第45話《救国の招請、村の柵を越えて》※スノウィ村編 完
1. 黄金の村に差す「焦燥」の影
収穫祭の熱気がまだ微かに残るスノウィ村の入り口に、領主家の紋章を戴いた一台の馬車が滑り込んできた。
降り立ったのは、フィアレル領主の娘、アリアだ。
その表情にはいつもの凛とした余裕がなく、どこか追い詰められたような硬さが宿っていた。彼女の瞳の奥にある重圧を、俺は見た瞬間に悟った。
「智也殿、急ぎお話ししたいことがあります。……いえ、お願いに参りました」
彼女の口から語られたのは、王都の切迫した窮状だった。帝国の圧倒的な物量を前に、王国はもはや後がない崖っぷちに立たされている。ヴァレリア王女は、領民が冬を越せる限界ギリギリまでの物資供出を命じるという、苦渋の決断を下したのだという。
アリア様がわざわざ自らここまで足を運んだという事実そのものが、事態の深刻さを物語っていた。
2. 「点」を守るために「面」を救う
実は、アリア様が来る前から、俺とリュミアはこれからのことを話し合っていた。収穫祭の夜、丘の上で誓い合った「領地全体のアップデート」という目標だ。
リュミアの自宅の庭で、俺はアリア様に向き合った。
「アリア様、分かっています。このスノウィ村がどれだけ豊かになっても、フィアレル領全体が弱ければ、いつか帝国の波に飲み込まれてしまう。この村のみんなの笑顔を守り抜くためには、まずこの領全体を、帝国が手出しできないほど強く、豊かな『盾』に作り変えなければならないんです」
俺の言葉に、隣にいたリュミアが力強く頷いた。
「トモヤの行くところなら、私もどこまでも行くよ。……それが、巡り巡ってお母さんやこの村を本当の意味で守ることになるって信じてるから」
3. 集落の誇り、背中を押す声
アリア様の招請を受け、村の集会場には族長をはじめ、村の主立った面々が集まった。
集会場に村の主だった面々が集まると、沈黙を破ったのは意外にも、族長の息子であるガルドだった。
「智也。……いや、俺たちも一緒に行こうと話し合っていたんだ」
ガルドの言葉に続くように、ラナとエルナが力強く同調する。
「ええ。先日、城下町へ参りました折に、わたくしも存じましたわ 。帝国の脅威は、わたくしたちが案じていたよりも、ずっと身近にまで迫っております」
「いつか、スノウィ村の中だけじゃ収まらない日が来ますよ。……そういう時が来たら、私たちは智也くんと一緒に戦う必要があるよ。あの日から、三人でずっとそうお話ししていたんですから〜」
三人の覚悟に、俺は胸が熱くなるのを感じた。
それを受けた族長も、静かに、だが確信を持って頷いた。
「智也。……心配はいらぬ。見ての通り、今年の冬は例年になくなんとかなりそうだ。お主のくれた知恵のおかげだ」
長老たちも深く頷く。「ああ、食料は十分だ。蔵から溢れんばかりよ」
若い戦士たちも、腰に差した新型の獲物を叩いて笑った。
「あれからモンスターどもも、村の防備を見てなりを潜めてやがる。俺たちだけでも十分に追い払えるさ」
弓隊の女性たちも続く。
「武器の精度が上がったおかげで、私たちだけでも真っ当に戦えます。村は私たちが守り抜きます」
衛生管理を担っていたフィリオも、穏やかに微笑んだ。
「水が綺麗になり、病人は劇的に減りました。もう、あの頃のような絶望はありませんよ」
「みんな……。ありがとう」
……俺が渡した『知恵の種』を、ここまで立派な『力』に育ててくれたのは、みんなだ。この村はもう、誰かに守られるだけの場所じゃない。……みんなこそが、この国の新しい形なんだな。
「おい、若けぇの。……俺たちのことを忘れてもらっちゃ困るぜ」
グレンさんが、煤で汚れた大きな手を俺の肩に置いた。隣には、ハックさんが愛用の指金を腰に差し、不敵な笑みを浮かべて立っている。
「グレンさん、ハックさん……。でも、二人がいなくなったら、村の工房はどうなるんですか?」
「はっ、ナメんじゃねぇ。智也、お前が言ったんだろ? 『規格』と『仕組み』さえあれば、誰が作っても同じ精度が出るってな。俺たちが叩き込んだ弟子たちと、あの三代目旋盤があれば、村の守りはビクともしねぇよ」
グレンさんはそう言って、背負っていた巨大な荷物をドサリと床に置きました。中から覗いたのは、精密旋盤の重要パーツを分解して詰め込んだ**『移動式工具一式』**だった。
「俺はな、お前が見せてくれたあの『理』が、国中の鍛冶屋をどうひっくり返すのか、この目で見届けたくなったんだ。……帝国が数で来るってんなら、俺が国中の鉄を『規格』に叩き直してやるよ」
「俺もだ、智也」 ハックさんが静かに言葉を継ぎます。 「大型旋盤で作ったあの羽根や軸受……あれを国中の水車や城門に応用すれば、物流も防御も劇的に変わる。……木の性質と『精度』を繋げる役割は、俺にしかできねぇだろ?」
「……グレン、ハック。お前たちまで……」 族長が目を見開きましたが、やがて諦めたように、しかし誇らしげに笑いました。
「……方針は定まったな。智也、お前はもはや一人の漂流者ではない。この村の希望であり、最高の職人たちを率いる導き手だ。……行け。そして、この村で産声を上げた『精度』という魔法で、国を救ってこい」
4. 継承者の進化――父と長老たちの眼差し
翌朝、広場では、エルナとラナもまた、家族との短い、けれど決意に満ちた別れを惜しんでいた。
そこにまた、戸惑う若者たちを笑い飛ばしながらテキパキと指示を飛ばすガルドの背中を、族長と長老たちが遠くから静かに見守っていた。
「……見てくれ、ガルドのあの顔を。私の息子ながら、あんなに混じり気のない笑顔を見せるようになったのは、いつ以来だろうな」
族長の言葉には、父親としての深い自責と、それを上回る喜びが滲んでいた。隣にいた最古参の長老が、細めた目で頷く。
「全くだ。あやつは次期族長という名に縛られ、行き詰まった村の行く末を自分一人の肩に背負い込もうとしておった。剣を振るうその背中は、いつ折れてもおかしくないほど悲壮感に満ち、余裕など微塵もなかったが……」
族長は、ガルドが馬車に設計図の束を積み込み、智也と冗談を言い合いながら未来を語る姿を眩しそうに見つめた。
「智也という若者が持ち込んだ『仕組み』が、あやつを重圧という檻から連れ出してくれたのだな。ただ村を守るという重い義務感からではなく、自分の手で世界をより良く変えていけるという、光に満ちた確信……。あれこそが、あやつが本来持っていた『強さ』だったのだ」
「……ええ。彼の目はもう、枯れゆく大地ではなく、遥か先にある希望の地平を見据えております。ただの跡取りではなく、新しい時代を導く真のリーダーの姿。……智也には、感謝してもしきれんな」
彼らの視線の先で、ガルドはふと手を止め、こちらを振り返った。そして、自分の進むべき道を認めてくれた父と長老たちに向かって、言葉の代わりに、迷いのない力強い拳を胸に当ててみせた。
それは、かつての「折れそうな守護者」が、新しい世界の「開拓者」へと生まれ変わったことを告げる、最高の誓いだった。
5.夜の静寂と、導きの熱
出発を明日に控えた最後の夜、スノウィ村は深い静寂に包まれていた 。 囲炉裏の火が爆ぜる音だけが、暗い土間に小さく響いている 。
俺は一人、荷物の最終確認をしていた 。エンジニアとして常に「論理」と「仕組み」を重んじてきたが、これから向かうのは一村の改善ではない 。領地、ひいては王国全体の運命を左右する巨大なプロジェクトだ。
「……俺に、本当にやり遂げられるのか」
不意に弱音が漏れた 。転生によって肉体は18歳に戻ったが、精神は30歳のままだ 。だが、自分はただの現場エンジニアに過ぎない 。魔力もなければ、ゲームのようなステータス補正やスキルも一切ない俺が、帝国の物量という圧倒的な暴力に対抗できる「仕組み」を構築できるのだろうか 。
俺は荷物の中から、あの日森で拾った「先端に灰色の石が埋め込まれた棒」――判断の棒を取り出した 。
手に持った棒は、夜の冷気の中でも不思議と生き物のような温もりを帯びている 。かつて森の三叉路で、自分の直感よりもこの棒の導きを信じて正解を選んだことがあった 。俺はそれを、囲炉裏の前の平らな土の上に垂直に立てた 。
(俺が領都へ行くこの選択は、スノウィ村の、そしてこの国の「成功する未来」に繋がっているのか?)
俺は深く息を吐き、深呼吸をしてから、そっと指を離した 。
棒は一瞬、完璧な静止を保ち、やがてゆっくりと、まるで最初から決まっていたかのような確固たる意志を持って傾いていった 。
そして――。 バタン、という乾いた音を立てて倒れた先は、村の入り口を通り、領都フィアレルへと続く「西」の方角だった 。
「……そうか。やっぱり、そっちなんだな」
俺は倒れた棒を拾い上げた 。灰色の石の部分から伝わる柔らかな熱が、不安で強張っていた指先の筋肉をわずかにほぐしていくのを感じた 。科学的根拠はゼロだ 。だが、今の俺に当てにできるのは、自分の選択と、それを後押ししてくれるこの棒の熱だけだった 。
6. 別れ、そして決意の出立
旅立ちの直前、昨夜、十分に別れを済ました筈のリュミアは一度だけ自宅の扉を叩いた。 そこには、智也が贈った軽量手押し車を使い、庭先で家事をこなす母親の姿があった。
以前は肺の病を患い、少し動くだけでも激しく咳き込み、竈の煙にすら命を脅かされていた。
だが、フィリオが整えた衛生環境と、智也が導入した煙の出ない竈、そして体力を消耗させない手押し車のおかげで、今では深く、穏やかな呼吸を取り戻している。
「リュミア……。頑張ってね」
母の静かな声に、リュミアは堪えていた想いが溢れ出し、たまらず母の胸に飛び込んだ。
「……お母さん、やっぱり行けないわ。お母さんを一人にして、私だけ遠くへ行くなんて。もしまた肺の具合が悪くなったら? 私がいなくて、寂しくて泣いていたら……? そう思うと、どうしても足が動かないの」
リュミアの震える肩を、母は温かく抱きしめた。
「いいのよ、リュミア。……今の私を見て。智也さんがくれた清潔な空気とこのお車のおかげで、私はこんなに元気に動けるようになった。私のことはもう心配いらないわ。今の私があるのは、あなたたち二人が力を合わせて頑張ってくれたからなのよ」
リュミアは母の胸に顔を埋めたまま、迷いを口にした。トモヤと一緒にいたい。でも、お母さんを一人にはできない。そんな彼女の心を透かすように、母は慈しむような瞳で語りかけた。
「リュミア。智也さんにはね、あなたが必要なのよ」
「あの子は凄いことを次々に成し遂げるけれど、その隣には、あの子の心を支えて一緒に歩むあなたがいなきゃいけない。私には分かるわ。あの子の隣は、あなたの居場所なのよ。……だから、いってきなさい」
母はリュミアの背中を、優しく、しかし確固たる意志を込めて押した。
「あなたが智也さんの隣で笑って、誰かの希望になっていることが、私にとって一番の薬なんだから。お母さんはここで、あなたが目標を成し遂げて帰ってくるのを待っているわ」
馬車は門を潜り、何度も何度も振り返るリュミアに、母は笑顔で手を振り返した。その姿が小さく霞んで見えなくなるまで、母は毅然と立ち続けていた。
アリア様の馬車を先頭に、精密機器と設計図を積み込んだ数台の荷馬車が、住み慣れたスノウィ村の柵を越えていく。かつて調査のために訪れたあの領都へ、今度は「変革」を携えて戻るのだ。
(待ってろよ、帝国。お前たちの『数』を、俺たちの『仕組み』で、そしてこの絆で叩き潰してやる)
馬車の車輪が刻む規則正しいリズムは、新しい時代の鼓動そのものだった。 一人のエンジニアと、彼を一番近くで支えると誓った少女。 フィアレル領全土を書き換えるため、また強大な帝国に対抗するための壮大な物語がいま、本格的に動き出した。




