第64話《天空の氷室と、風の記憶》― 熱交換器 ―
1. 翡翠の風、黄金の陽光
アイゼル砦の南側が「漆黒の死の罠」へと変貌を遂げる一方で、砦の背後に広がる居住区は、今まさに初夏の輝きの中にあった。
標高二千メートルの夏は、鋭く、そして瑞々しい。 突き抜けるような青空から降り注ぐ金色の陽光が、雪解け水を吸った新緑を翡翠色に輝かせている。村を縦断する小川は、氷のような冷たさを保ったまま、岩肌を叩く爽やかな音を響かせていた。
「……ふぅ。高山とはいえ、日向での作業は堪えるな」
俺は額の汗を拭った。連日の防衛設備の設置と兵士へのレクチャーで、身体は熱を帯びている。隣では、重い鋼材を運んでいたガルドが「あちーな、おい!」と叫びながら、川べりに座り込んでいた。
「智也くん、みんな少し熱中症気味だよ。……一度クールダウンが必要だね」
エルナが計算尺を仕舞いながら提案する。リュミアも「冷たいお水、用意するね」と、少しバテ気味な様子で微笑んだ。
俺は小川の激しい流れを見つめ、ふと思いついた。
「よし、少し『仕組み』を作ろう。……みんなをキンキンに冷やすための、天空の冷蔵庫だ」
2. クラフト:熱交換の『蛇管』
俺は工房の隅に余っていたメギド鋼の細いパイプと、規格化されたジョイントを持ち出した。
「智也、その細いストローみたいなのは何に使うんだ?」
ガルドが首を傾げる。俺は川の最も流れが速く、冷たい場所に杭を打ち込みながら答えた。
「熱交換器だ。このパイプを螺旋状に巻いて、川の中に沈める。そのパイプの中に、村の井戸から汲んだ水や、果実を浸した水を流すんだ。……川の冷たさがパイプを介して中の水に伝わり、一瞬で氷水に近い温度まで下がる」
エルナがパイプの総延長と流速を計算し、最も効率の良い「冷却距離」を割り出す。グレンさんに手伝ってもらい、鋼の蛇管を川底に固定した。
数分後。 パイプの出口から流れ出したのは、湯気を立てそうなほど冷え切った、透明な水だった。
「ひゃっ!? つめたぁぁい!」
リュミアが真っ先にその水に触れ、歓声を上げた。俺たちは村人からもらった初夏の小ぶりなリンゴや、瑞々しい高原野菜をその氷水で一気に冷やしていく。
3. みずみずしい『収穫祭』
拠点の庭に、キンキンに冷えた「山の幸」が並んだ。
「サクッ……!」
ガルドが丸かじりした高原のきゅうり(に似ているうり)が、小気味よい音を立てる。 「……っ! 脳に響くぜ、この冷たさ! 生き返るわ!」
ラナが優雅に、だが嬉しそうに冷えたメロンの皮を剥く。 「智也殿、魔法を使わずとも、大地の冷たさをこれほどまでに引き出せるとは。……ふふ、風を一度だけ通しましょう」
ラナが指先を振ると、涼やかな微風がテーブルの周りを回り、最高の屋外カフェのような空間が生まれた。
「智也くん、はい。……あーん」
リュミアが、冷え切って結露した真っ赤な果実を俺の口元に運ぶ。 不意打ちにドギマギしながらも口に含むと、冷たい果汁が喉を潤し、火照った身体を一気に鎮めてくれた。
4. レオンの瞳と、南の火
宴の喧騒から少し離れ、川下に腰を下ろして遠くを眺めている男がいた。レオンだ。 俺は冷えたメロンのような瓜を二つ持って、彼の隣に座った。
「食うか? 冷えてるぞ」
「……おう、サンキュ」
レオンはリンゴを受け取ると、一口かじって、そのまま南の地平線——帝国側の空を見つめた。
「トモヤ。……あっち側にはさ、俺の親父がいるんだ。……いや、いた、と言うべきか」
レオンの意外な独白に、俺は言葉を止めた。
「親父は王国の斥候係だった。腕は超一流でよ。……十年くらい前、帝国の軍備増強を調べに南へ潜って……それきりだ。死体も、報告の一片も戻ってこなかった」
レオンの瞳に、いつもの軽薄な笑みはない。
「あの日から、俺にとって帝国は単なる『隣国』じゃねえ。……俺の家族を、帰る場所を奪った仇だ。斥候の真似事をしてるのも、いつか親父の痕跡を見つけられるんじゃねえかって……。そんな青臭い理由だよ」
「……そうだったのか」
俺は、レオンの肩にそっと手を置いた。
「なら、この砦を絶対に抜かせるわけにはいかないな。……お前の親父さんが守ろうとしたこの領を、俺たちの仕組みで守り抜こう」
「ハッ……。智也、お前は本当に、甘っちょろいけど心強いぜ」
レオンはメロンを放り投げ、器用にキャッチして笑った。その瞳には、今まで以上に鋭い「戦士の火」が宿っていた。
5. 巨象の『涼』
俺たちは最後に、大型防衛弩の特設砲座に立つミラージュ将軍のもとを訪れた。 将軍は大きな体を揺らし、監視を続けていた。
「将軍。……差し入れです」
俺は氷水で冷やした大きなバケツいっぱいの果実を差し出した。 無口な将軍は、器用に鼻を使ってきゅうりを一つ摘まみ上げると、それを口へと運んだ。
「…………パ、オォォォォン……」
地響きのような、だが深く満足したような鳴き声。 将軍の大きな耳がパタパタと揺れる。
「…………智也。……うまい。……夏が、来たな」
将軍の短い言葉に、周囲にいた兵士たちからも笑みが溢れた。 「夏が来た」。 それは本来、喜ばしい言葉だ。だがこの砦において、それは「戦の始まり」を意味する。
6. 青嵐の誓い
日が沈み始め、空が美しい群青色に染まっていく。 涼やかな夜風が、火照った砦を優しく撫でていく。
村からは夕餉の支度の匂いが漂い、平和な初夏の夜が始まろうとしていた。 だが、その平穏の断崖の下。 遠く遠く、帝国の暗闇の中に、数えきれないほどの赤い軍火がポツリ、ポツリと灯り始めていた。
「(……あの灯火の数だけ、壊さなきゃいけない『仕組み』があるわけだ)」
俺は冷たい夜風を胸いっぱいに吸い込み、隣に立つ仲間たちの顔を見渡した。 冷えた果実で潤った喉は、もう乾いていない。
「……さあ、始めよう。俺たちの知恵を、歴史に刻む夏だ」
俺の決意に応えるように、コモンス王国の旗が強く、激しくたなびいた。
【読者の皆様へ】
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