第43話【コモンス王国①】《西の都、竜姫の憂鬱》
1. 嘘を吐ける王女、孤高の仮面
大陸の西方、緑豊かな平原に佇む王都。その中心に聳える王城のテラスで、皇太子であり王女であるヴァレリアは、燃えるような夕闇に沈む街を見つめていた。
十九歳。頭部には気高く、そして硬質な竜の角を抱いている。
揺らめく炎のように鮮やかな赤髪をたなびかせる彼女は、その美貌から「王国一の美女」と謳われ、その名は国境を越え、敵対するラグナ帝国にまで知れ渡っていた。
だが、その美しさは常に冷徹な責任感という鎧に包まれている。
彼女には、誰にも言えない一生の秘密があった。
この王国の民には、太古より伝わる『真実の制約』のようなものがかかっていると聞いている。公の場や重大な決断において、人々は嘘を吐くことが生理的にできない。皆、清廉で真っ直ぐにしか生きられないのだ。
だが、ヴァレリアだけは違った。彼女は竜の力が強く出た影響か、この国では珍しく「嘘を吐ける特異体質」だった。
幼い頃、些細な隠し事のために母に吐いた嘘。その瞬間、最愛の母が自分に向けた「自分とは違う生き物を見ているような、得体の知れない異物を畏怖する目」。あの凍り付くような視線は、今も彼女の心に消えない傷として刻まれている。
それ以来、彼女はその能力を忌まわしいものとして封印し、孤独の中で己を律してきた。
(……だが皮肉なものだ。この忌まわしい『能力』こそが、平和主義者だが武事にはあまりに疎い父様の理想を、陰から支える唯一の武器になるとは)
2. 絶望的な生産力の差
城の奥深く、重厚な扉に閉ざされた対策会議室。円卓に広げられた地図を前に、ヴァレリアは重臣たちの報告を聴いていた。
「皇太子殿下、ラグナ帝国の圧迫が臨界点に達しております。経済的な締め付けに加え、国境付近での軍事演習は常態化。さらに、南方の平地では散発的ですが、小規模な小競り合いが始まっております」
老練な将軍の言葉に、ヴァレリアは鋭い眼光を投げかけた。
「……南の帝国は、魔石を動力に使った大規模な工房を稼働させているという。我が国の熟練職人が一本の剣を精魂込めて叩き上げる間に、奴らは仕組み化された工房で十本の剣を作り出している。我々は武力でも経済でも、その巨大な『数』の暴力に飲み込まれようとしているのだ」
王国には、帝国の圧倒的な量産体制に対抗できるだけの「仕組み」が決定的に欠けていた。
3. 収穫の始まりと、非情な天秤
すでに南方からは戦火を逃れた難民が出始めており、食料、建築用の木材、そして最前線に送るべき武器が決定的に不足し始めていた。
「殿下、もはや猶予はございません。今年の収穫が各地で始まりつつある今、各領地へさらなる供出を依頼するほか……」
家臣の進言に対し、ヴァレリアは胸を締め付けられる思いだった。各領地も疲弊している。特に東の辺境、貧しいフィアレル領などにこれ以上の負担を強いるのは、あまりに過酷だ。
だが、彼女は「嘘」という毒を飲み込み、冷徹な仮面を被らなければならなかった。
「……全領主へ緊急通達せよ。王家の名において、食料、木材、武器の供出を要請する。今年の収穫が始まりつつある今、各領にてできる限り供出するように命じよう」
ヴァレリアは一度言葉を切り、震えそうになる声を鋼の意志で抑えつけた。
「……だが、国民が飢えてはいけない。決して死なせてはならぬ。……各領主には、領民が冬を越せる『ギリギリのライン』を見極め、その余剰のすべてを差し出すよう伝えなさい。応じる領地には、将来必ずや報奨を約束する」
「はっ!」
家臣たちが退室していく中、彼女は独り、椅子に深く身を沈めた。 「ギリギリのライン」など、現場で守られる保証はない。そして「将来の報奨」も、空っぽに近い王家の金庫を知る彼女にしか吐けない、悲しい嘘だった。
「……どこかに、この状況を覆す『力』はないのか。一人の英雄ではなく、国という仕組みそのものを守り抜くような、圧倒的な知恵が……」
彼女の呟きは、薄暗い会議室に虚しく響いた。 この時、彼女はまだ知らない。 自分が「死の宣告」にも等しい供出命令を送ったフィアレル領の、そのさらに奥深くにあるスノウィ村で、一人の男が「帝国さえも驚愕させる精密な未来」を、すでに形にし始めていることを。




