第42話《黄金の収穫、そして二人が誓う未来の設計図》
1. かつてない「効率」の収穫
スノウィ村の朝は、これまでにない「音」で始まった。 例年なら鎌を振るう乾いた音と、重労働に喘ぐ溜息が響く季節。だが今年は、精密旋盤によって生み出された新型農具の規則正しい動作音と、軽快な作業の掛け声が村を満たしている。
当初、俺が予測した収穫量は去年の1.3倍だった。しかし、排水システムの完備による根腐れの解消と、精密農具による作業ロスの徹底した排除により、実際には去年の2倍という驚異的な成果となって現れた。
本来なら、収穫量が倍になれば人手も倍必要になるはずだ。だが、村人たちは疲弊するどころか、余裕を持って黄金の海を刈り取っていった。
2. 「規格」が変えた農作業の常識
まず着手したのは、**新型のプラウ(犂)**の製作だ。 これまでは刃が折れれば鍛冶屋に持ち込み、時間をかけて叩き直すしかなかった。だが、精密旋盤によって「同一規格」のネジ切りが可能になったことで、刃をボルト一本で固定する構造を実現した。
「智也くん、見て! 刃が欠けちゃったけど、この予備と付け替えるだけで、もう元通りだよ!」
エルナが畑の真ん中で、スパナを手に笑っている。 予備の刃さえあれば、誰でも即座に交換ができる。この「現場で直せる」という強みが、収穫の手を止める時間をゼロにした。
また、脱穀機にもガバナーの恩恵が及んだ。 これまでは「回しすぎると麦が砕け、遅すぎると脱穀できない」という熟練の加減が必要だったが、魔石式ガバナーが回転速度を一定に保ってくれる。
「智也、これぁ楽でいい。機械が勝手にリズムを守ってくれるから、俺たちは麦を放り込むだけでいいんだな」
籾を傷つけることなく、殻だけを効率よく弾き飛ばす。機械が「職人の勘」を完璧に代行していた。
3. 軸受け(ベアリング)が産んだ奇跡
さらに、軸受け(ベアリング)の標準化が劇的な変化を生んだ。 精密旋盤で削り出された、摩擦抵抗を極限まで減らしたこの小さな円筒が、水車から手押し車まで、あらゆる回転部分に組み込まれた。
「……信じられない、指一本でこんな重い車が動くなんて!」
エルナが荷物を満載した手押し車を軽く押し、目を丸くしている。 これまでは摩擦によって失われていたエネルギーが、精密な軸受けによってすべて「推進力」に変わる。村全体の道具の動きが、まるで水の上を滑るように軽くなった。
「トモヤ。……すごいね。なんだか、村全体が魔法にかかったみたいにスイスイ動いてる」
リュミアが収穫したばかりの麦を運びながら、隣で微笑む。
(……精度が速度を生み、速度が余裕を生む。これでようやく、飢えを凌ぐための農業から、富を蓄えるための『産業』へと一歩踏み出せたんだ)
俺は煤で汚れた手を拭い、黄金色に染まる村を眺めた。 規格化された部品の一つ一つが、この村を、そしていつかこの国を救うための強固な楔となっている。
4. 試験作物、大地に根ざす
村の端、試験栽培用に区画した畑へと足を運ぶ。 そこには、雪解けの頃に隊商から買い取った「試験植物」たちが、誇らしげに葉を広げていた。
土の中から掘り起こしたばかりのジャガイモは、驚くほど丸々と肥えている。 (……よし。まずは第一段階、この環境への適応はクリアだ。だが、ここからが本番だ。ただ『植えて食う』だけじゃ、この村の、ひいては国の構造は変わらない)
ジャガイモの最大のリスクは、芽に含まれる毒――ソラニンだ。 (この世界には毒の概念が薄い。食中毒が出れば、せっかくの救世主が『呪いの作物』扱いされて終わる。徹底した安全管理が不可欠だ)
これを避けるには、芽を素早く、誰でも同じ深さでくり抜ける専用の「規格ピーラー刃」が必要だ。
さらに、ジャガイモは収穫後も「生きている」植物だ。冬場の凍結を防ぐ「半地下式不凍貯蔵庫」が必要だな。
次は加工の効率化だ。 トウモロコシは小麦よりエネルギー密度が高いが、脱穀と製粉に手間がかかる。
(ここで『ローラーミル』の出番だ。水車の動力を使い、硬い粒を一定の細かさに粉砕する。重労働だった製粉を自動化すれば、村人たちはその時間を他の生産活動に回せる)
綿花も順調だ。精密旋盤が産んだ「ベアリング付きの高速スピンドル」があれば、手紡ぎの数倍の速さで糸が作れる。
さらにステビア。これをただの葉としてではなく、煮詰めて『濃縮シロップ』として精製する。
(保存が効き、持ち運びやすい高付加価値の交易品。これが村や領の『外貨』を稼ぐ武器になる)
「食うための農業」を、「国を潤すための産業」へ。 異界の作物は、そのための強力な燃料になる。
(ジャガイモ、トウモロコシ、ステビア……。本来、中世ヨーロッパに広く伝来していないはずのこれらが、なぜ隊商の荷にあったのか。その謎はまだ解けない。だが、今は目の前の現実を『仕組み』に変えることに集中しよう)
俺は土のついたジャガイモを一つ握りしめた。 その重みの中に、村を、そして国を救うための確かな手応えを感じていた。
5. 黄金に染まる広場
刈り入れが一段落したその夜。村の広場では、かつて誰も見たことがない規模の収穫祭が始まった。
「智也、見て! このパンの山……。こんなの、生まれて初めて……」
リュミアが信じられないものを見るような目で、テーブルに積まれた焼きたての白いパンを見つめている。広場の中央では巨大な焚き火が焚かれ、誰もが「冬の飢え」を恐れずに笑っていた。
「智也殿、この村の『仕組み』は、ついに貴族の晩餐にも劣らぬ豊かさを生み出しましたわね」
ラナが、村特製の果実酒が入った木杯を傾けながら微笑む。「帝国が粗悪な量産品で『安さ』を売るなら、この村は『仕組み』で『豊かさ』を証明しました。この光景をあのアリア様が見れば、何と仰るかしら」
6. 西方の平穏と、辺境の危機
喧騒を離れ、俺は少しの間だけ村の外れにある丘に立った。 背後からは楽しげな歌声が聞こえてくる。
(……これで、この村は飢えの苦しみからは解放される。この冬、誰一人欠けることはないはずだ)
だが、俺の心には言いようのない不安が澱のように溜まっていた。俺は自問自答する。本当に、これで「上がり」なのだろうか。
俺は歓声を聞きながら、西の空を見上げた。あの方角には、この王国の王都がある。
この国の王は、民を愛する善良な人だと聞く。
だが、行き過ぎた平和主義者であり、武事に関しては疎い。
王都では才色兼備の王女が皇太子として政を執り行っていると聞くが、平和な都にいる彼らには、この辺境の切迫した空気は届いていないだろう。
(王が善良なだけでは、この豊かさは守れない……)
脳裏をよぎるのは、城下町で聞いた不穏な情報だ。「帝国は食料は豊富だが、良質な鉄が採れず、製品の質が悪い……」。このフィアレル領は天然の要塞に守られているが、豊かな鉱脈がある。
このフィアレル領は辺境で、険しい高山に囲まれている。その地形が天然の要塞となり、これまでは帝国に攻められにくかった。だが、この領には豊かな鉱山があり、希少なミスリルさえも産出する。
(帝国がもし、自国の鉄の質の低さを補うために、良質な鉱脈と……俺が構築しようとしている『精密加工の技術』を知ったらどうなる?)
今のこの領に、帝国の野心を跳ね返す力があるだろうか。 答えは否だ。個々の騎士の質は高くても、帝国という巨大なシステムの侵攻に耐えられるほどの「仕組み」はまだ、この領には備わっていない。
7. 境界線を越える視線と、決意の瞳
「……トモヤ、何を難しい顔をしてるの?」
不意に声をかけられ、振り返るとそこにはリュミアが立っていた。 彼女の胸元では、あの日贈った青いペンダントが夜の闇の中で静かに、だが確かな鼓動のように輝いている。
「ああ。……この村だけが豊かになっても、ダメなんだって考えてたんだ」
「えっ……?」
「フィアレル領全体は、まだ決して豊かじゃない。スノウィ村がどれだけ強くなっても、領全体が弱ければ、いつか帝国の波に飲み込まれる。城下町で聞いた帝国の『鉄の質の悪さ』……それが、いずれこの領の資源と、俺たちの『技術』を狙う動機になるはずだ」
俺は月を見上げ、確信を込めて独白した。
「フィアレル領自体を豊かにし、そして強くしないと……スノウィ村のこの平和も、いずれは砂のお城みたいに崩れてしまう。一点を救うだけじゃなく、領地という面をアップデートしなきゃいけないんだ」
その時、眼下の広場からひときわ大きな笑い声が上がった。 そこには、リュミアのお母さんの姿があった。
彼女は、俺が作った新型の軽量手押し車に山盛りの焼きたてパンを載せ、足取りも軽く村の女性たちと語らっている。かつては冬が来るたびに足腰を痛め、食料の心配で顔を曇らせていた彼女の姿は、そこにはない。
俺の導入した「仕組み」は、リュミアがつきっきりで介護しなくても、母が自立して、誇り高く笑って暮らせる環境をすでに作り出していた。
「……見て、トモヤ」
リュミアが、やさしい笑顔をうかべ広場を見つめながら呟いた。
「お母さん、あんなに元気に笑ってる。……トモヤが作ってくれたあの車や、みんなが教えてくれた新しい畑のやり方が、お母さんをあんなに自由にしてくれた。私、トモヤが言ったこと、わかる気がする」
リュミアは俺に向き直り、その瞳に強い光を宿した。
「私、トモヤと一緒に行くよ。村の外へ」
「……いいのか? お母さんのこともあるだろう」
「ううん。あの笑顔を見て確信したの。お母さんはもう、私がいなくても大丈夫。この村のみんなも、もう飢えることはない。……だったら、私の今の役目はここじゃない。トモヤが守ろうとしている『もっと広い未来』を、一番近くで支えること。それが、巡り巡ってお母さんやこの村を本当の意味で守り続けることになるって、確信できたから」
広場にいる母親が、ふとこちらに気づいたように顔を上げた。 彼女は遠くに立つ娘の姿を見つけると、優しく、小さく手を振った。
リュミアはその手を振り返し、深い信頼を込めて俺の手を握った。
「トモヤ。宴が終わったら、次の設計を始めよう? 私、どこまでもついていくよ」
「ああ……。ありがとう。本当にうれしいよ。そうだな、次はこの『領』をアップデートしなきゃな」
二人の視線の先には、もはや村を囲む柵は見えていない。 フィアレル領全土、そしてその先にある王国全体の未来が、青白い月明かりに照らされていた。




