第65話【コモンス王国③】《二正面の火蓋と、受け継がれる瞳》
1. 練兵場の衝撃
初夏の眩い日差しが、王都コモンスの練兵場を白く焼き付けていた。 そこには、今までの王国の軍装とは明らかに一線を画す、奇妙に整った光景が広がっていた。
「……信じられんな。この継ぎ目、寸分の狂いもない」
王国の竜姫ヴァレリアは、手にした『デタッチャブル(分割式)長槍』を凝視していた。 彼女がロックを外せば滑らかに二分割され、再び合わせれば強固に一体化する。
「姫様、こちらの鎧もご覧ください!」
大将軍アストリアの合図で、規格鎧を身に纏った兵士の胸部を、別の兵士が容赦なく槍で突いた。 「――ガツンッ!」と鋭い音が響き、装甲板が大きく凹む。 だが、アストリアはその凹んだ板の留め金を外し、手元にあった予備の板と瞬時に付け替えてみせた。
「……なるほど。これまでは鎧の一部が壊れれば職人のもとへ送るか廃棄するしかなかった。だがこれなら、傷ついた箇所だけをその場で『交換』し、すぐに戦線へ復帰できるというわけか」
さらに、規格兜に向けられた弩の試射が行われる。 放たれた太いボルトは、火花を散らして弾き飛ばされた。
「素晴らしい……!」
アストリアの声が、感動に震えていた。 「これほどの防御力があれば、最前線の死傷者は劇的に減る。それに、これが毎月三百セットずつ確実に届くのだ。前線の皆が救われる……まさに救国の武具だ」
2. 会議室の喧騒:フィアレルの「奇跡」
場所を作戦会議室に移すと、宰相が興奮を隠しきれない様子で、最新の報告書を広げた。
「ヴァレリア様!フィアレル領主より、信じがたい報告が届いております!」
宰相の読み上げる数字に、並み居る将官たちが静まり返った。 「フィアレル領内の鉱山にて『高炉』なる設備が稼働。それにより、鉄の生産量は従来の十倍に達したとのこと! さらに、鋼鉄製の農具と新型の犂の普及により、小麦および雑穀の収穫量は一・三倍の増産を見込む……!」
会議室は、一気に蜂の巣をつついたような騒ぎになった。 「あそこは決して裕福な地ではなかったはずだぞ!」 「あの温厚な領主殿が、これほどの『奇跡』を起こすとは……」
3. 西部戦線の長期化と、冷え切る期待
喧騒を鎮め、軍師キャンベルが地図の西部境界線を指した。
「西部方面、メイン戦線については、今回も前回の冬と同等の方針で臨みます。ラグナ帝国は真夏に五万の軍勢で攻めてくるでしょう。……ですが、前回と違う点が一つ」
キャンベルの瞳が鋭く光る。 「帝国は今回、秋の収穫時期を過ぎても継続して留まる可能性が高い。最長で来年の春まで続く、かつてない長期戦となる覚悟が必要です」
その言葉に、会議室の温度が数度下がったような沈黙が流れた。 長期戦。それは、兵糧と装備の供給が途切れた瞬間、国が滅びることを意味する。
「……そうなれば、今年も各領に頼らざるをえないな」 アストリアが重苦しく呟く。 「冷害などなければよいのだが。もし収穫に狂いが出れば、最前線の一万五千は飢え死にする」
一同の顔に、安堵の色はなかった。
4. 情報官『トンボ』の凶報
その緊張を切り裂くように、激しく扉が叩かれ、伝令が転がり込んできた。
「緊急報告! フィアレル領の情報官、『トンボ』より早馬です!」
トンボ――フィアレル領内のスパイを幾度も摘発してきた、王国の目とも言える男だ。 彼は領地全体の諜報網を束ね、現場で動く鳥人属のレオンや、技術開発に没頭する智也へ、常に最適かつ迅速な情報を送り届けている「影の立役者」でもあった。
「……アイゼル砦の南、ルーン大河の帝国側に、異常な規模の木材集積を確認。さらに多数の小舟が集められているとのこと。これは、攻城兵器や防御陣地の部材です」
「……何だと? 奴らは、アイゼルをも狙っているのか!」
アストリアの驚愕の声に、キャンベルが低く、震える声で応じた。
「念のための想定はしていましたが、思ったより、、、早いですね……」
キャンベルは、握りしめた報告書の紙をじっと見つめ、額に脂汗を滲ませた。
(くっ……早すぎる。この動きは、我々の予測を上回っている。これでは、アイゼルへの増援も、防衛ラインの再構築も到底間に合わない……!)
彼は内心で、自分たちが描いていた戦略図が音を立てて崩れるのを感じていた。 (西部戦線の強化でアイゼルへの準備が間に合わない。今攻め込まれれば、アイゼルは丸裸で嵐の中に放り出されるも同然だ。フィアレルの物資供給が止まれば、西部戦線の一万五千も相当厳しくなる……!)
キャンベルの額に冷や汗がにじむ。知略を尽くしてきた軍師にとって、それは己の「準備不足」からくる敗北を予感させるものだった。
5. 二正面作戦の幕開け
キャンベルは即座に、地図の焦点を北東のアイゼル砦へと移した。
「この別働隊の目的は現時点では不明です。威力偵察か、兵力分散のための陽動か、あるいは一気に侵攻をかける気か……。いずれにせよ、我々は完全に二正面の防衛線を強いられることになります」
アストリアが険しい顔で地図を睨む。 「アイゼルは高山かつ隘路な地形ゆえに難攻不落だが、帝国が大軍、それこそ五千以上の兵で強行されれば危うい。今の王国にとって、高炉と鉱山を抱えるフィアレルは、もはや心臓そのもの。奪われるわけにはいかんぞ」
キャンベルは、報告書の一端を見つめたまま、独り言のように呟いた。
「未確定情報ですが、あそこには今、フィアレル卿が信頼を寄せる『知恵者』がいると聞きます。……その物は、メギド鋼の配分を決める際、『半分を西へ、半分をアイゼルへ』と主張したようです。……今となれば、その知恵者は、この事態を予見していたという可能性があります」
ヴァレリアは、窓の外で揺れる初夏の緑を見つめた。 王国のメンバーはまだ誰も、その『知恵者』――高瀬智也の名も、姿も知らない。 だが、彼が送った「秩序ある鋼」は、確実に王国の命運を繋ぎ止めていた。
6. 知略の継承:父と娘
会議の後、軍師キャンベルは自室で深く沈み込んでいた。 そこへ、一人の若い娘が静かに入ってくる。キャンベルの娘ヒルダである。
「お父様。……そんなに沈んで、どうしたの?」
「……アイゼルだ。敵の動きを見抜けなかった。私の失態だ」
娘は父の横に並び、机の地図を冷静に見つめた。
「……悔やんでも仕方がないわ。たとえアイゼルが一時的に抜かれても、帝国の兵站はあの峻険な山道で限界を迎える。峠の出口にあるユンタ盆地で挟み撃ちにすればいい。あの土地の周辺には村落も少なく徴発も厳しいもの。帝国軍は自滅するわ」
キャンベルが顔を上げる。娘はさらに続けた。
「それに、アイゼルだけでなく、王国中央のフロリー領も狙われる可能性がある。大湿地帯だけど、まさかがあるわ。あそこの水軍衆を強化して、水上からの補給路を断つ準備も必要よ」
「お前……いつの間にそこまでの知識を」
「お父様の子ですから」
娘の成長と、その揺るぎない戦略眼に勇気付けられたキャンベルは、翌日、戦略局のスタッフとして娘をアイゼル砦へ派遣することを決断した。
「ヴァレリア様、アイゼル砦にはフィアレル領の北西のバランタイン領より千の増援をアイゼルへ向かわせます。また、戦略局のスタッフを現地に派遣しましょう。そして――」
キャンベルは娘を見つめ、厳かに告げた。 「お前を、戦略局の特使としてアイゼル砦へ向かわせる。その目で『知恵者』の正体を見てくるんだ」




