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第25話《震える指先と、守るための鋼》

1. 春の芽吹きと、増えゆく灯火

雪解け水が川の音を太くし、村には柔らかな春の陽光が降り注いでいた。 広場では、最近見かけない顔がいくつか増えている。


この冬、この村で一人の餓死者も出なかったこと。 そして、俺が提案した貯蔵法により、春先になっても食料が底をつかなかったこと。 その噂を聞きつけた近隣の村から、親戚を頼って移住してくる獣人が、ぽつぽつと増え始めていた。


「智也くん、新しく来た家族の分の毛布なんだけど……あと三組分足りなくて。予備の皮を回そうと思うんだけど、どうかな?」


エルナが帳簿を片手に、少し困ったような顔で相談してくる。 俺は図面から目を上げ、彼女の計算結果を確認した。


「うん。それで大丈夫。……村が、里らしくなってきたね」


俺が答えると、エルナは「えへへ、そうだねぇ」と、のんびりした笑顔を返した。 村は今、確かな『生命の集まり』へと成長しつつあった。


2. 扉の向こう、生の実感

しかし、活気付く村の裏側で、俺は自分の右手の震えを止められずにいた。 ふとした瞬間に、あのフォレストドッグの生温かい吐息と、喉元に迫った牙の感触が蘇る。


(……仕組みで村を守れても、俺自身が襲われたら一瞬で終わる)


戦士たちの超人的な動きを目の当たりにした後では、自分の非力さが余計に浮き彫りになった。 気分転換に洗濯物を取り込もうと、借りている家の裏手に回った、その時だった。


「あ……」


扉が少しだけ開いていた部屋の中に、着替えの最中だったリュミアがいた。


脱ぎかけのシャツから覗く、透き通るような白い肌。 普段のゆったりした服からは想像もつかない、しなやかで柔らかな身体の曲線。 リュミアが驚きで大きな瞳を揺らし、慌てて胸元を隠す。


「ト、トモヤ……っ!?」


「ご、ごめん! 洗濯物かと思って……っ!」


俺は真っ赤になって扉を閉めた。 扉の向こうから聞こえるリュミアの慌てた気配に、心臓が激しく鐘を打つ。


(……生きてる。あの時、あの牙に噛み砕かれていたら、この光景を見ることも、こんなに心臓が跳ねることもなかったんだな)


恐怖の震えとは違う、生の実感が、熱い鼓動となって全身を駆け巡っていた。 死ななくて良かった。生きていて、本当に良かった。


3. 非力な俺のための『盾』

熱くなった顔を冷ますように、俺は逃げるようにグレンさんの工房へ向かった。 震える指先を握り締め、持参した図面を広げる。


「グレンさん、お願いします。俺に、これを作らせてください」


それは、腕に装着し、スイッチ一つで扇状に展開する『防護小手ガントレット・シールド』だ。 非力な俺が、魔物の初撃を防ぎ、致命傷を避けるための「盾」。


「……昨日の顔は、死を覚悟した顔だったな。いいだろう、寸法を出せ。身を守る道具に妥協は要らん」


グレンさんは相変わらずぶっきらぼうだが、図面を読み解く目は真剣そのものだった。 だが、すぐに現実的な壁に突き当たった。


「……重すぎる。これじゃ、瞬時に腕を上げられない」


魔物の突進に耐える厚さの鉄板を使うと、俺の腕力では重すぎて、盾を構える頃には手遅れになる。 さらに、展開速度を上げようと強力なバネを仕込むと、今度は俺の力ではバネを押し戻して再セットすることができなかった。


(……俺の筋力が、設計の足枷になってる)


4. 鋼に宿る意志、重なる知恵

「ふん、腕力が足りんというなら、鋼の方を寄せてやる」


悩む俺を見かねて、グレンさんが炉の前に立った。 彼は魔法を使い、火床の温度を極限まで精密に制御し始めた。


「……一回だけだぞ。鋼に『意志』を持たせてやる」


青白い炎が鋼を包み、グレンさんの槌が澄んだ音を響かせる。 それは、通常の鉄では不可能な「極薄でありながら、驚異的な弾性と強度」を持つバネ鋼を生み出した。


魔法で用意された素材を使い、俺は最後の仕上げにかかる。 非力な俺でもバネをセットできるよう、クランク式の『倍力機構』を小手に組み込んだ。 さらに、裏地には獣の毛皮を重ねた衝撃吸収材を仕込む。


ガシャッ、と鋭い音を立てて、小手から鋼の盾が展開する。 俺の力でも、瞬時に、確実に。


5. 守るための重み、明日への予感

作業を終えて工房を出ると、冷たい夜風が火照った顔に心地よかった。 「トモヤ、まだやってたの?」


暗がりに、リュミアが立っていた。 昼間の気まずさが残っているのか、彼女は少しだけ視線を泳がせながら、俺の腕に巻かれた無骨な小手を見つめる。


「……それ、完成したの?」 「ああ。俺みたいな非力な奴でも、これで少しは時間が稼げる」


リュミアは一歩近づくと、そっと俺の腕に触れた。 指先から伝わる彼女の体温が、新しく手に入れた冷たい鋼の感触を上書きしていく。


「……トモヤの指、もう震えてないね」 言われて気づいた。あんなに止まらなかった手の震えが、今は消えている。


「この村、もっと人が増えると思うんだ」 俺は新しく灯り始めた村の家々を見渡した。 「だから、俺はここで立ち止まるわけにいかない。……自分を守ることも、仕組みの一部なんだ」


リュミアは俺の手を包み込むように握り、ふわりと微笑んだ。 「うん。……また明日、何をすればいいか、一緒に考えよう?」


(……守りたい。この景色も、この温もりも)


腕に残る鋼の重みは、もはや枷ではなく、明日へ踏み出すための確かな手応えだった。 俺はリュミアと共に、新しく増えた家族たちの灯りが揺れる道を、ゆっくりと歩き出した。

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