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第11話《石臼、歌い出す》

1. 数日後の谷、唸る粉の匂い

数日後。谷の鍛冶場へ向かう道すがら、すでに微かな熱気と、鉄が焼ける匂いが漂っていた。岩肌を背にした工房の奥に、俺が設計した「一号臼」がどっしりと据えられている。


「ゴウン、ゴウン……」


低い唸り。石と石が噛み合い、摩擦で生まれる重低音が足の裏から伝わってくる。上石の左右に伸びた長い柄を、若者二人が息を合わせて押し回していた。


俺はしゃがみ込み、桶に溜まったばかりの粉を指でつまみ上げる。


(……すごい。指の腹で粒子が消えるみたいだ。設計通りの精度が出てる)


「どうだ、人間。文句はねぇだろうな」


グレンさんが腕を組み、ふんぞり返って鼻を鳴らした。煤だらけの顔に、職人としての矜持が透けて見える。


「完璧です。グレンさん、ありがとうございます。石工のサラさんたちも、本当に……」


「礼なら石に言え。俺は鉄を打っただけだ」


ぶっきらぼうな言い草だが、グレンさんは俺の横で満足そうに石の回転を眺めている。その時、横にいたリュミアが粉を一摘み、舌の上に乗せた。作業の熱気で、彼女の首筋には薄く汗が浮いている。


(……あ。)


ふとした拍子に、汗を含んだ薄い布地が、彼女の柔らかな肩から胸元のラインにぴたりと張り付いた。豊かな曲線が露わになり、俺は心臓が跳ねるのを感じて慌てて視線を臼へと戻した。


(……いかん、心臓に悪い。今は仕事だ)


リュミアはそんな俺の動揺には気づかず、真剣な顔で頷く。


「……うん、トモヤ。これ、前のよりずっといい。喉を通る時、痛くない」


彼女の短い一言が、何よりの報酬だった。


「だよね。これならお年寄りも食べやすいと思うよ」


背後から声をかけてきたのは、エルナだった。以前、村の備蓄状況を一緒に整理して以来、彼女とは数字を介してよく話す仲だ。今日も手慣れた様子で帳簿板を抱え、当たり前のように俺のすぐ隣に座り込んだ。


「エルナ。もう測りに来たのか」


「うん。智也くんがまた面白いこと始めたって聞いたから。どれくらい挽けるか、数字にしないと気が済まないんだ」


2. 設計の穴、台が“歩く”

しばらくは順調に粉が生産されていた。だが、石臼の「ゴウン」という音が、一瞬だけ濁った。


「ギッ……!」


木の柄が僅かに跳ね、台座が数センチ、横にずれる。


(……台が“歩いた”!?)


回転の振動が土を締め、片側の地盤だけが急速に沈み始めたのだ。軸が傾けば石が偏って欠ける。最悪の場合、高速回転する石の破片が飛んでくる。


「待って、今のままだと危ない……! いったん止めよう!」


俺の声で若者たちが手を緩めたが、重い石の慣性は止まらない。台座はさらに傾こうと軋んだ。物理的な限界。俺の設計以前に、この「土地」が悲鳴を上げている。


3. ラナの指揮とガルドの土魔法

「状況を整理いたします。危険と役目を分けましょう」


凛とした声。ラナが一歩前へ出た。彼女はまず、目の前に鎮座する巨大な石臼を仰ぎ見て、呆然と息を呑んだ。


「……これが、あなたが造ったものですの? 家にある臼とは、もはや別種の……巨大な『獣』のようですわ」


黄金の瞳に驚嘆の色を浮かべながらも、彼女は即座に要点を拾う。


「智也殿、水平が崩れておりますわね。このままでは石が自壊しますわ」


彼女は即座に、横にいたガルドを見た。


「ガルド。土を締めて、沈みを止めて。智也殿が処置をする『一瞬』を」


「おうっ! 了解だ!」


ガルドが臼の足元にしゃがみ込み、土に両手を当てた。


「ガルド、頼む!」


彼の喉の奥で唸るような音がし、手のひらから褐色の光が溢れ出す。土が、ふる、と震えた。沈みかけていた角の下が、魔法の力で一瞬だけ岩のように硬く締まる。


「今ですわ!」


ラナの合図。俺は用意していた平らな石を四隅へ差し込み、台を固定した。


だが、魔法は永続しない。俺はすぐに台座の外周に浅い「溝」を掘った。水の逃げ道兼、粉が掃ける道だ。さらに溝の外側に「枝束」を敷いて踏み固め、振動を大地に吸収させるクッションにする。最後に木の「くさび」を、力が逃げる方向へ逆らうように叩き込んだ。


「……よし。これで回る」


石臼を再び回すと、音は澄んだ。魔法が解けても、石と枝と勾配が、役目を引き受けていた。


「智也殿。ただ巨大なだけでなく、たったこれだけの“溝”と“枝”で危うさを消すとは。この妙な思いつき、実に見事ですわ。素晴らしい『知恵』ですわね」


ラナが心底感心したように、短く、けれど強く俺を褒めた。俺は照れ隠しに咳払いをして、次の工程へと意識を向けた。


4. 板の上に残る手順、五トンの現実

臼が安定して回り始めたところで、エルナが板を俺の前に掲げた。


「うん。智也くんが言葉で並べてくれたら、私はそれを“線”にするよ」


エルナの炭筆が、迷いなく線を引いていく。


「じゃあ、まず収穫して――乾燥。床に広げると腐るから棚だ」 「うん。乾燥棚」


「次が殻割り。レバー式の踏み割り台。足で踏むぶんだけ、力を増やして――」 「重りと支点ね」 エルナの合いの手が的確すぎて、説明が捗る。


「殻と中身の分離は、風。三人並んで順番に吹かせれば板一枚分はいける」 「風は“補助”、っと」


そこへリュミアが口を挟む。 「灰汁抜きは順番決める。歌を一曲分やったら交代」 「うん。分かりやすいね」


エルナが《歌一曲=交代》を矢印の横に添える。説明を挟むたびに、必要な線だけが増えていく。 (この人、すごく頭が良い。俺のぐちゃぐちゃな思考を、勝手に整えてくる)


思わず板を覗き込んで、息を飲んだ。板の上には、一本の「道」が完成していた。


《収穫 → 乾燥棚 → 殻割り(踏み割り台)→ 風で分離 → 再乾燥(必要なら)→ 灰汁抜き → 製粉(石臼)→ 最終乾燥 → 貯蔵》


「で。どれくらいの量を作るの?」 エルナはそこで、板の端を指でトンと叩いた。


「村人300人の冬越え。加工のロスも入れると……」 「……智也くん。これ、どんぐり“五トン”ぶん必要だよ」


「……五トン?」 俺の声が裏返った。エルナは冷静に板をトントンと叩く。


「うん。五トン。食べられる形でそれだけ残さないと、冬の途中で食糧が薄くなる。これが現実」


リュミアが短く言う。 「薄くなるの、嫌」


「……ああ。俺もだ。だから、一号臼だけじゃ足りない」


5. 二号の場所、川の音

俺は板の端に、新しい丸を描いた。


「二号は、もっと大きな場所……川のそばに据えたいです。川の力を借りるんだ」


グレンさんが鼻を鳴らした。「川べりは地盤が沈むぞ」


「据える“面”を造りましょう。ガルドと協力すれば、不可能なことではございませんわ」


ラナが力強く提案し、ガルドが笑って請け負った。石工のサラも、「親父が喜ぶよ」とにっと笑う。


鍛冶場の外から、冷たい冬の風が吹き込んできた。炉の赤さと岩肌の寒さの間で、石臼は止まることなく唸り続けている。


五トンを、形にする。


俺は板に描かれた丸を指でなぞり、次の景色を頭に置いた。 川の音、雪の匂い、その中でも止まらない石の歌を。

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