第50話:暗闇の呼吸と巨大な『扇風機』
1. 素材革命と次なる心臓の設計図
「智也殿、改めて礼を言わせてほしい」
領主フィアレルは、執務室から活気づく街を見下ろしながら穏やかに告げた。大規模製粉所の稼働と規格化された『命の糧食』により、領内の食料供出は円滑に進み、民の不安は期待へと変わりつつあった。
「……身に余る光栄です。ですがフィアレル様、改革を次へ進めるために必要なのは『素材』です」
俺は一枚の図面を広げた。それは以前の木製旋盤とは一線を画す、金属製軸受けを組み込み、鉄そのものを削り出すための『精密旋盤』の設計図だ。
「この機械はあくまで手段です。本当に必要なのは、精密部品を支える『高品質な鉄』と『純度の高いミスリル』の安定供給です。素材の質を規格化し量産する土台を築く。それこそが、フィアレル領を真に富ませる近道です」
領主は深く頷き、この「素材革命」を全面的に俺に委ねた。案内役として実務派の文官バルトロが、さらに俺の要請で魔道具製作の天才少年ビトルと工房ギルド長も同行することが決まった。
2. 三日間の揺らぎ、腰元の『相棒』
領都フィアレルを後にし、一行は馬車で三日間の行程を経て辺境の鉱山へと向かった。 険しい山道に揺られながら、俺は無意識に腰元の感触を確かめていた。
「……智也。その棒、いつも持っているね」
隣に座っていたリュミアが、不思議そうに俺の手元を覗き込んできた。
「ああ、これか。……なんて言うか、これが腰にないとなんか落ち着かないんだよね。特別な力があるわけじゃないけど、迷った時に最後の一押しをくれる相棒っていうか……もう、体の一部みたいな感覚かな」
「ふふ、お守りみたい。智也がそれを見つめる時の顔、私、好きだよ」
リュミアは俺の目を見つめ、優しく微笑んだ。視線越しに伝わる彼女の信頼が、これから始まる過酷な現場を前にした俺の心を静かに整えてくれた。
「智也さん、僕の新しい回路、見てよ! 鉱山で使う装置の核になる魔石なんだ」
ビトルが膝の上で魔道具をいじり、ギルド長が「これ、仕事中だぞ」と苦笑しながらも孫を見守っている。車内は以前よりも賑やかだ。
「智也さん、現地の最新の報告書です」
向かいに座るバルトロさんが、真剣な面持ちで書類を差し出した。
「三番坑道の深部で、地下水の浸入が激しくなっています。排水のために人員の半分が取られ、採掘効率は以前の三割減です。さらに、空気の淀みも深刻で、たびたび休憩を挟まなければ、意識を失う作業員が続出しているとのことです。正直、現場は限界に近い」
「水と、空気か……。バルトロさん、どんなにいい鉱脈があっても、人が息をできない場所では宝もただの岩です。まずは、その環境から改善していきましょう。」
3. 煤煙の街と、夜の作戦会議
三日目の夕刻。俺たちは、急峻な斜面に小屋が密集する『メギド鉱山街』に到着した。 精錬炉から上がる煙が重く立ち込め、街全体が湿った土と鉄錆の匂いに満ちている。
俺たちは街の入り口に近い宿屋『岩トカゲ亭』を借り切り、そこを拠点とした生活をスタートさせた。 その夜。宿の一階、大きなテーブルを囲んで、俺、リュミア、エルナ、ガルド、ラナに加え、鍛冶師のグレンさんとハックさん、ギルド長とビトルが集まった。
「……いいか、智也。地底は地上の常識が通じねぇ場所だ。特に『見えねぇ空気』は、どんな魔物より早く、静かに人を殺す。それだけは肝に銘じておけ」
グレンさんの厳しい忠告に、俺は背筋を正した。
「分かっています、グレンさん。だからこそ、今回は『山に呼吸をさせる』ための改善を優先します。」
「智也くん、これ。バルトロさんの報告書から起こした最新の坑道図だよ。……ほら、ここを見て」
エルナが説明のために、俺の背後からぐいっと身を乗り出した。 その瞬間、彼女の柔らかな髪が俺の頬をくすぐり、甘く華やかな香りが鼻腔を突く。 耳元で囁かれる吐息は驚くほど熱く、背中に当たる柔らかな感触と、視線の先にある彼女の灯火に照らされた白い首筋に、俺の思考は一瞬でホワイトアウトした。
「あ、ありがとうございます、エルナさん。……確かに、この袋小路になっている場所が、空気の淀みの起点ですね。明日はここを中心に改善策を打ち込みましょう」
あまりの至近距離に固まっていると、突然、俺とエルナの間に「スッ」と細くしなやかな腕が割り込んできた。
「――エルナ、トモヤが図面を見づらそうだよ?」
リュミアだった。彼女はいつになく真剣な、それでいて少しだけ膨れた表情で、俺とエルナの間に割り込むようにして座り直した。
「えへへ、ごめんねリュミア。熱心になりすぎちゃった」
エルナは悪びれもせず微笑みながら少し身を引いたが、リュミアは俺の腕をそっと自分の方へ引き寄せ、離そうとしない。
「……トモヤ。私も、その場所が一番危ないと思う。」とリュミアがボソッと言ってきた。
俺は慌てて「あ、ああ、確かに。この袋小路になっている場所が淀みの起点だ。明日はここを中心に対策を打とう」と、上気した顔を隠すように図面へ指を走らせた。
4. 滞る風、噴き出すエネルギー
翌朝。俺たちはバルトロさんの案内で、最前線の坑道へと足を踏み入れた。 横へ横へと伸びる坑道は、入り口付近こそドワーフ式の堅牢な楔止めで維持されていたが、奥へ進むほど状況は劣悪さを増していた。
「……空気が重い。それに、この臭いは」
俺は鼻を突く不快な臭いと、肌に纏わりつく湿気に足を止めた。温度が上がり、酸素が薄れている。採掘の最前線(切羽)から戻ってくる鉱夫たちは皆、顔色が悪く、肩で息をしていた。
「ええ。採掘速度が上がったことで、空気の循環が完全に止まっています。さらに……」
バルトロさんが指差した先では、岩壁の亀裂から凄まじい勢いで地下水が噴き出していた。 「この湧水です。排水のために人員の半分が取られ、現場は文字通り、溺れかけています」
バルトロさんは沈痛な面持ちで首を振った。だが、激しく噴き出す水の飛沫を浴びながら、俺の脳内では全く別の計算が始まっていた。この水圧、この流量。これは単なる厄災じゃない。巨大なエネルギーの塊だ。
「バルトロさん。この水は敵じゃない、俺たちの『肺』を動かすエンジンになります」
「……智也殿、何を? 水で空気を洗うとでも?」
「いえ、もっと直接的です。この湧水の力で、巨大な『扇風機』を回します」




