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第67話《アイゼル砦攻防戦①》― 対【トレビュシェット(大型投石器)】 ―

1. 蹂躙の放物線


朝靄を切り裂き、その「咆哮」は響いた。


「放てッ!!」


帝国軍の陣地から、漆黒に塗られた巨大なトレビュシェット(投石器)がその腕を振り上げた。百キロを超える巨石が、重力を嘲笑うような放物線を描いて空を舞う。


私、ヒルダ・キャンベルは、展望デッキの手すりを指が白くなるほど強く握りしめていた。


戦略局で学んだ知識が、脳内で最悪の予測を弾き出す。あの規模の投石機なら、通常の石積みの壁など三発もあれば瓦礫の山だ。崩落は一箇所に留まらず、壁全体の構造を歪ませ、砦は自重で崩壊するだろう。


「……ヒルダさん、危ないですから少し下がってください」


背後から届いたのは、驚くほど平坦な、智也さんの声だった。 次の瞬間――世界が爆発した。


「――ズドォォォォォン!!」


鼓膜を突き破らんばかりの衝撃。足元の石床が激しく跳ね、視界が砂塵で真っ白に染まる。帝国軍の指揮官たちは、今の一撃で砦の門は跡形もなく消え失せ、瓦礫の山が築かれたと確信したに違いない。


だが、砂煙が晴れた向こう側にあったのは、絶望ではなく「異常な光景」だった。


「……うそ、でしょ?」


アイゼル砦の駐留軍の造ったあの「灰色の壁」は、大きな亀裂一つなく、平然とそこに立っていた。 逆に、直撃したはずの帝国軍の巨石が、まるで脆い砂糖菓子のように粉々に砕け散り、壁の足元に白い砂利となって積み上がっているのだ。


「よし。表面が数ミリ剥離しただけに見えます。内部への振動伝達も許容範囲内です」


智也さんが壁の表面をみながら、落ち着いた声で私に言った。


「ヒルダさん、これはただの石積みじゃないんです。圧縮に強いコンクリートの中に、引張に強い鋼の網……『鋼筋(鉄筋)』を組んである。衝撃は一点に留まらず、壁全体の網を通って面で分散される。……壊れるのは、エネルギーを受け止めきれなかったあっちの方ですよ」


父様が言っていた『戦の形が変わる』という意味を、私は今、目の前の物理現象として理解した。彼は「頑丈な壁」を造ったのではない。物理法則そのものを味法につけた「不落の構造」を構築したのだ。




2. 粉砕された「常識」


「智也! 帝国が次の装填を始めたぞ!」


レオンが空から叫ぶ。 帝国兵たちは、信じられないものを見たという恐怖に顔を歪めながらも、半ばパニック状態で二射目の巨石を吊り上げようとしていた。


「……エルナ、座標の再確認を。……よし、第一・第二連弩、仰角四・二。風速修正マイナス一」


智也さんが、砦の要所に据えられた大型バリスタの傍らに立つ兵士たちへ、矢継ぎ早に数字を飛ばす。


「角度調整、完了しました!」 「目盛り、固定!」


これまでは個人の勘に頼っていた兵器が、智也さんの口にする数値によって、機械的な正確さで敵のトレビュシェットを捉えていく。


「帝国軍はまだ、自分たちが『射程内』にいることに気づいていない。……お返しです」


智也さんの合図で、最前線に立つ熟練の兵士長が、冷徹な手つきで発射レバーを引き抜いた。 「ドォン!」という重厚な破裂音と共に、メギド鋼の針が空を裂いた。




3. 漆黒の雨と炎上


三〇〇メートル先。 二射目の石を放とうとしていたトレビュシェットの、巨大な木製フレームに鋼のボルト(矢)が吸い込まれた。


「――ドォォン!!」


鈍い衝撃音が響き、ボルトの先端から漆黒の重油が周囲に滴りだす。智也さんが放たせたそのボルトは、ただの鉄塊ではなく、内部に黒油を充填した特殊弾だった。


続けざまに、第二、第三のバリスタからも重厚な音が響く。 三台のバリスタから繰り返される精密射撃。同一のトレビュシェットに次々と黒油塗れのボルトが突き刺さり、五本ほどが深々とその巨体に突き刺さった。


漆黒の油を吐き出しながら、数トンの重みを支えていた木製フレームが悲鳴を上げる。 「……そろそろですわね」


それまで静かに戦況を見守っていたラナ様が、一歩前へ出た。その背後には、等間隔に整列した長弓隊が控えている。


「長弓隊、用意。狙いは――左の大型投石機トレビュシェット


ラナ様が扇を上げる。その瞳には、容赦のない戦士の光が宿っていた。 「放てっ!」


放たれた火矢の束が、美しい放物線を描いて帝国軍の陣地へと吸い込まれていく。 次の瞬間、ボルトから漏れ出していた黒油に火が燃え移り――。


「――ゴォォォォッ!!」


爆発的な炎がトレビュシェットを包み込んだ。 一度火がついた黒油は、水では消えない。漆黒に塗られた帝国の自慢の攻城兵器が、今や巨大な松明となって、自分たちの陣地を焼き尽くし始めた。


「……命中。構造上の弱点を叩けば、あんな巨木もただのまきだ」


智也さんはそう言うと、既に次の目標に向けて淡々とダイヤルを回し始めた。 私は、炎上する敵陣と、平熱のまま戦場を支配するこの青年を交互に見た。 勇猛な突撃も、魔法の輝きもない。ただ、精密な計算と『仕組み』が、五千の軍勢を圧倒し始めている。


私は確信した。この夏、アイゼル砦で起きているのは防衛戦ではない。 それは、古臭い戦士の時代を終わらせる、工学ロジックの洗礼なのだ。




4. 算出された勝利


「――ふぅ」


一息ついて、俺は手の中にあった特製の小型砂時計を横に倒した。ひとまず一台目は訓練通り、いや、訓練以上の結果だ。


正直なところ、自分でも驚いている。初めての「実戦」、それも一〇〇キロを超える巨石が目の前に飛んでくるという異常事態の中で、俺は意外なほど冷静だった。恐怖がないわけじゃない。だが、それ以上に「自分の設計が正しく機能するか」というエンジニアとしての好奇心と責任感が、生存本能を上回っている。


視界の先では、帝国の投石機が巨大な松明と化して黒煙を上げている。漆黒の鎧を纏った兵士たちが、蜘蛛の子を散らすように右往左往し、消火と撤退の判断に迷っているのが見て取れた。明らかに動揺している。


「エルナ、結果が出た。バリスタ三体から計九本のボルトを射出。そのうち命中が五本。……的中率五五パーセント強か。今のうちに残り二台の照準も固めるぞ」


傍らで計算尺を弾いていたエルナが、楽しそうに笑って顔を上げた。


「さすが智也くん、細かいね! ただ上手くいったよ。木製バリスタの個体差を考えれば、九本打って五本命中は一二〇パーセントの満点解答だよ。重油もばっちりフレームに食い込んでたしね」


「……ええ。わたくしの長弓隊も、あの距離での精密射撃は初めてでしたが、智也殿の『面での指示』があれば、まるですぐ近くの標的を射抜くような安心感でしたわ。……正直、驚きました」


ラナさんも、満足げに頷いている。 俺は一度、自分の足元――さっき巨石が直撃したRC(鉄筋コンクリート)壁に視線を落とした。 表面がわずかに白く削れているが、構造に影響を与えるようなクラック(亀裂)は見当たらない。


「圧縮に強いコンクリートと、引張に強い鋼(鉄筋)。……物理法則を組み合わせれば、世界はこんなにも御しやすくなる」


証明は終わった。俺がこの砦に持ち込んだ「工学」という概念が、この世界の「戦の常識」を完全に上回ったんだ。だが、敵が混乱している今こそが勝機だ。


「よし、敵が立て直す前にあと二台も仕留める。第一バリスタ、仰角そのままで左へ二度。第二、第三は座標修正なし。……斉射用意!」



5. 巨象の無言の歓喜

(……将軍、今の戦い方、不満だったりしないよな?)


ふと、背後に立つミラージュ将軍を振り返った。 山のような巨体を持つ彼は、炎上する帝国軍の陣地を、ただ静かに見下ろしている。長年、自らの肉体と精神でこの砦を守ってきた武人にとって、計器と数字で決まるこの戦いはどう映っているのか。


だが、その懸念はすぐに吹き飛んだ。


ミラージュ将軍は、誰に言葉を発するでもなく、その丸太のような太い右腕を力強く折り曲げた。 そして、ぐっと、胸の前で熱く「ガッツポーズ」を決めたのだ。


ブンッ、と空気を切り裂くような鋭い音がした。 普段、感情を一切表に出さないあの将軍が、魂の底から絞り出すような歓喜を、その一つの動作に込めていた。将軍はすぐに元の不動の姿勢に戻ったが、その瞳はかつてないほど力強く輝いている。


「…………智也。……不落だ」


短く、重厚な一言。 その言葉の重みに、俺の胸も少し熱くなった



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