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第52話:冬の吐息と紫の輝き ― アルキメデスポンプ ―

第52話《地底を巡る螺旋と、泥のなかの光》

1. 停滞する三番坑道

(……想像以上に、現場の士気が削られているな)


メギド鉱山街、三番坑道の深部。 以前導入した換気システムのおかげで、喉を焼くような不快な煙や熱気は消えていた。 だが、代わりに俺たちの前に立ちはだかったのは、足元を浸食する「泥の鎖」だった。


「智也さん、見ての通りです」


鉱区長のバルトロさんが、泥に汚れた手で顔を拭いながら嘆息した。 足元にはくるぶしを越える濁った水が溜まり、ツルハシを振るうべき屈強な鉱夫たちが、一列に並んで延々とバケツを回している。


「地下水の浸入が激しく、人員の半分がこのバケツリレーに取られています。これでは採掘効率は以前の三割減。正直、現場は限界です」


掘り進める場所(切羽)に水が溜まれば、採掘作業は物理的に不可能になる。 彼らは一日中、重い泥水を汲み出しては捨てるという、終わりなき単純作業に貴重な体力を奪われていた。


「バルトロさん。……わかりました。この状況、俺の設計で変えてみせます」


(……重力に逆らって、水を『担ぎ上げる』仕組みが必要だ)


2. 氷の指先と、計算外の熱量(エルナの接近)

三番坑道の視察から戻った俺の体は、芯まで冷え切っていた。 防寒着を脱ぐ指先は感覚がなく、自分のものとは思えないほど白く強張っている。


「……っ、く、そ。……これじゃ、ペンも握れないな」


「おかえり、智也くん。……わあ、ひどい。指先が氷みたいに真っ白だよ」


工房で待っていたエルナが、俺の姿を見るなり駆け寄ってきた。 彼女は俺の震える両手を迷わず取ると、自分の小さな手のひらで包み込む。 だが、それでは足りないと思ったのか、彼女は「……ん」と短く頷いて俺の懐に潜り込んできた。


「……エルナ?」


「動かないで。……智也くんは、今すぐ末端の血流を戻さないと作業効率がゼロになっちゃう。……だから、これ、使って」


エルナはそう言うと、俺の凍えきった両手を、あろうことか彼女の脇の下――さらに言えば、薄いシャツの内側の、彼女の素肌に近い場所へと強引に引き込んだ。


「ちょ、おい……! どこに手を入れて……っ」


「いいから。……ここが一番、血管が近くて効率がいいの。……ほら、もっと奥まで、私の体温を吸い取って?」


薄い冬用下着越しに、彼女の脇から胸の横にかけての、驚くほど柔らかで熱い肌の感触がダイレクトに伝わってくる。 俺の指先が触れるたび、エルナは「ひゃぅ……冷たいっ」と小さく肩を跳ねさせたが、それでも俺の手を離そうとはしない。


(……いかん。理性が、凍結する前に爆発しそうだ。指先の感覚が戻るにつれて、彼女の肌の質感や、密着している胸の柔らかな弾力まで克明に伝わってきやがる)


さらにエルナは、俺の首筋に自分の顔を埋めるようにして、耳元で熱い吐息を漏らした。


「……あ。智也くん、顔が赤くなってきた。……血流、戻ってきた証拠だね。……あともう少し、私がここを温めてあげるから。……ね?」


彼女の鼻先が俺の鎖骨をくすぐる。 石鹸の香りと、彼女が発する甘い雌の匂いが、冬の冷たい空気を塗り替えていく。


「……エルナ、もういい。もう十分に……熱い。計算、始めよう」


「えへへ。……智也くんの心臓、さっきから凄く速いよ? これも、寒さのせい?」


エルナは俺を見上げ、悪戯っぽく、けれど慈しむような潤んだ瞳で微笑んだ。 (……全く。この会計係は、俺の精神的なキャパシティを全く計算に入れてないらしい)


彼女の献身的な(?)暖房のおかげで、俺の手は驚くほど滑らかに動き始めた。 その熱を奪われないうちに、俺は一気にアルキメデスポンプの最終図面を書き上げた。



3. 設計:アルキメデスポンプ

俺は工房長のグレンさん、ハックさん、そしてドワーフの少年ビトルを呼び集めた。


「グレンさん、ハックさん。今回は、この『螺旋揚水機らせんようすいき』を作りたいんです」


俺は図面の螺旋スクリュー部分を指でなぞりながら説明した。 「太い筒の中に、薄い板を螺旋状に巻き付けた軸を通します。これを回転させれば、水は螺旋にすくわれて、低い場所から高い場所へ、重力に逆らって運ばれる仕組みです」


「ほう……。わざわざバケツで運ばなくても、回すだけで水が『坂を上る』というのか。智也さん、面白いことを考える」 グレンさんが感心したように顎を撫でた。


俺は五つの工程を提示した。 ①集水槽を掘り、水を一箇所に集める。 ②ポンプを35度の傾斜で設置。 ③坑道の天井付近にある「排水ダクト」へ水を担ぎ上げる。 ④勾配を利用して自然に外へ流す。 ⑤出口で石灰を投入し、酸性水を中和して放流する。


「よし、やるぞ! 智也、俺たちが最高の螺旋を作ってやる!」 ハックさんが太い腕を叩いて応えた。


4. 現実的な壁:焼き付く軸受(一度目の詰まり)

製作は順調に進むはずだった。 だが、試作機を現場に持ち込み、三番坑道の重い泥水を吸い上げようとした瞬間――。


キィィィィィッ……!!


嫌な金属音が坑道に響き渡り、駆動用の水車がピタリと止まった。


「……智也! 軸受が熱を持って、木が焦げ始めてるぞ!」 ハックさんの叫び声。


4メートルもの長大な螺旋の中に、数百キロの泥水が満ちている。 その総重量が、一点の軸受に集中したのだ。 この世界の潤滑剤(黒油)とベアリングの組み合わせでは、この凄まじい摩擦抵抗に勝てなかった。


(……くそ。計算上は回るはずだったが、現場の泥水には砂利が混じっている。その噛み込みが摩擦を倍増させているのか……!)


人力で回そうにも、重すぎて動かない。 現場に重苦しい沈黙が流れる。 「やっぱり、機械で水を上げるなんて、無理だったんじゃ……」という鉱夫たちの不安な声が漏れ始めた。


5. 静振石の調和

「智也さん、ボクの出番だね」


ビトルが、小さな青い魔石を取り出した。 『静振石せいしんいし』。 微細な振動を打ち消し、回転を滑らかにする特性を持つ希少な魔石だ。


「ビトル、頼めるか。……一箇所だけでいい。最も負荷がかかる、最下部の軸受に組み込んでくれ」 「任せてよ! ……えいっ」


ビトルが器用に魔石をベアリングに埋め込み、魔力を流す。 石が淡く発光し、軸の「歪み」を魔法の力で強引に補正した。 魔石による「物理法則の緩和」だ。


ゴゴゴッ……と、重厚な音が響く。 先ほどまで悲鳴を上げていた軸受が、魔法の加護を受けて驚くほど滑らかに回り始めた。


螺旋の羽根は、薄い板を何枚も重ね、繊維の向きをズラして接着した『積層せきそう構造』。 一枚板よりも遥かに強く、しなやかだ。


ズズズ……ズズズズッ……!!


先端が泥水を吸い込み、水が蛇のように筒の中を這い上がっていく。 やがて、天井付近のダクトから、ドッと濁った水が吐き出された。


鉱夫たちが、信じられないものを見る目でその光景を眺めていた。


6. クラフトの完成:螺旋の昇龍

数日の作業の末、ついに「螺旋揚水機」が完成した。 俺たちはそれらを担ぎ、再び三番坑道の泥沼へと向かった。


俺はガルドたちと協力し、ポンプの先端を集水槽に沈め、絶妙な角度(約35度)で設置した。出口は、坑道の天井付近に新設した「排水用の樋」へと繋がっている。


俺は導水管のバルブに手をかけた。 「グレンさん、ハックさん。……始めます!」


バルブが開放され、湧水がタービンを叩く。 キィィィィ……! とギアが噛み合う高い音が響き、ゆっくりと、だが力強く巨大な螺旋が回り始めた。


集水槽から一度高い位置にあるダクトに乗った水は、あとは俺たちが作った「樋」の勾配に従って、自動的に坑道の入り口付近へと流れていく。


そこからは最終地点のポンプによって、水は音を立てて坑道の出口へと流れていった


「……上がってる。本当に、水が坂を上ってるぞ!」


何十人もの鉱夫が数時間がかりで行っていた排水が、機械の力によって、自動的に流れていく。その嘘のような事態に、現場の誰もが言葉を失った。


「智也さん、これなら……これなら、俺たちは採掘に専念できる!」 バルトロさんが、震える声で俺の手を握った。


7. 希望の風、そして発見

一時間後。 あれほど絶望的だった三番坑道の水位が、みるみるうちに下がっていく。 排水に取られていた人員はすべて採掘に戻り、坑内には再び、力強くツルハシを振るう音が響き始めた。


俺の隣で、リュミアがそっと俺の手を握った。 彼女の指先は冷えていたが、握り返す力は温かい。


「……トモヤ。みんな、笑ってる。……すごいや」 「……ああ。これで、みんなが死ぬ気でバケツを運ぶ必要はなくなった。……リュミア、君が隣にいてくれたから、最後まで投げ出さずに済んだよ」


リュミアは俺の顔をじっと見つめ、小さく、だが力強く頷いた。


「トモヤの知恵は、この村の……この国の『根』を強くしている。……私、あなたの隣で、その変化をずっと見ていたい」


その時だった。 水が引いたばかりの、坑道の最奥部。 一人の鉱夫が振り下ろしたツルハシが、カチリと、澄んだ高い音を立てた。


「……なんだ、この輝きは?」


ろうそくの光に照らされ、そこには見たこともない深みのある紫色の結晶が、濡れた岩肌から顔をのぞかせていた。 メギドの伝説に語られ、この数十年誰も目にすることができなかった「真・魔導銀ハイ・ミスリル」の原石。


地底の脈動が、風と水の循環によって、ついにその沈黙を破ったのだ。


「グレンさん、ハックさん! どうやら、山が俺たちの『知恵』にご褒美をくれたみたいですよ!」


俺の声が、地底の深淵に、希望の風と共に明るく響き渡った。





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