第15話《雪の村に灯る、小さな芽》
1. 満ちた腹と、見えない「錆び」
川べりの高床式干し台に、銀色の列ができていた。
「……見事だな」
智也は、干し台を見上げながらつぶやいた。 高床の下では、子どもたちが跳ね回り、落ちてきた小さな魚を拾ってはしゃいでいる。少し離れた倉庫には、どんぐり粉の袋が積まれ始めていた。
(炭水化物とタンパク質は、たぶん最低限なんとかなる。去年みたいな“腹が空いて倒れる冬”にはならない……はずだ)
そこまでは、いい。 けれど、エンジニアとしての本能が、静かに警告を鳴らしていた。
(問題は、“腹の中身”だ。これだけだと、身体が内側からガタが来る)
畑の葉物はもう姿を消し、森の草もすぐ雪の下になる。 柑橘に似た果物や乾燥野菜の蓄えはあるが、三百人全員が冬の間ずっと口にできる量じゃない。
(ビタミンやミネラルが足りないんだ。昔遊んだゲームの知識だが、長い航海で生野菜が切れると、水夫が壊血病でバタバタ倒れていった。あんなことが、冬の終わりに起きるかもしれない)
智也は灰色の空を仰いだ。 今はまだ誰もひどくない。だからこそ、今のうちに先回りして手を打つ必要があった。
2. 桶の中の「目覚め」
夜。囲炉裏の火が、土間をやわらかく照らしている。 智也は、木片の上に炭で素朴な顔を描き、その横に魚とどんぐり袋の絵を足した。
「これが、今の村の人たちの食事だ。腹は保つ。でも、これだけだと身体が壊れることがある」
「……この絵、少しふわっとしてる」
隣で覗き込んでいたリュミアが、静かに言った。
「ふわっと?」 「怖くない顔。……でも、少し頼りない」
「……褒めてるんだよな? 俺の絵の腕を刺してるんじゃないよな?」 「褒めてる。絵が下手なのは、前から知ってるから」
「最後の一言、要るか?」 智也が苦笑すると、囲炉裏の向こうでリュミアの母がくすっと笑った。
そこへ、フィリオが顔をのぞかせた。 「こんばんは。お邪魔してもいいですか」
「どうぞ、フィリオさん。ちょうど相談したかったんです」
智也は木片を見せ、冬の終わりに起きるかもしれない「身体の錆び」……歯ぐきの腫れや傷の治りにくさについて話した。
「……毎年、村でも似たようなことが起きています」 フィリオが静かに頷いた。 「『歳のせい』と片づけられていますが、食べ物の偏りが関係しているというあなたの話、納得がいきます」
「だから、土なしで“葉っぱの力”を造り出そうと思うんです」
智也は、小さな粒から白い芽が伸びている絵を描いた。 「穀物や豆を水に浸して、湿った状態を保つ。そうすれば芽が出る。……この『芽』には、種の状態にはなかった力が詰まっているんです」
3. 「芽見役」の設計
翌日。集会小屋。 族長をはじめ、ガルドやラナ、村の年配者たちが集まっていた。
「穀物と豆に、芽を出させる、か」 芽の絵を見ながら、族長が低く言った。
智也は、水だけで芽を育てる方法を説明した。 だが、懸念はある。管理が雑だと水が腐り、芽が出ないどころか毒になる。
「世話は各家でやってもらいますが、管理が難しい。……そこで、子どもたちと年配の方々に、『芽見役』をお願いしたいんです」
「年寄りに、か?」 白い髭の獣人が首を傾げる。
「はい。冬は外の仕事が少なくて、皆さんも退屈されているでしょう? 子どもたちと一緒に、各家の桶を見て回ってほしいんです。水が多すぎないか、冷えすぎていないか。……『見守る役目』が必要なんです」
「若い連中の工夫を、わしらが守るというわけか」 年配の獣人が笑った。 「『寝てるだけの冬』より、よほどましな仕事だ」
「芽、見るの、ぼくたちもやりたい!」 子どもたちも身を乗り出した。
(人手が余っている冬に、役割を分担する。これで管理の精度が上がるはずだ)
4. 魔法の「ひと押し」と、クラフトの継続
実施初日。なかなか芽が出ない桶があった。 原因は水の冷たさだ。この時期の川の水は、種の眠りを覚ますには冷えすぎている。
「トモヤ、水、温める?」
リュミアが桶に手をかざす。 「……ぬるま湯よ、種を包め」
彼女が一度だけ魔法を使い、桶の中の水を「種が喜ぶ温度」に保った。一瞬の魔法の力が、種の目覚めを劇的に早める。
「助かる、リュミア。……よし、あとはこの場所だ」
智也は解決策として、囲炉裏の熱をほどよく通し、かつ冷気を遮る「二重構造の木箱」を各家に配置した。 魔法で目覚めさせ、あとは適切な「置き場所」という工夫で継続させる。
数日後。 「出た!」 子どもたちの弾む声が響いた。
桶の中で、白い小さな芽が、ちょんちょんと顔を出していた。 フィリオがそれを確認し、穏やかに微笑む。 「本当に、土なしで出るんですね。生命の力強さを感じます」
5. 次の歯車、熱の損失
その日から、村の汁物には時折、白と薄い緑の芽が浮かぶようになった。 リュミアの母は、その汁を一口すすって目を細める。
「草みたいだけど……悪くないわ。身体の中が、少しだけ軽くなる感じ」
「なら、続ける価値あり、だね」 リュミアが短くまとめると、智也も深く頷いた。
腹を満たすどんぐり粉と干し魚。 そして、身体を整えるための小さな芽。 これで、冬を越すための「中身」は整いつつあった。
雪の匂いが濃くなっていく外を眺めながら、智也は次の設計図を頭の中で広げた。




