第60話《平和の喉元、静かなる巨象》
1. 牙を剥く『空白』
領都の工房からほど近い城下町にある、大きめの空き家、『拠点』の広間で、朝から緊迫した空気が流れていた。机の上には、エルナが整理した増産鋼材の目録と、レオンが持ち帰った最新の敵情地図が広げられている。
「……みんな、これが最新の状況だ。笑えないぜ」
鳥人属のレオンが、地図の上に赤い石を置いた。
「帝国の本隊は農繁期のために一旦引いた。が、奴らは夏、畑仕事が一段落すればまた西側の国境に大軍をぶつけてくるだろう。だが、それだけじゃない。別動隊を出す可能性がある。狙いは、中央の湿地帯か、あるいは――この東の『アイゼル砦』だ」
「アイゼル砦だと? あそこは切り立った絶壁の上だぞ。難攻不落の要塞として有名じゃないか」
職人のグレンさんが腕を組み、怪訝そうに眉を寄せた。横にいたハックも頷く。
「だな。アイゼルを落とすには大規模な兵力と食料が要ると言われている。帝国も無茶はしないはずだが……」
「……待ってくだし。もしそこが抜かれたら、フィアレルが直接攻められる可能性があるってことですよね?」
ラナが鋭い視線で地図を射抜く。ガルドも身を乗り出し、険しい表情で地図を見つめた。
俺は、皆に自分の考えを提案した。
「最優先は西の国境です。あちらが崩れれば王国事態の存亡の危機です。……ですが、懸念があります。夏場、敵がどこに来るかは本当にわからない。中央の湿地帯かもしれないし、あるいはアイゼル砦かもしれない。西側が抜けられたら王都が危ないし、アイゼルが抜けられたらこの領地が蹂躙される。こればっかりは本当に、神のみぞ知る……です」
俺は、みんなの顔を順番に見た。
「だから、俺はこう考えてます。増産した鋼の半分は『規格鎧』と『交換式長槍』の半分は西側国境の前線に送る。そして、もう半分はフィアレル領の防衛――アイゼル砦のために使うべきではないか、と思います。領主たちが承認してくれるかわからないですけど、……みんなはどう思います?」
2. それぞれの決意、響き合う知恵
俺の問いかけに、真っ先に反応したのはエルナだった。
「うん。智也くんの言う通り。本来なら前線に全て送るのが戦術の基本だけど、リスクを一点に集中させるのは危ういよ。……半分でも前線の生存率は確実に上がるし、残りの半分があれば智也くんの『仕組み』でアイゼルを『落とすコストが合わない場所』に変えられる。リソースの分散投資だね」
エルナは淡々と事実を認め、次の一手を整理する。続いて、ラナが地図の一点を見据えたまま口を開いた。
「戦略的にも、その案は有効かと存じますわ。アイゼル砦の守備が強化されたという噂が回れば、帝国は別動隊の規模を拡大せざるを得なくなるでしょう。それは結果として、西側の本隊の戦力を分散させることにも繋がります。……智也殿、その妙な思いつき、実に見事な『知恵』ですわね」
「おうっ! 決まりだな」
ガルドが拳を手の平に叩きつけた。 「西の連中を見捨てるわけにいかねえが、自分たちの足元がガラ空きなのも癪だからな。半分あれば、俺たちがアイゼルを鉄壁にしてやる」
「決まりだね。……じゃあ、俺は早めにアイゼルへの裏道でもう一度偵察を入れてくるよ」
レオンが不敵に笑う。誰が上でも下でもない。それぞれの専門知識を持ち寄り、最善の道を探る。このチームの強さを改めて確信し、俺の胸に熱いものが込み上げた。
3. 領主の命、無口な友への伝言
会議の直後、扉が勢いよく叩かれた。領主館からの使いだった。 俺とレオンがすぐさま向かった領主館の広間には、フィアレル公だけでなく、鉱山の管理責任者であるバルトロさんや、先日鋼の配布を巡って議論した軍務官も顔を揃えていた。
「智也、そしてレオン。……アイゼル砦への出向を、正式に依頼したい。公的な『救国改革総責任者』として、あの砦を君の知恵で守り抜いてくれ」
フィアレル公は、重厚な封蝋がなされた任命書を俺に手渡した。俺たちの提案を見越していたかのような、迅速な決断だった。軍務官も重々しく頷いている。
「そこには現在、ミラージュ将軍が駐屯している。……象の獣人の、実直な男だ。ただ、彼は少々……いや、かなり無口でな。意思疎通に苦労するかもしれんが、信頼できる男だ」
すると、傍らにいたバルトロさんが優しく微笑み、俺の肩に手を置いた。
「ミラージュ将軍は私の昔馴染みです。あいつは言葉が足りませんが、中身は岩みたいに固い奴です。……どうか、この手紙を彼に渡してください。お前の背中を預けられる男を連れてきたと書いてあります。」
「バルトロさんの知り合いか。それは心強いな」
現場のプロが認める指揮官なら、俺の提案も無下にされることはないはずだ。俺は深く頭を下げ、任命書を胸に抱えた。
4. 十日の行軍、天空への道
領都を出発して十日。風景はなだらかな草原から、切り立った岩肌が目立つ高山地帯へと一変していた。
「……っ、空気が、薄いな」
「トモヤ、大丈夫? 少しお水飲む?」
隣を歩くリュミアが心配そうに顔を覗き込む。 道は次第に細くなり、ついには荷馬車が通れなくなった。ここからは馬での移動に切り替える。
「おっと……!」
慣れない馬の背で、俺の体が大きく揺れる。急勾配のカーブで、馬が足を滑らせそうになったその時――。
「智也殿、失礼いたしますわ」
ふわり、と風が舞う感覚と共に、背後に温かい気配を感じた。ラナが自分の馬を寄せ、俺の腰を後ろからしっかりと支えてくれたのだ。
「馬の重心と、ご自身の軸を一つにするのです。……そう、そのまま。私が支えておりますから、力を抜いてください。……風を一度だけ、私たちの足元に通しますわ」
ラナの腕に支えられ、彼女の『風』が馬の足取りを劇的に軽くする。 雲海を見下ろしながら、俺たちは天空の要塞へと歩みを進めた。
5. 静かなる巨象と、平和の眠り
霧の向こうから、絶壁に楔のように打ち込まれた石造りの要塞、『アイゼル砦』が姿を現した。
謁見の間で待っていたのは、山のような巨体を持つ男だった。象の長い鼻と、大きな団扇のような耳。厚い皮膚に覆われたその姿は、歩く城郭そのものだ。
「……ミラージュ将軍。フィアレル公の命により参りました、高瀬智也です。バルトロさんから、よろしくとの伝言を預かっています、こちら書簡です。」
俺が挨拶をすると、ミラージュ将軍はゆっくりと瞬きをした。そして、書簡を読みながら、数分の沈黙の後――。
「…………パ、オォォォォン……」
地響きのような、だがどこか穏やかな鳴き声が室内に響いた。
「……え?」
「あ、今の、たぶんすごく感動してるんだよ。バルトロさんの手紙みてさ」
レオンが小声で解説してくれる。ミラージュ将軍は静かに頷き、短い言葉を紡いだ。
「…………智也。……頼む、砦を好きに見て改善提案してくれ」
それだけ言うと、彼は再び沈黙に戻っていった。どうやら、全権を委ねられたらしい。
だが、砦を視察して回るうちに、俺の背筋に冷たいものが走った。
「……トモヤ、ここの人たち、みんな優しいね」
リュミアが言う通り、砦の兵士たちは皆、穏やかだった。日向ぼっこをしながら、錆びかけた槍をゆっくりと磨いている。
「ここはもう、百年の間、一度も攻められたことがありませんから。春が来れば花が咲き、鳥が歌う……。平和そのものですわ」
案内役の兵士が、誇らしげに笑う。 百年間一度も侵攻がなく、直近の小競り合いもここまでは届かなかった。
(……まずいな。ここは、戦うための場所じゃない。平和という名の『眠り』に深く落ちているだけだ)
俺は、地面に転がっていた鋭い小石を拾い上げた。その石を、指先で地図の「喉元」へと置く。 夏の嵐よりも早く、圧倒的な破壊がここを襲う前に。
「じゃ、やるか。」
俺の言葉に、仲間たちが静かに、だが力強く頷いた。 沈みゆく太陽が、古い砦の石壁を、不吉なほど真っ赤に染め上げていた。
【読者の皆様へ】
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