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第38話【フィアレル領④】《澱む街と、鋼の知恵》

1. 賑わいの裏側、停滞する空気


馬車は硬い石畳を激しく叩き、コモンス王国の中心部、フィアレル領の城下町へと滑り込んだ。 馬車を下りた瞬間に俺が感じたのは、スノウィ村の澄んだ空気とは違う、生活の熱がこもったどこか重たい空気だ。


「……活気はあるんだけどな」


目の前に広がるのは、ひしめき合う人と露店。一見すれば賑わっているように見えるが、足元の側溝には生活排水が淀み、わずかに湿った匂いが漂っている。


「智也くん。ここ、ほんの少しだけ溝の形を整えて、飲み水と汚れを分けてあげればいいのに。……って言いたくなるくらい、水の道が混ざっちゃってるね」


帳面を抱えたエルナが、のんびりした調子で、けれど鋭い視線で路地の側溝を見つめる。 スノウィ村では汚水を遠ざける「排水溝」と「石鹸」による洗浄を徹底していたが、この大きな街では、人口に対して衛生の仕組みが追いついていないようだ。


さらに、市場の屋台を覗き込んだエルナが、小さく眉をひそめた。


「智也くん、あっちの野菜。村ならもう家畜の餌にするくらい、元気がなくなっちゃってるよ。……これじゃあ、街の人はお腹の中から弱っていちゃうね」


エルナの言う通り、並んでいる食材はどれも鮮度が落ちている。 豊かなはずの城下町でありながら、人々は「新鮮な命」を口にできず、それがじわじわと街全体の健康状態や活力を削いでいるように見えた。


「ふあぁ……。やっと着いたね。やっぱり馬車に揺られっぱなしは疲れるよ……」


エルナが馬車での長旅の凝りを解きほぐすように、両手を高く上げて「く」の字に背を大きく伸ばした。


薄手のシャツがピンと張り詰め、強調された彼女の「ある一点」があまりに豊かで、俺は一瞬だけ、言葉を失って見入ってしまう。


(……いかん、どこを見てるんだ俺は。)


2. 領主の娘、アリアの洗礼

広場の中央で足を止めると、領主の紋章をつけた一隊が待ち構えていた。


その中央に立つのは、中学生くらいの年齢に見える、小柄でちんちくりんな少女だった。 だが、その身に纏っているのは驚くほど仕立ての良い衣服で、端正な顔立ちは紛れもない美少女のそれだ。


彼女の頭の上では、少し丸みを帯びた小さな耳が、ピコピコと忙しなく動いている。


彼女が不敵な笑みを浮かべて、ビシッと俺を指差した。


「あなたが、スノウィ村で『奇跡』を起こしたという人間ね?」


「……え?」


唐突な指名に、俺は思わず固まる。 すると、隣にいたリュミアがじとーっとした視線を俺に向けて、小声で囁いてきた。


「……トモヤ。あの人……知り合い?」


「いや、全然知らない。あんな高貴そうな子、一度も見かけたことないぞ」


俺たちが困惑していると、少女の背後から一人の紳士的な男が颯爽と近寄ってきた。 男は洗練された動作で軽く会釈をすると、俺たちの傍らで声を潜め、手短に告げた。


「……スノウィ村の御一行様とお見受けいたします。あの方こそが領主フィアレル様のご令嬢、アリア様です。皆様の到着を心待ちにされておりまして……。何分、少々気が急いてしまわれたようです。失礼をお許しください」


丁寧だが隙のない、プロの従者の振る舞いだ。 一方のアリアと呼ばれた少女は、少しだけ頬を赤くしながらも、居住まいを正して優雅に一礼した。


「遠路はるばる、よくお越しくださいました。……ですが、私はまだあなたたちの実力を認めたわけではありません。試験をしてあげるわ」


アリアはそう言って、広場と高台の工房区を繋ぐ大型の貨物昇降機を指差した。 今は見る影もなく錆びつき、久しく使われていない装置だ。


「これを見事に動かしてごらんなさい。今のこの街には、必要なものなの」


3. 設計と実行:天秤の知恵

「……おい智也。いきなりなんなんだ? さっぱりわからんぞ。何が起きてるんだ?」


ガルドが口を半開きにして、ポカーンとした顔で俺の肩を叩く。 あまりに急な展開に、脳の処理が追いついていないようだ。


「……いや、俺も正直よくわからない。どうやら俺たちの実力を試しているみたいだな。領主様のご令嬢らしいし、ここで無碍にするのも角が立つ。……とりあえず、乗ってみるか」


俺が苦笑しながら答えると、隣でラナが静かに頷いた。


「左様ですわね、智也殿。確かに状況は唐突すぎますが、領主様のご令嬢を無視するわけにも参りませんわ。それに、この街の技術を直接目にできるのは良い機会かと存じます。……やりましょう」


ラナの言葉に背中を押され、俺は昇降機の前に膝をつき、構造を分析した。 主軸のメインシャフトが腐食で完全に石壁へ食い込み、歯車の間には硬化した泥が詰まっているが、根本的な問題は別にある。


(……この装置は、すべての重みを人間の力だけで強引に持ち上げようとしている。非効率すぎるな)


俺はガルドにも分かるように、地面に棒で図を描いた。


「ガルド、例えば大きな岩を持ち上げる時、一人で抱えるのは大変だろ? でも、『シーソー』みたいに反対側に同じ重さの岩を置いてみろ。そうすれば、指一本で押すだけで、向こう側の岩がスッと浮き上がる」


「……ああ、天秤みたいなもんか? 釣り合ってりゃ、力はいらねえってことだな」


「その通り。この昇降機も、反対側に同じくらいの『重り』を吊るしてやれば、子供でも動かせるようになる。これが『カウンターウェイト』の仕組みだ」


しかし、まずはこの固着をどうにかしなければならない。俺は一度立ち上がり、ガルドへ向き直った。


「ガルド、少し手伝ってくれ。シャフトが石壁に噛み込んで動かないんだ。お前の魔法で、石壁の接触面に微細な振動を与えて、隙間を作ってほしい」


「おう、そういうことなら任せとけ!」


4. 魔法による打開と、クラフトの完成

「土よ、今だけ牙を受け止めろ!」


ガルドの土魔法が地を震わせ、シャフトを支える石壁の咬み合わせを揺さぶる。 ガチ、ガチ、と硬い音が響き、固着していた部分にわずかな「隙間」が開いた。


「今だ!」


魔法が作った一瞬の隙間に合わせ、俺は全神経を集中させてシャフトを正しい位置へ引き戻した。しかし、魔法での解決はここまでだ。


(……ここからどうするつもりかしら。ただ隙間を作っただけでは、またすぐに動かなくなるはずよ)


アリアが固唾を呑んで見守る中、俺は鞄から「黒油(重油)」を取り出した。


(……あれは何? 真っ黒で、変な匂い。あんなドロドロしたものを塗って、何が変わるというの?)


アリアが不審がるのをよそに、俺は軸受けに黒油をたっぷりと塗り込んでいく。 スノウィ村で水車の軸を守った時と同じ「防腐・潤滑」の知恵だ。これにより、滑車の回転を驚くほど軽く維持できるようになる。


「……よし。これで回る」


5. 結末:新しい風

レバーを押し、駆動部に軽く力をかける。


すると、巨大な昇降機が「ゴウン」という重低音と共に滑らかに動き出した。滞っていた荷が次々と高台へと運び上げられていく。


「な、何が起きたの……? 数年前から動かなかった機械が、こんな短期間で……」


アリアが驚愕し、隠しきれない好奇心で俺を見つめている。 彼女の隣で、リュミアが「……すごいでしょ。トモヤはそういう人だから」と、少しだけ得意げに耳を揺らした。


(……街の澱みを消すには、これ一つじゃ足りない。だが、歯車は回り始めた)


広場に、動き出した物流の活気と、これまでなかった風がわずかに吹き始めた。 夕暮れに染まる城下町。その複雑な屋根並みを、俺は静かに見据えていた。

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