第30話《毒の沈黙と、守るための誓約》
1. 猛毒の「設計図」と現実の壁
作業小屋の空気は、これまで扱ってきた薪の匂いや鉄の香りとは明らかに異なっていた。 テーブルの上には、森から持ち帰った「紫の死神」――トリカブトの根が並んでいる。
「……じゃあ、やるか」
俺は慎重に、かつ手際よく根を刻み始めた。 エンジニアとしての俺の頭脳には、すでに「毒薬精製ライン」の仮説が組み上がっている。 物理的な威力――弩の貫通力だけでは、あの『三本指』の巨躯は止められない。 必要なのは、一撃で中枢神経を制圧し、心肺を停止させる「知恵の牙」だ。
しかし、作業を始めてすぐに、俺は**「現実の壁」**にぶち当たった。
(……煮詰めればいい、と思っていたが。これはまずいぞ)
矢に塗るためには液体を濃縮して粘度を上げる必要がある。 だが、加熱を強めれば有効成分であるアコニチンが分解してしまう恐れがあるし、何より、煮立つとともに立ち上る有毒な蒸気がこの狭い小屋に充満し始めたのだ。
(換気しても追いつかない。このままじゃ、毒を完成させる前に俺がやられる)
さらに、試作した液はサラサラとしており、滑らかな鉄の矢じりからは無情にも流れ落ちてしまった。 「量産」を前提とするエンジニアとして、この不安定さは許容できない欠陥だった 。
2. 蒼い魔法と、一滴の純度
「……トモヤ、手が震えてる」
いつの間にか入り口に立っていたリュミアが、静かに一歩前に出た。 彼女の淡いブルーの瞳は、俺が抱える焦りと危険を的確に射抜いていた 。
「危ないから離れてくれ、リュミア。この蒸気は毒だ」
「分かってる。だから、私がやる」
リュミアは俺の制止を無視するように、土鍋の前に立った。 彼女の指先が、煮え立つ液面へと向けられる。
「『水』よ……濁りを除き、芯だけを寄せて」
それは、この世界における魔法の正しい在り方だった 。 彼女の精密な魔力操作が、熱を使わずに液体から「水分だけ」を分離させていく。 一滴、また一滴と、余分な水気が蒸気にならずに外へ押し出され、鍋の底にはドロリとした漆黒の濃縮液が残った。
「……助かったよ、リュミア。これなら成分を壊さずに済む」
俺はその濃縮液に、用意しておいた家畜の脂と少量の松脂を混ぜ合わせた。 これで、矢じりに密着し、かつ衝撃や水濡れでも剥がれ落ちない「毒グリス」が完成したのだ。
3. 安全管理の「仕組み(クラフト)」
だが、俺の仕事はここで終わりではない。 毒は強力な武器だが、管理を誤れば自分たちを殺す刃になる。
俺は、精製した毒を管理するための**「仕組み(クラフト)」**を構築した。
まず着手したのは、物理的な封印だ。 特定の順序で三つのレバーを動かさないと絶対に開かない、二重ロック式の保管箱を設計・製作した。 さらに、毒を塗ったボルトを安全に持ち運ぶため、穂先が内壁に触れない「宙吊り式」の内部構造を持つ専用矢筒も作った。
「素手で触らないこと。扱う時は必ず風上に立つこと。そして、使用後はこの灰で中和すること」
俺は運用上の標準作業手順(SOP)を板に刻み、リュミアに言い聞かせた。
「……リュミア。この毒は、あの『三本指』のような、俺たちの知恵や力がどうしても届かない怪物にだけ使うものだ。……約束してほしい」
リュミアは俺の手元と、板に刻まれた厳しい戒律を交互に見つめ、短く、けれど重く頷いた。
「……うん。トモヤに、任せる」
4. 巨影への備え、静かな決意
作業を終えた頃には、村はすっかり夕闇に包まれていた。 小屋の棚には、厳重に管理された箱と矢筒が並んでいる。
(俺は、人を殺す道具の設計者になりたいわけじゃない)
棚を見つめながら、俺は自らの手に残る重みを反芻した 。 (これは、この村の『命』を繋ぎ止めるための境界線なんだ)
小屋の外へ出ると、リュミアが一人で夜空を眺めていた。 俺がその隣に並ぶと、彼女は何も言わず、ただ静かに俺の手を握った。 その手の小ささと温かさが、俺が守るべきものの正体であることを教えてくれているようだった 。
「……準備、できた?」
「ああ。いつでもいける」
遠く深い森の奥から、地鳴りのような低い風の音が響いてきた。 あの巨影が、いつ防壁を叩きに来てもおかしくない気配。
俺たちは、その音を静かに受け流しながら、並んで家路についた。




