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第18話【フィアレル領②】善良の国を、泥で支える

1. 報告書の重みと、スノウィ村の『〇』

フィアレル領の城の一室で、分厚い体躯の男が、ひとり机に向かっていた。 カバの獣人である領主は、丸く大きな指で、各村から届いた冬越え報告の紙を丁寧にめくっていく。


動きはゆっくりだが、決して雑ではない。 油をしぼった灯りが、紙の上に並ぶ切実な数字を淡く照らしていた。


「飢えによる死者 三」 「家畜 牛二頭をやむなく屠殺」 数字の裏にある領民の溜息を拾うように、領主は低く息を吐いた。


(今年も……“誰も失わずに済んだ村”は、ないか)


だが、次の一枚をめくったとき、彼の目が止まった。 「スノウィ村:冬季の死者 〇」


「……ほう」 思わず声が漏れた。 続く詳細には、見慣れない言葉が並んでいる。


「重病人 少数」 「温浴小屋の利用により、体調悪化の減少が見られる」 「どんぐりと穀物を混ぜた保存食を活用」


(温浴小屋……身体を温めて病を防ぐという、あの“蒸し風呂”か。 それに、どんぐりを保存食に変えたというのか 。妙なことを考える者がいるものだ)


内容には驚きがあるが、結果は嘘をつかない。 死者ゼロ。 (あの辺境の村で、いったい何が起きている……?) 領主は椅子の背にもたれかかり、領民の健闘を讃えるように目を細めた。


2. 種もみと、分かち合う『苦労』

領主は机の端にあるベルを、静かに鳴らした。 ほどなくして、農政を任せているヤギの獣人の家臣が入ってくる。


「来期の種もみは、どれほど確保できているだろうか」 領民の暮らしを案じる、深く、温かみのある声だった。


「はっ。今年と同じ面積を耕す分であれば、なんとか……。ですが、新しく畑を増やすとなると、難しくなります」


家臣の言葉に、領主は領民の苦労を思うように、大きな掌をそっと机の上で握りしめた。 「畑を増やさずに、冬を越すことはできるか」


「……天候が崩れたり、病が流行れば、一気に崩れます」 家臣の正直な答えを、領主は包み込むように受け止めた。


「できないことは、できないと言ってくれ。無理に強いては、かえって民を苦しめることになる。知らねば、わしも間違った策を押し付けてしまうからな」


「……ありがたきお言葉です」


「だが、このままでは、いつまで経っても“余り”が生まれん。飢えも、病も、いずれ来るかもしれん戦も、受け止めきれんままだ」 領主は、太い腕を組んで、静かに考え込んだ。


3. 山脈の向こうの影と、王の『手紙』

その後、領主は地図の間へと足を運んだ。 壁には山脈や街道が記された大陸の地図があり、そこには不穏な駒が並んでいる 。


「山脈の向こう側、帝国の動きを教えてくれ」 情報担当の文官が、一歩前に出る。


「はっ。帝国が新たな砦を築き、街道の整備も進んでおります。物資の往来が、昨年より目に見えて増加しております」


「……“今のところ”は、国境を越える動きはない、か」 領主は地図を見下ろしながら、低く呟いた。 太い指先で、山脈の線をなぞる 。


(冬でも兵を動かす余裕のある帝国と、冬を生き抜くのがやっとのわが領……) 自嘲ではなく、切実な危機感として息が漏れる。 「だからこそ、こちらも備えねばならん。民を守れるだけの力を蓄えねばならんのだ」


執務室へ戻った領主は、引き出しから一通の封書を取り出した。



コモンス王からの手紙だ 。



『辺境の民をよく守ってくれていること、まことに感謝する。どうか、無理をせず、民とともに良き春を迎えてほしい』


領主は、その言葉を慈しむように見つめた。 「……本当に、この方は“良い王”だ」


善良さだけでは国は守れないが、善良さを捨ててしまえば、この王国ではなくなる 。 「大丈夫です」と王に嘘をつきたくはない。 だからこそ、自分が現実の泥をかぶってでも、領地を支えねばならない。


「食わせ、寒さをしのがせ、それでも笑って暮らせる領に……」 窓の外、雪解けの風を感じながら、領主は心に誓った。


「そうしてはじめて、あの王の言葉に、本当の意味で顔向けできるのだからな」


春になれば、まずあのスノウィ村の『知恵』を詳しく調べさせよう 。 カバの領主は、領民の未来に希望を繋ぐように、静かに朝の光を見つめた。

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