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第74話【コモンス王国⑥】《第2次ルーン大河防衛戦③》

1. 摩耗する戦線:一ヶ月の死闘


夏の湿った熱気は過ぎ、空の色は高く、透き通るような秋の気配が混じり始めていた。


だが、西方『灰色の牙』砦に漂う空気は、季節の移ろいなど拒絶するかのように、重く、淀んでいる。


「……あちこち、ガタが来てやがるな」


俺――カナクは、砦の天守に立ち、自慢の美髯びぜんを無造作にしごいた。


かつては鋼のような艶を誇ったその髭も、今は煤と返り血、そして二ヶ月におよぶ不眠不休に近い指揮によって、見る影もなく荒れている。


視線の先、ルーン大河の対岸には、依然としてラグナ帝国の漆黒の陣幕が連なっている。


当初、五万を数えた帝国の軍勢も、一ヶ月に及ぶ包囲戦と、俺たちが仕掛けた数々の「仕組み」によって、その数は目に見えて減っていた。


だが、それでもなお、残された数万の圧力は、この傷だらけの砦を圧し潰すには十分すぎるほどだった。


「将軍、第三外壁の修復、完了しました。……土嚢を積み増しましたが、次の投石でどこまで持つか」


副官が、震える声で報告を上げる。


砦の防壁は、あちこちが巨石によって削り取られ、崩落した箇所を土嚢と木材で強引に塞ぐという、継ぎ接ぎだらけの有様だ。


「各領地からの増援はどうなった」


「……先ほど、スラン領とフロリー領から計 120 名が到着しました。ですが、昨夜の夜襲による損耗を埋めるのが精一杯です」


届くのは「百人、二百人」といった、焼け石に水のような細い増援ばかり。


それを俺は、文字通り肉の壁として組織化し、崩れそうな防衛線の穴に叩き込んできた。




2. 王都参謀本部:数字との戦い


同じ頃、王都コモンスの作戦本部。


重厚な円卓を囲む者たちの表情は、西方戦線の硝煙よりも、さらに冷たく、険しかった。


「……現状、カナク将軍はとてつもなく善戦しております。三百メートル地点の陣地を放棄した後も、砦の本体を死守し、帝国の先遣隊に甚大な被害を与え続けています」


軍師キャンベルの声が、広い会議室に乾いた音を立てて響く。 彼は指示棒を動かし、地図上の青い駒――王国軍の配置を指し示した。


「承認。カナク将軍の粘りは、まさに『不動の盾』と呼ぶにふさわしい。……ですが、ここからが問題です」


キャンベルの瞳が、冷徹な分析官のものへと変わる。


「兵の補充が、死傷者の発生に追いつきません。帝国側は五万の兵力を交代させながら波状攻撃を仕掛けていますが、我が軍の精鋭一万五千は、一度も戦線を離れることができない。……このままのペースで消耗が続けば、来月には、防衛線は自重で瓦解する可能性があります。」


沈黙が会議室を支配する。 中央に座るヴァレリア王女が、白く細い指でテーブルの端を強く握りしめた。 背に生えた竜の翼が、彼女の焦燥を代弁するように、鋭く閉じられている。


「……さらなる徴兵は可能ですか?」


「はい。すでに各領地からのさらなる徴兵を進めてはおります。……ですが、ここからが正念場です」


キャンベルの瞳が、冷徹な分析官のものへと変わる。


「今は穀物の刈り取りや冬小麦の耕作など、農繁期のピークです。これ以上の動員を行い、生産人数が落ちれば、国そのものを内側から枯死させることになります。戦う前に、飢えで滅ぶ道を選ばせるわけにはいきません」


「……そうだ。その通りだ、、、」


大将軍アストリアが、重々しくつぶやいた。


アストリアは、手元に置かれた規格鎧の予備パーツを、愛おしむように見つめた。「フィアレルからのメギド鋼の武器防具の供給がなければ、今頃は国境が突破されていただろう。……カナクたちは、この鋼の板一枚に命を預けて耐えているのだな」


ヴァレリア王女が、潤んだ瞳を地図へと落とす。


(……フィアレル卿。あなたが、そしてあの『知恵者』が、これほどの『秩序』を送り届けてくれているのに。私は、それをただ使い潰すことしかできないの……?)


暗雲が、王国の心臓部を覆い尽くそうとしていた。




3. 爆発する歓喜:アイゼルからの伝令


「……何か、打開策はないのか、キャンベル」


ヴァレリアの消え入りそうな問いに、キャンベルが答えに窮していた。その時だった。


「――緊急報告ッ! アイゼル砦より、至急便ですッ!」


廊下を駆け抜ける激しい足音が、会議室の重苦しい空気を切り裂いた。 扉が乱暴に開かれ、全身泥にまみれ、肩で息をする伝令の兵士が転がり込んできた。


「アイゼル……!?」


アストリアが顔を歪める。


(帝国の別働隊五千が向かったと聞いている、北東の要衝だ。だが、 あそこにはわずか五百の守備隊しかいない。バランタイン領からの増援もまだ到着していないなずだ。落ちてしまったか...。)


ヴァレリアが、青ざめた顔で伝令を見つめた。


「……アイゼル砦は……陥落してしまったのですか?」


伝令は、大きく息を吐き出し、叫ぶように答えた。


「いいえ! ……吉報です! アイゼル砦、大勝利! 帝国の別働隊五千を完全撃退! 敵は壊滅的な打撃を受け、敗走中とのことです!」


「…………何だと?」キャンベルの手から、指示棒が床に落ち、乾いた音を立てた。


アストリアが驚愕の声を上げる。 「大勝利……!? 五千の精鋭を相手に、五百のアイゼルが完全撃退したというのか! 壊滅的な打撃とは!?」


キャンベルは、震える手で報告書を奪い取るように受け取った。 その内容を読み進めるにつれ、彼の表情は紅潮していく。


「……なんだ、これは。……大型バリスタによる投石器破壊、落石による高層櫓やぐらの粉砕……さらに連弩れんどによる、計算され尽くした十字砲火……」


キャンベルの口から、驚愕の言葉が漏れる。


「……『工学』による処理!!?。何なんだ、この防衛方法は……?」


報告書には、フィアレルの『知恵者』、高瀬智也という男が、いかにして重力と物理法則を「設計」し、数倍の敵を磨り潰したかが記されていた。 そこには、魔法の奇跡など一片もなかった。ただ、冷徹なまでの「仕組み」の勝利があった。


「……よっしゃあああ!! 残った! アイゼルが、王国の東方が残ったぞ!!」


沈黙が支配していた王都戦略局の作戦会議室に、アストリアの野太い叫びが爆発した。彼は卓上の地図を叩き、子供のように拳を突き上げる。


隣で固まっていたキャンベルも、普段の冷静な仮面をかなぐり捨て、紅潮した顔で歓喜の叫びをあげていた。二人は立場も忘れ、互いの手を取り合って激しく上下に振って喜びあっていた。


「……アイゼルが、残った……」


ヴァレリアが、その場に膝を突く。 彼女の頬を、安堵の涙が伝い落ちた。 王国の鉱山の心臓部であるフィアレルへと続く道。その最期の砦が、異世界の知恵によって死守されたのだ。




4. 潮時:撤退を始めた帝国軍


その吉報が、風に乗って西方戦線へと届くより早く。 『灰色の牙』砦を包囲していたラグナ帝国軍に、異変が起きた。


「……おい、どういうことだ。太鼓の音が聞こえねえ」


砦の屋上で、カナクは耳を澄ませた。 昨日まで、絶え間なく鳴り響いていた帝国の進軍ラッパと、大地を揺らす太鼓の音が、ぴたりと止まっている。


翌朝、朝霧が晴れていく中で、カナクはその「答え」を目撃した。


「……撤退、だと?」


副官が、信じられないものを見るかのように呟く。 砦の眼下、ルーン大河の対岸を埋め尽くしていた数万の兵が、整然と隊列を組み、撤退していく。


「……なぜだ? 奴ら、あと一押しでここを崩せただろうに。なぜ今、矛を収める?」


カナクの困惑をよそに、帝国の撤退は迅速かつ迷いがなかった。


「……将軍、見てください! 奴らの軍旗が、力なく垂れ下がってやがる!」


一人の兵士の叫びに、カナクは目を細めた。 対岸に翻る漆黒の旗。それは、もはや「蹂躙」を確信する者の旗ではなかった。 損害を嫌い、勝機を失ったことを自覚した、合理的な「後退」の旗だ。


遠くに響き渡る帝国の撤退を告げる太鼓。 その音を聞きながら、カナクは砦の壁に背中を預け、ゆっくりと地面に座り込んだ。


「……わかんねえが。……勝ったんだな、俺たちは」


「……はい、将軍。守り抜きました」


副官の目から、一筋の涙が頬を伝う。 カナクは、煤けた空を見上げた。 そこには、二ヶ月ぶりに見る、澄み切った秋の青空が広がっていた。


【読者の皆様へ】

最後まで読んでいただき、心より感謝申し上げます。

日常の忙しさの中で、数分でもこのファンタジーの世界を楽しんでいただき、現実から離れてリラックスできる一助となれば幸いです。


~もしよろしければ、ブックマークや評価で応援いただけると、執筆の励みになります!~


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