろ」
ガルドは、丸太のように太い自分の右腕を、ラナの目の前に突き出した。 そこには、連日の鍛錬と戦場での死闘で刻まれた、無数の傷跡と逞しい筋肉が躍動している。
「この太い腕はな、お前が一人で背負いきれねぇ『苦労』を、横から受け止めるために太くなったんだ。……寸法と荷重は、俺の方が上だろ? だから、半分よこせ。俺が持っててやるよ」
荒っぽい、けれど一分の曇りもない信頼の言葉。 ガルドの大きな手が、ラナの震える肩を、包み込むようにガシッと掴んだ。
ラナは驚いたように顔を上げ、ガルドの不器用な笑みを見つめた。 やがて、彼女の瞳から張り詰めていた緊張が解け、長い睫毛がゆっくりと伏せられる。
「………………。ありがとう、ガルド。……本当に、あなたは、不器用な人ですわね」
ラナは小さく、けれど晴れやかな声を漏らした。 彼女の手が、ガルドの太い腕にそっと重ねられる。
二人の影が、森の中で、静かに寄り添い合っていた。 遠くで、スノウィ村の平和を告げる夕暮れの鐘が、穏やかに響き渡った。
【読者の皆様へ】
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