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第12話《村総出の冬越しクラフト》

1.板の前で、役目を決める


朝の冷たい空気が、まだ眠たそうな村の広場に満ちていた。 広場の真ん中に、粗く削った板が三枚立てられている。


一枚目は、どんぐりが粉になって倉庫へ入るまでの『工程』。 二枚目は、谷の共同石臼と踏み割り台の『見取り図』。 三枚目は、高床式倉庫の『側面図』。


字が読めない人でも、耳マークや足跡で直感的に分かるように。 昨日の夜、俺とエルナが目をこすりながら描き上げた「冬越えの設計図」だ。


「……では、始めようか」


族長が一歩前に出て、広場をぐるりと見渡す。 「今年の冬を、誰一人欠けずに越せるか。ここからが勝負だ。まず、役目を決める」


族長は一本目の板を指し、順番に名前を置いていく。


「力仕事の指揮は、ガルド。お前が若衆をまとめろ」 「おうっ! 任せとけ」


「道具と設備の監修は、グレンさん。不備がないか見てやってください」 「ふん。壊れたもんが顔に飛んだら目も当てられんからな」


「人の適性を見て差配するのは、ラナ。頼めるか」 「承知しました。皆さんの顔は、もう覚えています」


「数字と工程の管理は、エルナ」 「はーい。丸とか線とかで、ちゃんと描いとくからね」


「そして、リュミア」 族長の淡いブルーの瞳が、彼女を射抜いた。 「お前は人々の不安を拾い、智也へ繋げ。仕組みに『心』を通わせる役目だ」


「……はい」 短い返事。だが、彼女の背筋はまっすぐに伸びていた。


俺は族長に向き直り、深く頭を下げた。 「ありがとうございます、族長。俺も現場を回りつつ、改善点を板に追加していきます」


「決める。責任はわしが持つ。では動いてくれ」


その一言で、広場の空気が『作業』へと切り替わった。


2.族長の土魔法


昼前。谷に仮設した「踏み割り台」のまわりは、もう人だかりだ。 ガルドが木のレバーの端に足を乗せ、ぐっと踏み込む。


ぱき、ぱき。 乾いた音とともに、殻が割れる。 だが、十数回ほど繰り返したところで、台が嫌な音を立てて傾いた。


「待って、今のままだと危ない……! いったん止めよう!」


俺の声で踏み手たちが退く。 (……設計の穴だ。地面の芯が湿っていて、踏む力に耐えきれず支点が沈んでる)


「どこが悪い?」 いつの間にか、グレンさんが横にしゃがみ込んでいた。


「かませが柔らかすぎました。地盤が緩くて、石を打っても逃げてしまいます」


俺が答えを出すより速く、族長が動いた。 大きな手が地面へと伸びる。指先が土に触れた瞬間、ぶわっと土の匂いが濃くなった。


地面が“鳴らずに”締まっていく。 沈んでいた角だけでなく、作業者の足場から石を置く場所まで、谷の一角がまるごと硬い床に変わったかのような圧倒的な安定感。


(……え。威力、段違いすぎだろ。これが族長の魔法か……!)


「今だ。手を動かせ」


族長は声を荒げない。ただ指先に力を込め、もう一段地面を固めた。 俺たちはすぐに石を噛ませ、枝束を敷いて振動を逃がす処置をした。 族長が手を離した後も、石と溝の工夫がその強度を維持し続ける。


「……ふう。これで、回ります。ありがとうございました、族長」


「怪我は出すな。次は人の手で持たせろ」 族長は一歩退き、淡々と、しかし強い意志でそう告げた。


3.お似合いの二人と、伏せられた耳


殻割りの次は、殻と中身を分ける「風選ふうせん」だ。 谷の開けた場所に、どんぐりを広げた木の台を並べる。


「風を出せる人は、こちら側にお願いしますわ」 ラナの声に、獣人の子供たちが手を挙げた。


「風をこう……向こうに送ってほしい。殻だけがふわっと浮くくらいの強さで」 俺が教えると、エルナがすぐに板へ新しい図を描き足した。


「強い風はダメ。最初はこっちの『練習用の台』でやってみようか」 さらさらと、丸と矢印が増えていく。その手が迷わない。


(この人、すごく頭が良い。俺のぐちゃぐちゃな思考を、勝手に整えてくれるな)


「ねえ智也くん、ここ。三歩分くらい間隔をあけると、風がぶつからないよ」 「なるほど、助かる。エルナ、ここの記録も頼めるか?」 「うん、任せて!」


その少し後ろで、若い獣人たちが楽しげに囁いているのが聞こえた。 「なあ見ろよ、帳簿係のエルナさんとあの人間。息ぴったりだよな」 「“頭使ってる時”は、お似合いに見えるぜ」


(……いかん、心臓に悪い。今は仕事だ)


俺が照れ隠しに咳払いをしたその時。 ふと見ると、少し離れた場所にいたリュミアの耳が、ほんの少しだけ伏せられた気がした。


4.設計図の外側


夕方。作業が一段落した頃、リュミアが板の前に立って報告を始めた。


「……っていう話が、今日だけでこれくらい出てる」 耳のマークや小さな数字。彼女の手元には、現場で聞き取った「声」が並んでいた。


「踏み割り台の音が怖い人がいる。軽い力で済む台から始めたいって」 「……そうか。俺の図面には『音の恐怖』までは描けてなかったな。明日、軽い板を一枚追加しよう」


ひと通り報告を終えると、リュミアはふっと視線を落とした。 いつもはまっすぐな彼女の肩が、少しだけ丸まっている。


「……トモヤ。私、エルナみたいに頭、良くない」


「え?」


「図面に線を引くことも、難しい計算もできない。……ただ、みんなの困ったことを言いに来ることしか、できないから。あなたの役に、立ててない気がして……」


消え入りそうな声。 あのエルナとのやり取りを見て、彼女なりに負い目を感じていたんだろう。


俺は板を置き、リュミアの正面に立った。


「何言ってるんだ。リュミアが隣にいてくれないと、俺は一番困るんだよ」


「……え?」 リュミアが驚いたように顔を上げる。


「エルナは数字や図面を整えてくれるけど、リュミアは『人』を見てくれてる。図面がいくら綺麗でも、使う人が怖がったり疲れたりしたら、それはただの木の板だ」


俺は彼女の目を見て、ゆっくりと言葉を続けた。


「リュミアが拾ってくれる声があるから、俺の設計図に血が通うんだ。君がいないと、俺は独りよがりな機械を造るだけの人間に戻ってしまう。……だから、俺には君が必要なんだ」


リュミアは瞬きを数回繰り返し、それから。


「……そう、かな」


「ああ。絶対だ」


そう言い切ると、リュミアの顔がぱあっと明るくなった。 夕焼けに照らされたその表情は、今まで見たこともないような、飛び切りの笑顔だった。


「……うん。じゃあ、明日も、いっぱい拾ってくる。トモヤのために」


その笑顔の眩しさに、今度は俺の方が視線を泳がせる番だった。


5.五トンの現実


一週間は、嵐のように過ぎ去った。 村人総出で集め、割り、挽き続けた成果が、ついに形になった。


完成した高床式倉庫の中には、どんぐり粉の袋が山積みになっていた。 床一面、いや、腰の高さまで袋がぎっしりと並んでいる。


「……五トン。食べられる形でこれだけ残さないと、冬の途中で食糧が薄くなる。これが現実だね」 エルナが板の数字をトントンと叩く。


族長が、ゆっくりと倉庫を見回した。 「……このペースで回れば、今年は誰も餓えで死なせずに済むだろう」


静かな、重みのある言葉だった。 俺はその輪の少し後ろで、壁にもたれて天井を見上げた。


(第一段階は、なんとか形になった。……でも)


現代のエンジニアとしての冷静な視線が、脳内で警告を発する。 (タンパク質が、決定的に足りない。これだけじゃ、厳しい冬を越す体力は維持できないぞ)


俺はまぶたを閉じ、村の近くを流れる川の音を思い出した。 網。やな。燻製。


「……次は、魚だな」


短く決意を呟き、外を仰ぐ。 冬の匂いが濃くなっていく夕景の中、次の歯車がもう回り始めていた。

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