第70話《アイゼルの夜明け 》― 連続式火葬炉とモニュメント ―
1. 勝利の朝と、戦場を包む沈黙
アイゼルの断崖に、新しい太陽が昇った。
昨日まで地獄の業火と絶叫に包まれていた砦の麓を、冷ややかな朝光が白日の下にさらしていく。俺は展望デッキの手すりに寄りかかり、眼下に広がる光景を眺めていた。
そこにあるのは、完全に沈黙したラグナ帝国の残骸だ。俺の設計した「仕組み」によって解体された三基の攻城塔が、無惨に折れ曲がった黒い墓標のように立ち並んでいる。その周囲を埋め尽くす鉄屑と木片、そして動かなくなった無数の影が、かつての五千の軍勢の威容を皮肉に物語っていた。
「敵影、完全に消失! 帝国軍の残党は、国境の川を越えて這うように逃げていったぞ!」
上空を旋回していたレオンが、大きな翼を羽ばたかせてデッキに着地した。その報告を聞いて、傍らにいたラナが静かに深く息を吐く。
「……終わったのですね。アイゼルの守備兵、およびフィアレル領の民は、智也殿の『知恵』によって救われました」
「……ああ。そうだな」
俺は短く答えたが、その声はどこか虚ろだった。 昨夜、地下倉庫でリュミアの前で流した涙は枯れ、張り詰めていた糸は一度切れている。今はただ、守り抜いたという実感よりも、自分の設計がもたらした「正解」の重みが、鉛のように胃の底に沈んでいた。
エンジニアとしての俺は、これを最善の工程だったと断じている。だが、俺の心はまだ、その冷徹な計算結果を飲み込めずにいた。
2. 英雄への喝采、その裏側
砦の大広間では、勝利を祝う宴が始まっていた。 「アイゼルの守護神に乾杯!」 「智也殿の発明がなけりゃ、今頃俺たちは皆殺しだった!」
割れんばかりの拍手と、樽から注がれる酒の匂い。兵士たちは興奮に顔を上気させ、俺の姿を見つけるたびに英雄として称えた。ヒルダが畏怖の入り混じった表情で歴史の転換を語り、ラナが深い感謝を伝えてくる。
だが、俺はその熱狂の渦に馴染めなかった。称えられれば称えられるほど、自分が作った装置で消えた命が、数字ではなく実感を伴って押し寄せてくる。
喧騒から逃れるように広場の隅へ移動した俺の前に、一人の大柄な影が立った。ミラージュ将軍だ。彼は言葉少なに、俺の肩へその大きな掌を置いた。
「……智也。お前が、この国を救った。礼を言う」
「ミラージュ、将軍……」
「今はそれだけでいい。休め」
短く、重みのある言葉。ミラージュはそれ以上何も語らず、ただ一度深く頷いて、兵たちの待つ中心へと戻っていった。将軍のその簡潔な気遣いは、今の俺にとってどんな称賛の言葉よりも救いになった。
俺は再び、あの地下倉庫へと向かった。
3. 衛生上の危機と、弔いの設計
夏の終わりの強い日差しが、砦の麓を照らしている。宴の喧騒の裏で、俺の脳内にある「工学のセンサー」が警鐘を鳴らし続けていた。
(……そうだ。他のことを考えろ。次なる『技術的課題』を分析し、論理の迷路に深く潜り込もう...。)
砦の麓に累々と横たわる数千の帝国兵の遺体。夏の熱気が腐敗を早め、不気味な死臭が風に乗って漂い始めている。もし放置して腐敗ガスが発生し、その体液が地下水脈を汚染すれば、勝利したはずの俺たちまで疫病で全滅する。
これは単なる死体ではない。巨大なバイオハザードだ。
「トモヤ。やっぱり、ここにいたんだね」
背後から、静かな声がした。振り返ると、そこにはリュミアが立っていた。その瞳には慈しみのような色が滲んでいた。
「トモヤ。また、難しい顔をしてるね」
リュミアが俺の隣に座り、スープを差し出した。彼女の飾らない口調が、張り詰めた俺の心を少しだけ解きほぐしてくれる。
「……リュミア。外の帝国兵をあのままにはしておけないんだ」
「え……?」
「埋めるだけじゃ足りない。これだけの数だ、地下水を汚し、菌をまき散らす。……俺は、彼らを火葬にしたいと思ってる。骨にすれば容積は百分の一以下になるし、疫病のリスクも断てるんだ。」
この世界では、獣人や亜人の文化によって埋葬法は様々だ。火葬、土葬、鳥葬、自然崇拝に基づく多神教の儀式……。
「トモヤ……それは、あの人たちを『清める』ってことだよね? 私は賛成だよ。トモヤが苦しまないやり方がいい。……それは、きっと彼らにとっても一番いいことだと思うから」
リュミアの真っ直ぐな肯定に、俺は一度深く息を吐き、自らの震えをねじ伏せた。
「……ありがとう、リュミア。助かるよ。明日、ガルドに協力してもらって炉を建てる」
4. 燃焼工学の応用:連続式火葬炉
翌日から、凄惨な、だがどこか儀式的な作業が始まった。
俺が設計したのは、耐火石材と余ったローマン・コンクリートを組み合わせた、高い煙突を持つ連続式火葬炉だ。『煙突効果(ドラフト効果)』を利用し、下から酸素を効率よく取り込み、上部へと一気に炎を吸い上げる――工学的に最適化された燃焼。帝国軍が持ち込んだ攻城塔の廃材が、彼ら自身の遺体を焼く炎の糧となっていく。
「遺体を焼く前に、必ずこれを回収してくれ」
俺は工兵たちに、遺体が持つ身分証や指輪、私物を回収し、記録することをお願いした。
「俺が設計した装置で、彼らは死んだ。せめて、誰がここで死んだのか、いつか故郷に伝えられるようにしておきたいんだ」
「トモヤ。これは、あなたが彼らにできる最高の『誠実』だよ」
リュミアが俺の横に立ち、その手をそっと握った。彼女の温もりが、作業を見つめる俺の視界を繋ぎ止めてくれた。俺は回収した遺品と特徴を、一冊の「戦没者名簿」として羊皮紙に刻んでいった。
5. 黙祷、そして静寂
三日間の作業を経て、全ての火葬が終わった。 遺灰は、衝車の部品を改造した掘削機で深く掘り下げられたトレンチに、消石灰と共に収められた。その埋葬地の前に、俺は砦の全員を集めた。
まず前に出たのは、ミラージュ将軍だった。 彼は獣人式の礼に則り、自身の厚い胸板を強く叩くと、地に片膝をついて咆哮に似た祈りを天に捧げた。その力強くも悲痛な儀式は、戦い抜いた武人としての、死した敵への最大限の敬意だった。
ミラージュ将軍が立ち上がり、俺に視線を送る。俺は頷き、一歩前へ出た。
「……俺たちの世界には、神に捧げる言葉も、魔法の光もないけれど、命を悼むための作法があります。一分間だけ、黙って目を閉じてほしい。これを『黙祷』と呼ぶんだ」
兵士たちは最初、戸惑ったように顔を見合わせた。だが、俺が最前列で深く頭を下げ、静かに目を閉じる姿を見て、リュミアが、ガルドが、そして兵士たちが一人、また一人と武器を置き、目を閉じ始めた。
アイゼルの断崖に、深い静寂が流れた。 宗教も、種族も、敵味方も関係ない。ただ、失われた命という一つの事実に対する、平等な敬意としての沈黙。
ラナは、智也の真摯な横顔を見つめ、そっと目を閉じた。 (智也殿は……敵さえも一つの『命』として計算し、その重さを背負おうとしているのですね。あなたは、ただ壊す人ではない)
6. 結末:道標としての慰霊碑
埋葬地の入り口には、灰を一部混ぜたコンクリートで作られた、質素だが頑丈な「慰霊標」が建てられた。俺はその碑を見つめながら、それを単なる墓石ではなく、一つの「起点」として設計していた。
「トモヤ、お疲れ様。みんな、少しだけ顔が穏やかになった気がするよ」
リュミアが隣に立ち、俺の腕をそっと支えた。
「……ああ。死者を悼むことは、生きている奴らの心を整えることでもあるんだな。リュミア、俺はこの場所を起点にするつもりだ。いつかフィアレル領と帝国のボンヌ公国を繋ぐ『平和の街道』を。この碑は、その最初の道標なんだ」
エンジニアの仕事は、死体を取り片付けることじゃない。その死を無駄にせず、生きている者の安全に変えることだ。俺は、もう震えていない手で慰霊標に触れた。
「……さあ、次は『道』を作るぞ。人が、殺し合うためじゃなく、出会うための道を」
【後日談:アイゼルの祈り】
それから数ヶ月が経ち、季節が移り変わった頃。 アイゼル砦には、平時交易の再開に伴い、帝国の属国であるボンヌ公国からの隊商が訪れるようになった。
彼らは、砦の麓に建つ奇妙な灰色の柱を見つけた。そこには帝国語で、ここで命を落とした兵士たちの名前が可能な限り正確に刻まれていた。
「……私の兄の名がある」
隊商の中の一人の男が、コンクリートの碑を撫でて震える声を漏らした。 この日を境に、隊商に紛れて密かに参拝に訪れる者が後を絶たなくなった。
戦争という無情な現実に、家族を奪われたことに誰も納得などしていない。
だが、死体を野ざらしにせず、尊厳を持って手厚く葬り、その名を刻んだアイゼル砦の、王国側の誠実な行為に、深い感謝の念を抱く家族は多かった。
隊商が去った後の慰霊碑の前には、帝国の言葉で書かれた手紙や、小さな野の花が絶えず供えられるようになった。それは、智也が築こうとしている「平和のインフラ」が、分断された人々の心に最初に繋いだ「道」であった。
【読者の皆様へ】
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