第69話《アイゼル砦攻防戦③》 ― 対【10倍の帝国兵】 ―
1. 膠着と、消えない血の臭い
アイゼル砦を揺るがした轟音は止み、今は重苦しい沈黙が戦場を支配していた。
工学の「仕組み」と、それに応えた守備隊の奮戦によって無力化された三基の攻城塔と巨大な衝車は、黒煙を上げる無惨な墓標と化している。その周囲には、崩壊に巻き込まれた帝国兵たちの凄惨な遺体が積み重なり、焼けて煤けた木材と、鉄錆のような血の臭いが混じり合って鼻を突いた。
王国側も無傷ではなかった。攻城塔の頂上から放たれた執拗な狙撃により、防壁の守備兵にも数十名の死傷者が出ている。石畳の上に引かれた鮮血の筋と、負傷兵のうめき声が、風に乗って俺のいる展望デッキまで届いた。
俺はデッキの手すりを、指が白くなるほど強く握りしめた。 エンジニアとしての俺の論理は、今の状況を「正解」だと告げている。最小限のコストで敵の主力を削ぎ、防衛線を維持した。それは計算通りの、完璧な工程だったはずだ。
(……ただ、現代人としての俺の精神には、こたえる。これはゲームの世界の話じゃない。現実なのだから……)
胃の奥がせり上がるような不快感。自分が引いた一本の線、叩いた一つの計算が、数えきれないほどの「人間」を肉塊に変えた。俺がこの手で、現実に彼らを殺したのだ。
2. アイゼルの守護神と、地下の孤独
「トモヤ殿! 見てください、あの無様な衝車の残骸を!」 「あんたはアイゼルの守護神だ! 救世主だ!」
防壁の上では、兵士たちが興奮に顔を上気させ、口々に俺を称えていた。兵士長までもが俺の肩を叩き、「あんたがいなけりゃ今頃全滅だった、本当にありがとう」と、涙ぐみながら笑っている。
彼らにとって、俺は絶望を打ち破ったヒーローなのだろう。だが、浴びせられる賞賛の声が、今の俺には鋭い刃のように胸に突き刺さった。
「……ああ、みんなのおかげだ」
引き攣った笑みを浮かべて答えるのが精一杯だった。称えられればられるほど、罪悪感で押し潰されそうになる。一人になりたかった。この熱狂から、血の臭いから、一秒でも早く逃げ出したかった。
俺は騒ぎに乗じて、そっとその場を離れた。足が向いたのは、冷たく静まり返った地下倉庫だった。重油の入ったドラム缶と埃っぽい空気だけが、今の俺には心地よかった。
3. 深夜の倉庫、聖女の温もり
ランタンの微かな光が、黒い液体を湛えたドラム缶を照らしている。俺は一人、帳面に重油の残量を書き込んでいた。数字を追うことで、現実の凄惨さから目を逸らそうとしていたのかもしれない。
「トモヤ」
背後から、静かな声がした。 振り返ると、そこにはリュミアが立っていた。ずっと俺を探していたんだろう、その瞳には心配の色が滲んでいた。
「……トモヤ、探したよ。ここにいたんだ」
「リュミアか。……ああ、明日の分の燃料を確認しておこうと思ってな」
努めて冷静に答えようとしたが、声は掠れ、うまく言葉が繋がらなかった。俺がその場に座り、力なく笑うと、リュミアはゆっくりと歩み寄り、衣のこすれる音をさせて俺の隣に腰を下ろした。
「……トモヤ。たくさん、人が死んだね」
飾らないリュミアの言葉が、俺の心の堤防を決壊させた。
「ああ……。俺がやったんだ。俺が設計して、あいつらをあの場所に誘導した。俺が殺したんだよ、リュミア。あれだけの人数を……」
「トモヤ、そんな顔しないで」
リュミアが、俺の震える手を自分の両手で包み込んだ。温かかった。
「トモヤが何もしなかったら、もっとたくさんの人が死んでた。この砦が奪われれば、フィアレル領も、スノウィ村のみんなも無事ではすまなかったんだよ。トモヤは、それを守ったんだよ」
リュミアの真っ直ぐな言葉が胸を打つ。けれど、俺の心にある恐怖は、より深い場所へ沈んでいた。
「……ありがとう。でも、リュミア、俺は怖いんだ。明日はきっと全軍で強行してくるかもしれない。そうなれば、今よりもっと大勢を倒すことになる。俺の作った装置で、もっと、もっとたくさんの人を殺すんだ……っ」
俺は耐えきれなくなり、リュミアの胸に顔をうずめた。
「……っ、う……あああ……!!」
少年のように、俺は声を上げて泣きじゃくった。リュミアは何も言わず、ただ優しく俺の頭を撫で続け、その涙を黙って受け止めてくれた。
泣き疲れた俺の意識は、彼女の温もりに包まれたまま、ゆっくりと遠のいていった。凍りついていた思考が解け、泥のような眠りが俺を飲み込んでいく。俺はリュミアの胸に顔をうずめたまま、深い眠りに落ちていった。
「……おやすみ、トモヤ」
リュミアは寝息を立て始めた俺の頭を抱きかかえるようにして、自分も壁に背を預けた。彼女もまた、この数日の緊張と疲労から、静かにまぶたを閉じた。
夏の終わりの冷たい倉庫の床の上で、二人の静かな寝息だけが重なり合っていた。
4. 早朝の誓い
早朝、倉庫の隙間から差し込む光で俺は目を覚ました。隣では、リュミアも同時にまぶたを震わせ、静かに起き上がった。
昨夜の涙の痕が、少しだけ胸に残っている。だが、彼女の温もりが俺の中に確かに残っていた。
「……すまない、リュミア。助かったよ」
俺の言葉に、リュミアは小さく微笑み、頷いた。
「うん。……行こう、トモヤ」
俺たちは立ち上がり、決戦の朝を迎えるために、再び防壁へと向かった。
5. カシウスの狂気
帝国軍本陣。燃え盛る攻城兵器を横目に、カシウス将軍の精神は沸騰していた。
「将軍、もはや勝機はありません! 兵たちの士気は底を突き、一度退くべきです!」
側近の将校が必死に撤退を具申するが、カシウスは返り血のついた長剣を抜き、その将校の喉元に突きつけた。
「帝国国府の名門、我がカシウス家の歴史を泥で汚すことなど許さぬ。おめおめと敗北を持ち帰り、一生を辺境で腐れというのか」
カシウスは、撤退を叫んでいたボンヌ公国の雑兵たち数名を広場に引き出させると、見せしめとしてその場で処刑を命じた。
「帝国は絶対である! 秩序に従わぬ者は、この剣が裁く!」
絶叫と共に、兵士の首が転がる。恐怖による規律。それがカシウスの信じる「中央の秩序」だった。彼は狂気を孕んだ瞳で、残存する四千五百の兵に吠えた。
「数を見ろ! 我が軍は依然として十倍の兵力を保持している! 盾を並べ、死体を積み上げてでも壁を埋め尽くせ! 瓦礫ごと踏み潰せッ!!」
カシウスはさらに、自ら督戦するために本陣を砦の目と鼻の先まで前進させるよう命じた。
「本陣を前に出せ! 私がこの目で、奴らが瓦礫に変わる様を見届けてやる!」
帝国軍は死の恐怖に突き動かされ、最後の津波となって砦へと殺到した。
6. 十字砲火の雨
「突撃だぁぁぁッ!!」 「殺せ! 登れ! 逃げる奴は斬るッ!!」
帝国兵たちが、恐怖と狂気に瞳を濁らせて絶叫しながら、再び砦の麓に殺到する。もはやそれは軍隊というより、カシウスの狂気が生んだ集団暴走のようだった。 だが、彼らが俺の施した「黒油」の壁に触れた瞬間、戦場は再び、理解不能な物理的拒絶に包まれた。
「なっ……滑る!? 梯子が立たねえ!」 「踏み台になれ! 死体を積め! 登れッ!!」
狂ったように叫ぶ兵士たちが、滑り落ちる梯子を強引に支えようとする。だが、継ぎ目のない滑らかなRC壁に塗りたくられた油は、梯子の鉤爪も、血に濡れた兵士の指先も、何一つ受け入れない。壁の麓には、登れない焦燥と、後続から押し寄せる狂った圧力で、帝国兵たちが巨大な「人の塊」となって滞留し始める。
それこそが、俺が計算した「解体地点」だった。
「大型連弩、各座、クロスファイア(十字砲火)開始!」
俺は指揮杖を鋭く振り下ろした。 砦の四箇所に配置された大型連弩(防衛用マシンガン)が一斉に咆哮を上げた。
「ガチガチガチガチガチッ!!」
左右から斜めに交差するように計算された射線。逃げ場のない「十字砲火」の網が、密集した帝国兵を無慈悲になぎ倒していく。ボルト(矢)の暴風が、ただひたすらに「数」という変数を消去し、戦場を効率的に「解体」していく。
「あ、あああああッ!」 「助けてくれ、悪魔だ!」 「アイゼルには悪魔がいる!」
断崖に響くのは、阿鼻叫喚の叫びと、肉を貫く鈍い音だけだった。帝国軍は完全に恐慌状態に陥った。
7. 終焉の狙撃、カシウスの敗走
混乱の極みに達した戦場を見下ろし、俺は最後に大型バリスタの照準を指示した。強引に前進してきたカシウスの本陣は、もはや絶好の標的でしかなかった。
「……カシウス将軍。あんたの『秩序』を、ここで解体させてもらう」
特大のボルトが、音を置き去りにして帝国軍本陣を直撃した。
「ドォォォォン!!」
凄まじい衝撃波がカシウスの傍らにいた将校たちをなぎ倒し、豪華な天幕を粉々に粉砕した。
「ひ、ひぃっ……!」
直撃こそ免れたものの、爆風で馬から投げ出されたカシウスは、泥にまみれながら地面を這いずり回った。かつての傲慢な姿はどこにもない。
「撤退だ……逃げろ、逃げるのだ!」
指揮官自らが背を見せたことで、帝国軍は完全に崩壊した。 武器を捨て、鎧を脱ぎ捨てて逃げ惑う敗残兵たち。カシウスは、かつて自分が蔑んだ雑兵よりも無様な姿で、戦場から消え去っていった。
静まり返った戦場に、ただ黒煙だけが立ち上る。 俺は、静かに判断の棒を作戦机に置いた。
「……チェックメイトだ」
【読者の皆様へ】
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