第17話【フィアレル領①】レオンの冬越え報告
1. 灰色の石壁と紙の山
空はまだ冬の重さを残していたが、翼を打つ風には、ほんのわずかに春の湿り気が混じっていた。 俺は翼をたたみ、肩に積もった粉雪を羽毛の腕で払った。
(……相変わらず、ここの石壁は無骨だな。実務一点張りの砦だ)
領主の城へと入り、俺は慣れた足取りで“頭の部屋”――報告が集まる役人の部屋へと向かった。 扉を叩くと、中から「入れ」という低い声が響く。部屋の中は紙とインク、それに古い革の匂いが充満していた。
「よぉ。まだ紙に押しつぶされてなかったか、役人さん」
「レオンか。そっちは空から落ちて死ぬ仕事だろう?」
中年の役人が、狼の血が混じったような耳をぴくりと動かして顔を上げた。 二人は軽く笑い合い、俺は椅子に腰を下ろして翼を休めた。
2. 飢えの足音と、蔵の鍵
役人は帳簿を開き、筆を構えた。
「さて。各村の冬越えの話を聞かせてもらおうか。……まずは、お前の故郷からだ」
「了解。まずはクリフネスト村。冬の死者は一人、老衰だ。重い病人は二人。家畜はなんとか残しているが、穀物は種を崩すかどうかの瀬戸際だ」
役人は小さくうなずき、「家畜:下限」「穀物:種ギリギリ」と書き込んだ。
「次は……ミルブルック村。ここはきついぞ。冬の死者は三人。屋根の破れが多くて、寒さに持っていかれた。穀物ももう底をついている。援助がなければ、春まで誰ももたない」
役人の筆先が、鋭く止まった。 彼は険しい表情で、机の上の小さな鐘を鳴らした。すぐに若い事務方が入ってくる。
「ミルブルック村が限界だ。すぐに蔵を開け。援助用の穀物十袋、それと保存用の干し魚を二束、至急運び出す段取りをしろ」
「よろしいのですか? 現在の備蓄では、他の村への割り当てが……」
「構わん。責任は私が持つ。今、袋を惜しんで、春に誰が鍬を振るうのだ。狼が出る前に、護衛を付けて今すぐ運ばせろ」
事務方は圧倒されたようにうなずき、部屋を飛び出していった。 役人は深く息を吐き、俺の方を向き直る。
「……すまない、話を続けよう。最後は、スノウィ村だな」
3. 異常な数字、スノウィ村の冬
俺は、一呼吸置いてからその数字を口にした。
「スノウィ村。冬の死者はゼロ。重い病人は三人。家畜はほとんど減ってない。穀物は春までもたせた上で、まだ余りがある」
「……何だと?」
役人の筆が床に落ちそうになるほど、彼は目を見開いた。
「本当に死者ゼロか? あの辺境の、周囲と変わりはないはずの村が……」
「ああ、本当だ。家畜の維持も完璧に近い。実際に行ってきたが、驚いたよ。どの家からも、力強い煙が上がっていた」
役人は、何度も帳簿の数字を確認するように目をしばたたかせた。
「……これは異常だ。他の村とは明らかに『質』が違う。何があった、レオン」
「どんぐり粉の保存食、それと『湯気の小屋』という面白い試みを始めていてね」
俺は、指で四角を描きながら、智也が作った仕組みを説明した。 熱した石に水をかけ、湯気で身体を芯から温める小屋。 ただ温まるだけでなく、病を跳ね返すための知恵だ。
「……蒸し風呂のようなものか。なるほど、面白い。石鹸での手洗いも含め、智也という男が持ち込んだ『仕組み』が、確かに人の命を繋いでいる」
役人は「有効」と小さく書き添え、感心したようにうなずいた。
4. 山の向こうの影
ひと通りの報告を終えると、役人は机の端の地図に目を向けた。 国境の山脈の向こう――『ラグナ帝国』の領土だ。
「……で。空から見て、山の向こうはどうだ?」
「街道が一本、前より太くなっている。大きな荷車の列と、白い布をかぶせた荷がいくつも見えた」
「物が流れれば、そのうち兵も流れる、か」
役人は静かに言った。 帝国との関係は表面上は良好だが、その動きは不気味だ。
「腹いっぱい食えるようになった連中は、次に『何をするか』考え始める。……俺たちは、冬を越せる村を一つでも増やしておかないとな」
俺は鼻で笑い、立ち上がった。 窓の外には、雪の残る屋根が並んでいる。
(山の向こうが太くなる前に、こっちの村も太らせる……。次は、あの湯気の小屋の作り方でも、他の村に吹聴して回るかね)
俺は翼を広げ、冷たい空気の中へ飛び出した。 眼下には、雪解けを待つ村々の屋根が、くっきりと見えていた。




