第71話《安らぎの設計図と、忍び寄る地の底》
1. 茜色の空と、新しい風(リュミア視点)
アイゼルの断崖に、ようやく本当の朝が来たのだと感じていた。
戦場を包んでいた重苦しい空気は、勝利の喧騒を経て、今は静かな安堵へと変わっている。 砦の天守には、王国の旗が誇らしげに秋の風を受けて翻っていた。
広場では、バランタイン領から到着した増援部隊が、テキパキと荷下ろしを進めている。 彼らは砦の守備を補強し、消耗した兵たちの穴を埋めるためにやってきた。ミラージュ将軍が彼らを迎え入れ、今後の防衛体制をより強固なものにするための段取りを整えている。
「……トモヤ、少しは眠れた?」
私は、手すりに寄りかかって遠くを眺めていたトモヤに声をかけた。 トモヤはゆっくりと振り返り、「ああ、リュミアか」と、少し疲れた、でも穏やかな笑みを浮かべた。
あの日、火葬の煙を見つめながら彼が背負ったものの重さを、私は知っている。 でも、今のトモヤの横顔には、立ち止まらずに前へ進もうとするエンジニアとしての強さが戻りつつあった。
「高瀬殿、この部分の記述ですが。……昨夜の討論の続きをよろしいでしょうか」
凛とした声が響き、一人の女性がトモヤに歩み寄ってきた。 王都の戦略局から派遣された特使、ヒルダ・キャンベルさんだ。
彼女はトモヤと同じ「人間族」で、透き通るような肌と、知的な光を宿した瞳を持つ美しい人だった。 ここ数日、キャンベルさんは毎晩のようにトモヤの部屋を訪れ、戦報の整理と今後の戦略について熱心に言葉を交わしている。
「ええ、キャンベルさん。あの大型バリスタの配置図の件ですね。どうぞ」
二人が図面を広げ、何やら難しい単語を並べて話し始める。 トモヤが楽しそうにペンを走らせ、キャンベルさんがそれに感心したように相槌を打つ。
(……同じ人間族。トモヤと同じくらい、頭のいい人)
私は、二人の間に流れる「知性の対話」に、自分が入る隙間がないことを感じていた。 トモヤの役に立ちたい。 そう思っているけれど、図面の中の数字や論理の話になると、私はただ彼を見守ることしかできない。
胸の奥が、ほんの少しだけ、チリリと痛んだ。
「それでは、私はこれで。……高瀬殿、あなたの『工学』は必ず父に、そして王都へ伝えます。アイゼルを救っていただき、本当にありがとうございました」
数日後、ヒルダさん達戦略局チームは王都への帰還の途についた。 彼女たちが関門を抜けるまで、トモヤは静かにその背中を見送っていた。
2. 知恵の波紋、心のかすり傷(リュミア視点)
ヒルダさんが去った後、アイゼル砦の居住区……麓の村では、急ピッチで「生活改善」が始まっていた。
今回の増援で人口が倍以上に増え、さらに長期戦を見据えて兵士たちの家族も順次呼び寄せると聞いている。 このままでは家も水も足りなくなる。 居住スペースの増設とインフラの整備は、文字通り「待ったなし」の状況だった。
「トモヤ、この『足踏み洗濯機』って、本当にすごいね!」
村の広場の一角で、エルナが声を弾ませていた。 トモヤが廃材を組み合わせて作った、ペダルを踏むと樽の中の羽根が回る装置だ。 冷たい水に手を浸さずに済むと、移り住んできた兵士たちが列を作っている。
「衛生状態を保つのは、戦うのと同じくらい大事だからね。……エルナ、こっちの温浴施設の配管はどうかな?」
「ばっちりだよ! 智也くんの言った通り、煙突の熱を利用して水を温める仕組み、みんなにも教えといたから」
トモヤとエルナ。 計算と管理を得意とする二人は、今や居住区の拡大に欠かせない「両輪」のようになっていた。 負傷者のための温浴施設、煙の出ない改良型の無煙竈。 トモヤの「設計」とエルナの「ロジカルな管理」が組み合わさるたび、村の生活は魔法のように良くなっていく。
「……リュミア、そっちの給水バルブ、開けてくれる?」
「あ、うん。……こう?」
「そう、ありがとう。助かるよ」
トモヤは私に微笑んでくれる。 でも、その直後にはもうエルナに向き直り、「部品の精度が……」「物流の効率を……」といった専門的な議論に戻ってしまう。
(……まただ)
二人が共有している、数字と理屈の世界。 そこには、トモヤが今まで生きてきた「現代知識」という名の、高い壁がある。 エルナは、その壁を軽々と飛び越えて、彼の隣で笑っている。
「(……私は、トモヤの隣にいてもいいのかな)」
温かいハーブティーを運ぶ私の手は、トモヤの心は癒せても、彼の「仕事」を直接支えることはできない。 幸せなはずの日常の中で、私は自分でも驚くほどの、小さな嫉妬に心を乱されていた。
3. 盤上の暗雲、予見の震え(智也視点)
居住区の改修が一段落した夜。 俺は一人、静まり返った執務室で紙の地図を広げていた。
アイゼル砦の勝利は確かに大きい。だが、エンジニアの習性として「一度動いたシステム」の欠陥を探さずにはいられなかった。
(俺が帝国側の指揮官なら、次は何をする?)
アイゼル砦の正面は、俺が設計した『大型バリスタ』『落石装置』『連弩の十字砲火』などによって、物理的な殺戮ゾーンになっている。 ここを力押しで抜くのは、もはや愚策だ。
(ではどうするか....。テルモピュライの戦い……。伝説的な防衛戦が敗れた理由は、常に『背後への迂回』だ)
山脈のどこかに、羊飼いしか知らないような細い獣道があるかもしれない。 もし数千の軍勢が、夜陰に乗じて砦の背後に回り込み、糧道を断ったら? この砦は、前を向くことには特化しているが、後ろを突かれれば脆い。
(……あるいは、もっと『根本』を狙ってくるか)
俺は地図上の砦の構造図を見つめた。 アイゼル砦は強固な岩盤の上に建っている。だが、もし帝国が魔法を併用して、射程外から地下を掘り進んできたら。
『坑道戦』。
防壁を爆破する必要はない。防壁が乗っている「地面」を抜き、支柱を燃やして空洞を作ればいい。 自重が重い石造りの構造物ほど、地盤の不等沈下には弱い。 足元を数メートル崩されるだけで、この難攻不落の城壁は、自らの重みに耐えかねてボロボロに割れ、崩落する。
(……構造的自壊。エンジニアにとって、もっとも恐ろしい負け方だ)
俺の背中に、嫌な汗が流れた。 見えない地の底から、帝国の掘削音が聞こえてくるような幻覚に襲われる。
4. 判断の棒と、鋼の設計図(智也視点)
俺は震える手で、懐から『判断の棒』を取り出した。 自分の論理だけでは、この不安を拭いきれない。
「……帝国は、次の一手をどこに打つ?」
俺は自分の中で、二つの選択肢を強くイメージした。 一つは、険しい山並みを越えてくる『迂回急襲』。 もう一つは、地の底を掘り進んでくる『坑道戦』。
棒を机の上に立て、指を離す。
(……いけ)
棒は一度、その場で独楽のように小さく震えた。 それから、迷うことなく「砦の険しい山並み」――すなわち、迂回ルートの方向へと力強く傾いた。
「……迂回、か」
俺は一度、深く息を吐き出した。 棒が示したのは、地上での機動力による包囲。 地下からの坑道戦も脅威だが、まずは「物理的な移動」による挟み撃ちが、帝国軍の選ぶ現実的な正解だということか。
(……だが、今はまだ、冬が近い)
俺は窓の外、冷たさを増した夜風を感じた。 アイゼルのような高山地帯では、冬場の大規模な迂回行軍は自殺行為に近い。 雪に閉ざされれば、補給も進軍も止まる。つまり、本格的な動きがあるのは春以降か。
「……トモヤ? まだ起きてたの?」
リュミアが、心配そうにドアの隙間から顔を出した。 手には、温かいスープの入ったボウルがある。
「ああ、リュミア。……悪い、ちょっと考え事をしてた」
「あんまり無理しちゃだめ。トモヤがいなくなったら、みんな困る」
リュミアが隣に座り、スープを机に置く。 その優しい温もりに触れると、張り詰めていた俺の脳が、少しだけ解きほぐされていくのを感じた。
「リュミア。……近いうちに、一度領都フィアレルに戻ろうと思う」
「えっ? フィアレルに?」
「ああ。冬が本格化する前に、アイゼルの『次』の防衛に必要な資材と、迂回路を監視するための仕組みを整えなきゃいけない。……それに、あそこにある精密旋盤で、作りたい部品があるんだ」
アイゼルで耐えるだけでは、この国は救えない。 ここでの成功を、一つの「規格」として国全体に広げ、帝国の物量に対抗できる「仕組み」を完成させる必要がある。
俺は、リュミアの手をそっと握り返した。
「……一緒に行ってくれるか?」
「……うん。当たり前でしょ。トモヤがいるところが、私の居場所なんだから」
リュミアは少し照れたように笑い、でもその瞳には力強い光が宿っていた。
仕組みは、折らせない。 そのために、俺はふたたび「設計」の戦場へと戻る決意を固めた。
アイゼルの断崖に、冬を予感させる冷たい風が吹き抜け、星々が静かに瞬いていた。
【読者の皆様へ】
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