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第53話:鉄の路、地底を駆ける ― 軌道敷設とトロッコ ―

1. 産出の歓喜と、搬出の絶望

メギド鉱山街の深部、三番坑道。


ここには、もはやよどんだ空気も、足元を浸す冷たい地下水もなかった。クラフトした換気・排水システムが、この地底を劇的な「職場」へと変貌させていたからだ。


「……智也さん、これを見てください。またいい筋が出ました」


管理責任者のバルトロさんが、灯火を掲げて壁を指差す。そこには、鈍い銀色に光るミスリルの原石が、血管のように岩肌を走っていた。だが、その活気とは裏腹に、バルトロさんの表情は晴れない。


「……産出量は、これまでの三倍を超えました。ですが、現場はかなり無理が生じています。」


俺は、彼の視線の先を見た。そこには、掘り出されたばかりの重い鉄鉱石の袋が、坑道の壁際に山積みになっていた。鉱夫たちは、一袋数十キロもあるそれを背負い、出口へと向かって黙々と歩いている。


(……物理的な限界だな。人が背負って運べる量には、距離と重さの限界点がある)


俺は汗を拭い、肩を震わせて歩く鉱夫の姿を見つめた。せっかくの資源が、地上に届く前に「重荷」となって彼らを潰そうとしている。


「バルトロさん。この百メートルを、指一本で動かせるようにしましょう。摩擦を殺し、距離の壁を打ち破る。――『トロッコ』を導入します」


2. 智也の設計:摩擦への宣戦布告

俺たちは一度地上へ戻り、工房でグレンさん、ハックさん、そしてドワーフの少年ビトルの前で図面を広げた。


「ハックさん。坑道の床に、鉄の棒……『レール』を二本、並行に敷き詰めたいんです」


俺は地面に、荷物を引きずる時と、車輪で転がす時の違いを絵で描いて説明した。


「重い荷物を引きずれば、地面との摩擦がまともに抵抗になります。ですが、硬い鉄のレールの上を、同じく鉄の車輪で転がせば、接している面積は極限まで小さくなる。抵抗は今の百分の一以下にまで下げられるんです」


「……なるほどな。力で解決するのではなく、力が逃げる場所を塞ぐというわけか」


グレンさんが、太い腕を組んで図面を覗き込む。


「だが、智也。坑道は硬い岩の床だぞ。平坦に見えても細かな凹凸だらけだ。その上に鉄の棒を置いただけで、本当に上手くいくのか?」


「ええ、そのための対策も考えてあります。まずはレールの製作をお願いします」


3. 幼き名工と鋼の背骨

製作は、驚異的なスピードで進められた。招集された多くの職人が動員された工房は、鉄を打つ音と、旋盤が回る音で満ちている。


「智也さん! 見て見て、この車輪。この『フランジ』の角度、これで合ってる?」


ビトルが、ドワーフ特有の力強さと器用さで、削り出したばかりの鉄輪を掲げて見せた。見た目は十代前半の少年だが、その指先が作り出す精度は、並のベテラン職人を遥かに凌駕している。


「完璧だ、ビトル。これがレールの内側を噛むことで、脱線を防ぐガイドになるんだ」


「ええ、よかった! 摩擦なんて、僕が全部消してやるから!」


ビトルが誇らしげに鼻を鳴らし、再び作業台に戻っていく。彼のような若き才能が、俺の知識に物理的な命を吹き込んでくれる。それがこの地での、俺の最大の武器だった。


4. 岩盤の拒絶

だが、現場での敷設作業に入った時、予想外の「現実の壁」が立ちはだかった。


「智也! ダメだ、レールが跳ね回って固定できねえ!」


ガルドの焦ったような声が響く。運び込まれたレールを岩盤の上に直接設置し、石を満載した試作トロッコを載せた瞬間。「ガキンッ!」という激しい金属音と共に、レールが歪み、車輪が激しく火花を散らしたのだ。


坑道の床は硬い岩盤だが、実際には数ミリ単位の鋭い突起が無数に存在していた。その上にレールを直接置いた結果、荷重がレールの「一点」に集中。逃げ場のない圧力がレールをねじ曲げ、さらに車輪が突起を乗り越えるたびに、トロッコ全体が激しく跳ねて脱線しかけていた。


「これじゃ使い物にならねえぞ。岩を鏡みたいに平らに削るなんて、何年かかるか分かったもんじゃねえ」


ガルドが忌々しげに岩の床を蹴る。俺は額の汗を拭った。岩盤ゆえの「硬さ」が、逆に仇となったのだ。


5. 獣神の力、岩を均す

(……岩盤の凹凸を物理的にすべて削るのは不可能だ。だが、一時的にでもその角を落とせれば……)


状況は詰んでいた。その時、隣で状況を見ていたガルドが、静かに一歩前に出た。


「智也。……今から俺が、レールの真下の岩の『角』だけを叩き落とす。少しの間だけだ、その隙にやれ!」


ガルドは腰を落とし、両拳を岩盤に突き立てた。彼の中に眠る獣神の魔力が、衝撃波となって床へと伝わる。


「――『剛土のごうどのくさび』!」


ドォォン! という腹に響く振動と共に、ガルドの拳の周囲数メートル分だけ、岩盤の鋭い突起が粉々に砕けて平らにならされていく。だが、ガルドの額からは滝のような汗が流れ、その腕は激しく震えていた。


「……ぐ、っ! 智也、今だ! ここだけは平らだぞ!」


「分かった、今だ! みんな、用意したアレを敷け!」


6. 枕木とバラストの緩衝

ガルドが魔力で強引に岩の角を落とした隙に、俺は現場の職人たちを突入させた。


「岩盤の上に直接置くんじゃない! まず、この細かく砕いた石……『バラスト』を厚く敷き詰めるんだ!」


鋭い突起を砕石の層で包み込み、凹凸を吸収させる。その上に、切り出した硬い木の板……『枕木まくらぎ』を並べていく。


「枕木をクッションにして、レールの重さを岩盤全体に逃がすんだ。これで鉄が直接岩に負けることはなくなる!」


魔法で一時的に整えられた区間に、職人たちが必死に石を詰め、枕木を固定し、その上にレールをボルトで留めていく。魔法で作った一瞬の平穏を、クラフトの知恵で永続的な道へと変えた瞬間だった。


「……見てくれ。魔法がなくても、レールが安定してる」


バルトロさんが、完成した区間のレールを叩いて叫んだ。岩盤という「動かない壁」に対し、砕石と木という「遊び」を持たせることで、物理的な衝撃をいなしたのだ。


7. 軌道が描く未来の轍

数日の突貫工事を経て、三番坑道に一本の銀色の線が完成した。入り口付近には、グレンさんが組み上げた巨大なドラムを備えた水力ウィンチが鎮座している。


「……さあ、実験です」


大人四人がかりでも動かせなかった重量のトロッコ。一人の鉱夫が、恐る恐るその背中を軽く押した。


――コトン。


小気味よい音が、静かな坑道に響く。トロッコは、岩盤の凹凸を枕木がしなやかに吸収しながら、滑らかに加速して鉄路を走り出した。


ウィンチのバルブが開放され、水力タービンが猛烈な勢いで回転を始める。数トンの石を載せたトロッコが、出口に向かってスルスルと登り始めた。


「これだ……。これが、俺たちの欲しかった力だ!」


バルトロさんが震える声で叫んだ。その光景は、現場にいた全員の心に「文明」という名の希望を刻み込んだ。


8. 宿の静寂、湯気の向こう側

その日の夜。俺は這うようにして、メギド鉱山街にある小さな宿屋に戻った。一日中、岩盤の粉塵と、レールの錆、そして機械油にまみれた体は、自分でも驚くほど汚れていた。


「……トモヤ、おかえり。ひどい汚れだね」


部屋の扉を開けると、リュミアが心配そうに駆け寄ってきた。彼女はすでにお湯を用意してくれていたようで、室内には微かに石鹸の香りと温かな湯気が漂っている。


「悪い、リュミア。ちょっと……いや、かなり疲れちゃって」


「いいよ、座って。私が綺麗にしてあげるから」


リュミアに促されるまま、俺は簡素な木の椅子に腰を下ろした。彼女は甲斐甲斐しく俺の上着を脱がせると、手慣れた様子でお湯に浸した布を絞った。


ふと見れば、リュミアも少し薄着になっていた。宿の熱気のせいか、それともお湯を用意してくれたせいか、彼女の白い肌はほんのりと赤らんでいる。寝間着に近い薄いシャツは、肩口が少しはだけていて、そこから覗く白い鎖骨が妙に生々しく目に焼き付いた。


9. 汚れを落とす、熱い掌

「……トモヤ、動かないでね」


リュミアの温かい掌が、布を介して俺の背中に触れた。こびりついた油汚れを、彼女は慈しむように丁寧に拭い去っていく。


(……やばい、意識が飛びそうだ)


背中をなぞる彼女の指先の感触が、疲れた体には刺激が強すぎる。湯気で少し湿ったリュミアの髪が、時折俺の肩に触れ、甘い香りが鼻をくすぐった。彼女のブラウスは、お湯の飛沫で少しだけ濡れて肌に密着し、その柔らかい質感まで伝わってくるようだ。


「……トモヤ、ここ。火傷してるよ? レールの火花かな」


「え? あ、ああ……気づかなかった」


彼女の指が、傷跡の周りを優しく円を描くように動く。そのたびに、全身に電流が走ったような感覚に襲われる。ふと見上げると、リュミアの瞳は真っ直ぐに俺を見ていて、その潤んだ瞳には俺の姿が映っていた。


「……トモヤが頑張ってるの、ちゃんと見てるから。……でも、あんまり無理しないで」


彼女の声は、地底の爆音よりも深く、俺の心に響いた。重なり合う鼓動の音。鉄と知恵の戦いの後に待っていたのは、残酷なほどに甘やかで、熱い夜の静寂だった。

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