第58話 鋼鉄の十倍増産、そして忍び寄る影
1. 領都を震わす「銀の報告」
鋼の量産に確かな目処が立ち、俺たちは雪解けの道を抜けて領都フィアレルの館へと向かった。 大広間には領主フィアレル公をはじめ、各部門を司る重鎮たちが顔を揃えている。
バルトロさんが、高炉と精錬炉の成果を記した羊皮紙を、丁寧に机に広げた。
「……報告させていただきます。智也殿の設計した新炉、および鉱山での作業効率向上により、鋼の生産量はこれまでの十倍に達しました」
広間に、水を打ったような静寂が流れた。 次の瞬間、それは地鳴りのような騒ぎへと変わる。
「十倍だと……!? 何かの間違いではないのか」
「一ヶ月で、これまでの約一年分を生み出しているというのか……! なんてことだ」
俺は並み居る官僚たちの驚愕の表情を見渡した。 (……驚くのも無理はない。でも、本当の戦いはここからだ。この『鋼の山』を、何に使うか。その一歩を間違えれば、この国は自重で崩壊する)
2. 鉄の円卓、切実なる訴え
「智也殿! まずは、どうか軍へ回してはいただけないでしょうか」
軍務官が、痛切な表情で身を乗り出した。 そこにあるのは、部下を想う一人の指揮官としての顔だった。
「帝国の連中がいつ再び攻めてくるか分かりません。あのような貧弱な装備のまま、兵たちをむざむざ死地へ向かわせたくないのです。五千人の兵すべてに、槍の穂先だけでも鋼を……!」
「いいえ、民が飢えては国は成り立ちませぬ」
民政官もまた、必死に声を上げる。
「この鋼で全村に農具を配れば、収穫量は間違いなく跳ね上がります。春の種まきに間に合わせることが、最も多くの領民を救う道なのです」
「物流も同様に限界です!」と運送官が続く。「壊れぬ鋼の車軸と蹄鉄を。運べなければ、収穫も鋼も宝の持ち腐れとなってしまいます」
さらに、初老の医療官が静かに手を挙げた。 「鋼のメスや衛生器具を。これがあれば、防げる化膿や病があります。どうか、命を救うための道具を」
公共事業官も、大橋の架け替えや城壁の補強を熱心に訴える。 誰もが自分の領分こそが最優先だと信じているが、それは我欲ではない。 全てが切実で、正しいことを言っている。 だからこそ、重い。
3. 取捨選択の設計図
「皆、静粛に」
領主フィアレル公が低く通る声で制した。視線が俺に集まる。
「智也殿、あなたはどう考える。鋼はあるが、形にする手は限られている。仮で良いので優先順位を示してくれないかな?」
俺は深呼吸をし、エルナと共に練り上げた方針を提示した。
「皆様の要求はすべて正当です。ですが、順番を決めねばなりません。……第一優先は、民政(農業)です。まずは農具を量産し、春の開墾を確実に成功させます」
「第二に、軍務(防衛)。農具のラインを転用し、兵装の更新を急ぎます」
「第三は、運送(物流)。車軸と蹄鉄を更新し、領地全体の移動力を底上げします。」
俺は全員を見渡して付け加えた。
「帝国の侵攻がある今、橋や城壁、医療用具も重要であることは痛いほど理解しています。なるべく早く全てに取り掛かれるよう、工程を調整します」
4. 錆びた歯車亭の再会
その夜。 俺たちは、馴染みの酒場『錆びた歯車亭』の片隅で、ようやく一息ついていた。
「えへへ。智也くん、本当にお疲れ様。……ところで、これだけ成果が出たんだし、私の給料アップ、期待してもいいのかな?」
エルナがジョッキを片手に、いたずらっぽく笑う。
「はは、わからないよ。今度、領主様に一緒に聞いてみよう」
「智也殿、本当にお見事な采配でした」 バルトロさんが頭を下げる。 「鉱山の連中も喜んでおります。排水ポンプが止まった時のあの恐怖を思えば、今の忙しさなんて祭りのようなものだ、と皆で笑い合いながら働いておりますよ」
そんな中、酒場の扉が勢いよく開いた。
「よお、英雄さん! えらい賑わいじゃねぇか!」
「レオン、久しぶりだなー!」 「どこ行ってたんだよ、風の野郎!」
レオンの登場で、場が一気に盛り上がる。 レオンはそのまま俺たちの席に加わると、リュミアやエルナと楽しそうに談笑を始めた。
「リュミア、ここの肉は相変わらず旨いな。ちょっと髪伸びたか? 鉱山じゃいい男たちがたくさんいただろ」 「……いつものメンバーとしか居なかった。レオンこそ、変なもの、拾って食べたりしてない?」 「ひでぇな! エルナ、こいつをどうにかしてくれよ」 「あはは、レオンの頭の回転よりはマシだよー。でも、おかえり、レオン」
その様子を眺めながら、俺はふと思った。 (……いいな、こういうの。大きな仕事を終えた後に、仲間とこうして笑い合える雰囲気。現代にいた頃の打ち上げとはまた違う、命の通った楽しさがある)
酒場に笑い声が溢れる。だが、ふとした瞬間にレオンが俺の隣に寄り、声を潜めた。
「……智也。明日の朝、ちょっと情報官のところへ顔を出さないか? 良い話と悪い話が入ってる……。」
5. アイゼル砦、難攻不落の罠
翌朝。俺はレオンに連れられ、王国の情報官の詰所を訪ねた。 そこには、昨日の酒場の熱気とは無縁の、冷たく重い空気が流れていた。
「……智也殿。帝国軍の撤退に入っているとの情報が確認された。」
情報官は地図を指し、淡々と告げた。
「あちらも穀物生産がある。農民兵を領に戻すための撤退だ。帝国からしたら、予定通りの撤退だろう。ただ、王国としても一息つける、これは喜ばしいことだ。」
「だが、畑仕事が一段落すれば、奴らはまた同規模の軍勢で攻めてくるだろう。……そして、これがレオンにもまだ言っていなかった、王国の情報筋からの知らせだ」
情報官の声が、さらに低くなる。
「敵の本隊とは別に、別動隊が動く可能性がある。王国中央の湿地帯を抜けるか、あるいは……このフィアレル領の『アイゼル砦』を急襲するルートだ」
「アイゼル砦……?」 レオンが身を乗り出し、地図を覗き込む。 「あそこは高山地帯で、周囲も荒涼とした地域だ。攻めるのは極めて難しい、難攻不落の砦だろう?」
その問いに、情報官は厳しい目を向けた。
「左様。だが、だからこそ守備兵も最小限だ。もしアイゼル砦が抜かれれば、この領都までは遮るものがない。鋼が十倍になろうとも、使い手が育つ前に喉元を抜かれれば終わりだ」
窓の外、平和な朝の光の中で、鋼を叩く音が遠く響いている。 俺は、冷たい朝露に濡れた鋼の試作品を握りしめ、来るべき決戦の予感に身を震わせた。




