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第14話《銀の大漁と、保存の旋律》

1. 川の予兆と「魚ライン」の始動

朝の冷たい空気の中で、川の音がいつもより重く、低く響いていた。 山の方からの流れが、わずかに白く濁っている。それを見ただけで、岩場に陣取った古老たちは互いに頷き合った。


「……来るぞ。これまでにないほど、大きな群れじゃ」


短いその一言で、川辺に集まった村人たちの間に緊張が走った。 数日前に組み上げた半堰はんぜきと、中央に口を開ける「魚道」。 (どんぐり粉は回り始めた。次はタンパク質……脂の乗った肉だ。ここを逃せば、冬を越すための体力が持たない)


俺は手元の板を掲げ、集まったメンバーに最後の確認をする。


「役割は板の通りだ。『捕獲・運搬・解体・保存』。どこか一つでも止まれば、せっかくの魚が腐ってしまう。俺とエルナが全体を見るから、詰まりそうになったらすぐに声を上げてくれ」


エルナが横から、おっとりとした、けれど確かな声で付け加える。 「数字は私が追うからね。どんぐり粉組に負けないくらい、今日はこっちを回しちゃおう」


ガルドが槍の石突きで地面を叩き、若者たちが呼応するように尾を揺らした。


2. 銀色の暴力、大漁の咆哮

川の色が変わったのは、それからすぐだった。 魚道の筋に、一筋の銀色が走ったかと思うと、次の瞬間には水面が盛り上がるほどの「影」が押し寄せた。


「サケだ……! 凄まじい数だぞ!」


アミを構えたガルドが叫ぶ。 銀色の背中がひしめき合い、互いにぶつかり合う音が「バシャバシャ」と激しく響く。もはや川底は見えない。水面の下は、うねる銀色の絨毯のようだった。


「いけ、ガルド!」 「おうっ!」


ガルドがアミを差し入れた瞬間、柄が弓なりにしなった。 「うおぉっ……! 重い、重すぎる!」


若者たちが二人がかりでアミを引き上げると、そこには数十匹のサケが激しく跳ねていた。一網ひとあみでカゴが一杯になるほどの圧倒的な物量。 カゴ罠にも、逃げ場を失った魚たちが雪崩のように落ち込んでいく。


「休むな! 次が来るぞ!」


運搬チームが魚の詰まった重いカゴを担ぎ、全力で解体台へと走る。 だが、そのあまりの勢いに、早くも**『物理的な壁』**が立ちはだかった。


「智也! 解体台がパンクした! 魚を洗う水が足りない!」


解体班の手元に、ヌメリと血がこびりついた魚が積み上がっていく。桶で水を運ぶ速さを、魚の山が完全に超えてしまったのだ。


「トモヤ。……一度だけ、水、引く?」 横で状況を見ていたリュミアが、真剣な顔で俺を見た。


「ああ。頼む!」


リュミアが解体台の列の端に立ち、上流の川面に向かって手をかざした。 「……水よ、道になれ」


短い詠唱。 川から一筋の太い水流が生き物のようにせり上がり、全ての解体台の真上を、勢いよく走り抜けた。 魔法による一時的な「導水」。 激しい水流が、積み上がりかけた魚のヌメリと血を一瞬で洗い流していく。


「今だ、一気に捌け!」


魔法で稼いだ一瞬の余裕。その隙に、俺は足元に用意していた材料をグレンさんに手渡した。 「グレンさん、お願いします! 角度はこの板の通りに!」


半分に割った丸太を繋ぎ合わせ、上流の小さな段差から解体台まで水を引く「木樋もくひ」による掛け流し水路。 魔法が消える前に、俺たちはそれを固定し、永続的な洗浄ラインを完成させた。


3. 夕暮れの干し台と、美しい賞賛

日が傾き始めるころ、川を埋め尽くしていた銀色の帯も、ようやく細くなっていった。 高床式干し台には、腹を開かれ塩をまとったサケが、びっしりと並んでいる。


「いやあ、圧巻だね。これだけあれば、僕も冬を越せそうだよ」


ふと見ると、いつの間にか戻っていたレオンが、焚き火の端でちゃっかりと切れ身を串に刺して焼いていた。


「レオン、お前……見張りはいいのか?」 「終わったよ。上流まで静かなもんだ。それより、この脂の乗り……最高だね」


レオンは焼きたての身をほぐし、口いっぱいに頬張っている。


「智也殿」


涼やかな声に振り返ると、そこにラナが立っていた。 作業を終え、汗を拭った彼女の髪が夕陽を受けて透き通り、金色の霧のように輝いている。


「ただ魚を獲るだけでなく、獲る側から保存する側までを一筋の『川』のように繋いでしまうとは……。智也殿、あなたの知恵は、この村の冬を、文字通り黄金色に変えてしまいましたわ」


黄金色の瞳に深い信頼と賞賛を浮かべ、彼女は穏やかに微笑んだ。 その、あまりに凛として、そして慈愛に満ちた美しさに、俺は言葉を失い、喉が鳴るのを自覚するほど見惚れてしまった。


「おっと……あ、いや。……当然の務めだ。皆が死ぬ気で動いてくれたからこそだよ」 「ふふ。謙遜なさらないで。実に、見事な采配でしたわ」


「全くだ。俺の腕も千切れるかと思ったが、この眺めを見りゃあお釣りが出るぜ!」 ガルドがやってきて、俺の肩をバシバシと力強く叩いた。 「智也。お前が『仕組み』を造らなきゃ、俺たちは今日、ただのパニックで終わってたはずだ。……ありがとな!」


「……ああ。こちらこそ、最高の仕事をありがとう、ガルド」


4. 母の笑顔と、来年への設計図

片付けの帰り道。俺は坂道の途中で、リュミアと、その母親に出会った。 母親はまだ時折咳き込むものの、干し台に並ぶ無数の魚を見上げ、瞳を潤ませている。


「……すごいね、智也さん。去年の冬は……いえ。でも、今年はこんなにたくさん」


リュミアがそっと母親の肩を抱き寄せた。 「お母さん。今年はどんぐりの粉も、魚も、ちゃんとあるから。だから……いっぱい食べてね」


リュミアは俺の方を見て、飛び切りの笑顔を見せた。 「その“並べ方”を、この人が考えてくれたからだよ」


「……ありがとうね、智也さん。本当に、本当に……」 母親が深く頭を下げる。


「いえ。俺は手順を整理しただけで……皆の力です。……お母さんも、冬になったらこのサケを食べて、しっかり体力をつけてくださいね」


母娘の笑い声が、夕暮れの冷たい風の中に溶けていく。 (仕組みは、かろうじて形になった。来年はこれを『当たり前』にする番だ)


高床の上で、魚たちが風に揺れている。 その下で、焚き火を囲む村人たちの笑い声が、これまでになく温かく響いていた。


「……よし。次は、ビタミン確保と寒さを防ぐ仕組みだな」


俺は、さらに色濃くなる冬の気配を感じながら、次の設計図を頭の中に広げた。

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