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第32話《黄金の祝祭と、揺れる棒の嘲笑》

1. 麦の香りと、発酵の呼吸

収穫されたばかりの冬小麦が、水車の力で次々と粉になり、広場にはこれまでにないほど香ばしい匂いが立ち込めていた。 今日は収穫を祝うパン作りと、エール(ビール)の仕込みの真っ最中だ。


「智也くん、こっちの生地、もう『呼吸』を始めたみたいだよ〜」



エルナが、のんびりと木の桶を覗き込みながら俺を呼ぶ 。 中では、俺が伝えた自然酵母の仕組みにより、生地がぷっくりと膨らんでいた 。




(……平和だ。飢えを恐れず、こうして皆で食べ物を作れる日が来るなんてな)


隣でリュミアが、発酵熱を帯びた桶に触れて、チャコールグレーの耳をぴくりと揺らした 。


「トモヤ。……これ、温かい」 「それは命が動いてる証拠だよ」




俺が答えると、彼女は少し照れたように「……うん」と短く返した 。


2. 炎と影の舞踏

日が落ち、広場の焚き火が大きく爆ぜた頃、祭りは最高潮に達した。


「……では、始めましょうか」



ラナの声に、村人たちの視線が集まる 。 彼女とエルナが、祭りのための正装で現れたのだ。


それは、獣人族に伝わる**「火の舞」のための特別な衣装だった。 激しい動きを邪魔しないよう、脇や背中が大きく開いた、思わず目を逸らしたくなるほどに「きわどい」**構造をしている 。


ラナが黒豹のようなしなやかさで跳ね、エルナが小型猫らしい愛らしさでくるくると回る 。


(……おい。ラナさんはともかく、エルナさん、その服はさすがに目のやり場が……)


踊りの熱気で汗ばんだ彼女たちの肌が、火に照らされて黄金色に輝く。 エルナが大きく伸びをした拍子に、豊かな身体の曲線が露わになり、俺は慌ててエールを煽って視線を逸らした 。


3. 風の来訪者と、胸の「ちくり」

「やあ、賑やかだね。混ぜてくれないかな?」



気づくと、そこにちゃっかりとレオンが祭りに加わっていた 。 翼を持つ彼は、どこからか聞きつけたのか、当然のように輪の中に馴染んでいる 。




話の内容までは聞き取れないが、リュミアがレオンの話に熱心に聞き入り、二人で楽しそうに話をしているのが見えた 。 その親密そうな様子を見て、俺の胸の奥がちくりと痛んだ。



(レオンには、俺の知らない『外の世界』の話がある。俺にはない機動力も……)



居たたまれなくなった俺は、そっと輪を離れ、自宅から持ち出していた例の棒を取り出した 。 普段は技術や進むべき道の選定に使う、あの**「判断の棒」**だ 。



(……教えてくれ。リュミアは、俺に『気』があるのか?)


地面に垂直に立て、そっと指を離す 。




しかし、棒はどちらかの方向へ倒れるどころか、地面を滑るようにくるくると不規則に回転し、最後は俺の足元を馬鹿にするように、ぽてん、と横に転がった 。


(……なんて馬鹿なことをしてるんだ、俺は)


おみくじにすら茶化されたような気分になり、俺は自分の幼さに溜息をついた 。



4. あなただけへの、特別な舞

「……トモヤ。こんなところで、何してるの?」



背後からリュミアの声がした。いつの間にかレオンの輪を抜け出してきたらしい。


「レオンと話してたんじゃないのか?」 「……うん。トモヤが作った水車のこと、自慢してた。……あと、これからのこと」



俺が勝手に嫉妬していただけで、彼女は俺の話をしていたのだと知り、急激に顔が熱くなる。


リュミアは俺の隣に座ると、焚き火の喧騒を背に、静かに指先を上げた。


「……さっきの踊りは『火の舞』。みんなの前でするのは、やっぱり恥ずかしくて。……でも、トモヤにだけは、ちゃんと見てほしい。本当は、私……**『水の舞』**のほうが得意だから」


「『水』よ……。今だけ、私の心と一緒に」



彼女の囁きと共に、空気中の水分が集まり、月明かりの下で小さな水の粒となって宙を舞い始めた。 それはラナやエルナの激しい踊りとは違う、彼女の得意な『水』の魔法による、静かで幻想的な舞だった 。



水粒は俺の周りを優しく囲み、リュミアの指先の動きに合わせて光を反射しながら螺旋を描く 。 俺が「……綺麗だ」と呟くと、彼女は「……私も、隣で踏ん張るって決めたから。だから、一人で迷わないで」と応じた 。




リュミアは少しだけ顔を赤らめ、俺の隣でそっと視線を落とした 。 触れ合うか触れ合わないかという距離に彼女の温もりを感じ、俺たちはしばらくの間、ただ夜空を見上げていた。


魔法は一瞬の奇跡だ。でも、この穏やかな時間を守り続けるのは、俺の『仕組み』の役目なんだな 。 外ではまだ賑やかな音楽が続いている。けれど、俺はもう、棒に答えを委ねる必要はないと感じていた。

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