第103話【コモンス王国⑨】《論理の城壁、算盤の咆哮》
1. 墨香と算盤の戦場
王都コモンス、王宮の一角。 そこにある「戦略局」の扉は、鉄で補強された重厚な樫の木で作られている。
一歩足を踏み入れると、そこは現代日本のオフィス……というよりは、大学の研究室と司令部を混ぜ合わせたような、異様な熱気に包まれていた。 壁一面に貼られた広域地図。机の上に山積みされた報告書と、カチカチという乾いた音を立てる無数の算盤。
そこにいた二十人ほどの男たちが、一斉に俺――高瀬智也を振り返る。
(……(なんだ、この視線の密度。まるで三国志の呉に単身乗り込んで、群臣を相手に大立ち回りを演じた諸葛亮の気分だな……))
俺は内心の冷や汗を拭い、丁寧な一礼をした。 俺の隣には、計算盤を抱えたエルナが、いつになく真剣な表情で控えている。
「……彼が、アイゼルの『理』を築いた技師殿か」
中央の円卓で立ち上がったのは、西方担当官のバルカス。 彼は白髪混じりの鋭い目を細め、机を叩いた。
「智也殿。ここは英雄を称える酒場ではない。……国家の命運をミリ単位で削り出す計算室だ。貴公の『工学』とやらが、我々の算盤より正しいことを、まずは証明してもらおうか」
「承知いたしました。……お手柔らかにお願いします」
2. 第一の論戦:灰色の牙、増殖する城壁
「では、まず私が問おう」
バルカスが地図の西方、ルーン大河の先に位置する、切り立った断崖に囲まれた要塞地点を指差した。 通称「灰色の牙」。
「帝国の十万が、ルーン大河を越え、この灰色の牙に殺到した場合を想定しよう。ここは道が狭く、要塞の防御力は高い。だが、十万という圧倒的質量で『数ヶ月の包囲』をされれば、補給の尽きた我が軍は自壊する。……貴公なら、どう守る?」
担当官たちが身を乗り出す。 俺は地図を一瞥し、エルナに合図を送った。
「バルカス殿。アイゼル砦で取り付けた防衛器具……連弩の十字砲火や重油による摩擦消失は当然実装しますが、それだけでは『包囲』そのものは解決しません。そこで、もう一つの画期的な案を披露します」
俺は一本の『正確なボルト』を机に置いた。
「『規格化されたモジュール式野戦築城』です」
「モジュール……?」
「ええ。我々は現在、セントラリアで『同じサイズ、同じ強度』の鉄骨と石材を大量生産しています。これらを運び込み、現場で『組み立てる』。……敵が包囲網を築く速度より速く、俺たちは防御線を『外側へ向けて増殖』させるんです」
俺は図面を広げた。
「敵が攻めてくるたびに、俺たちは防御壁のパーツをガチャンと継ぎ足す。……敵は城を攻めているつもりが、気づけば『自分たちが巨大な鉄の迷路の中に閉じ込められている』ことに気づく。……包囲しているのは彼らではなく、増殖する俺たちの壁なんです」
バルカスが絶句し、算盤を弾く手が止まった。 「……防御を『静止した壁』ではなく、増殖する『構造体』として捉えるのか!」
3. 第二の論戦:十万の飽和攻撃と「三度の勾配」
「面白い! ならばこれはどうだ!」
バルカスに代わって立ち上がったのは、戦略局でも指折りの俊英と目される若き計数官、シラスだった。彼は勢いよく、地図上の七箇所に赤い駒を置いた。
「帝国が『飽和攻撃』を仕掛けた場合だ。西方全域、七つの拠点を同時に十万で叩く。我が国の騎士団は精鋭だが、数が足りない。一箇所の救援に向かえば他が抜かれ、全軍が崩壊する。この『算数の敗北』を、貴公はどう計算する?」
これこそが、王国側が最も恐れていた戦術だ。 だが、俺は冷静に算盤の音を聞きながら答えた。
「シラス殿。その十万を、ひと塊の『実数』として計算するのは間違いです。……十万の兵を動かすには馬車千台分の食糧が必要だ。隊列の長さは数十キロを埋め、先頭が戦う時、最後尾はまだ二日前の宿営地に停滞している」
俺は地図上の街道をなぞった。
「俺たちがやるべきは、敵を倒すことじゃありません。……一箇所の橋を、あえて『数センチ』だけ落とす。あるいは、数箇所の街道の『勾配』を、土竜人族を使って密かに『三度』だけ変えるんです」
「三度? そんなわずかな傾斜で何が変わる!」
「エルナ、計算を」
「はい」 エルナが淀みない動きで算盤を弾く。 「……勾配が三度増すと、荷馬車を引く馬の疲労度は三割増、行軍速度は十五パーセント低下します。さらに、数センチの段差がある橋では、重い攻城兵器は車輪を損傷し、通過に数時間の遅延が生じます」
俺はシラスを見据えた。
「その数時間のズレが、七つの拠点への到着時刻をバラバラにする。……俺たちは少ないリソースを神速でローテーションさせ、敵を一つずつ叩く。……同時飽和を『各個撃破』のタイムチャートに書き換えるのが、俺の回答です」
静寂が流れた。シラスが手元の算盤を弾く。 「……時刻同期の攪乱による、強制的な各個撃破。面白い、実にな!」
4. 第三の論戦:アイゼルの「不可視の防壁」
「……理屈はわかった。ですが、本命のアイゼルはどうなのでしょうか?」
次に立ち上がったのは、戦略局で最も工学的思考に近いとされる鋭い目つきの男だった。
「アイゼル砦が落とせないと分かれば、帝国は必ず山脈を迂回するでしょう。そこは道なき急斜面……雪や霧に潜られたら、貴公の誇る鳥人族の斥候も無力化されてしまいます。……智也殿、あなたならこの『見えない進軍』を、どう防ぐつもりなのですか?」
戦略局の全員が身を乗り出した。これこそが、王国が抱える最も深い懸念。 俺は、アイゼルを発つ前に施してきた「仕組み」について語り始めた。
「視覚が使えないなら、別の媒体を使えばいいんです。俺はアイゼルに、ある『音響探査』の仕組みを実装してきました」
「音響……? ですが、吹雪の中では声など届きませんぞ」
「空気中ではなく、大地を通る『波』を使うんです。詳細は伏せますが、ある種族の身体特性を工学的に再定義しました。地中を伝わる微弱な振動を物理的に拡大する仕組みです」
俺はわざと詳細はブラックボックスにした。
「すでに実験では、十五キロ先を歩く兵の数まで特定しています。雪に潜ろうが夜陰に乗じようが、重力に従って地面を踏みしめる限り、この大陸そのものが敵の存在を知らせる指針になる。……アイゼルの死角は、すでに埋めてあります」
男は一瞬だけ驚きに目を見開いたが、すぐに納得したように深く頷いた。
5. 鋼の信頼と、新たな幕開け
バルカスは深く、短く息を吐いた。
その表情には先ほどまでの険しさはなく、代わりに潔い敗北感と、奇妙な期待が混ざり合っている。
「……失礼したな、智也殿。彼らもまた、この国の行く末を案じるあまり、貴公という『新しい光』の正体を確かめたかったのだろう」
卿は苦笑しながら俺の前に歩み寄り、軽く右手を差し出した。
俺はその手を、失礼のない程度の力で握り返す。
(……ようやく、話が通じる土俵に乗れたか。設計変更を繰り返した末の、最終承認の瞬間に似ているな)
戦略局の官僚たちは、依然として不満げな顔を隠していない者もいたが、トップが負けを認めた以上、これ以上の異論は口にできないようだった。
「バルカス卿、お気遣い痛み入ります。私も、この国の現状を『現状維持』で推移させるわけにはいかないと考えておりますので」
俺が努めて丁寧に返すと、それまで閉ざされていた大扉の向こうから、凛とした、それでいて重力を持ったような「音」が響いた。
その時だった。
6. 聡明なる竜姫の降臨
「皆様、そこまでになさい。智也殿をあまり困らせては、私の顔が立ちませんわ」
鈴の音のように透き通り、それでいて部屋の空気を一瞬で凍らせるような、芯の通った声。
戦略局の者たちが、弾かれたように背筋を伸ばした。
次の瞬間、一糸乱れぬ動きで左右に分かれ、絨毯の上に跪く。
扉からゆっくりと現れたのは、ヴァレリア王女だった。
絶世の美女、という言葉ですら足りない。
白銀の髪は、月明かりを液体にして流したかのように輝き、その瞳には凍てつくような、しかし深い理知の光が宿っている。
(……え、嘘だろ)
俺は一瞬、呼吸を忘れた。
都内の中小メーカーで、油にまみれた図面と納期に追われてきた俺の人生において、これほどまでに完成された「機能美」と「威厳」が同居する存在を見たことはなかった。
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