第102話【コモンス王国⑧】《空を裂く報せ、静止した時間》
1. 藍色の翼と、静寂の破綻
春の陽光が、開墾されたばかりの黒々とした大地を温めている。
今は播種の季節。 かつて「無の荒野」と呼ばれたこの地には、今やポモーナ号が吐き出す蒸気とともに、数万の苗が整然と並び、柔らかな緑の芽を出し始めていた。
俺は、改良型播種機のクランクの調子を見ながら、土の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
セントラリアの朝は、規則正しい音で始まる。 馬車鉄道の車輪が刻む「カタン、コトン」という一定のリズム。だが、その平穏は空から切り裂かれた。
だが、その平和な農地の静寂は、空から切り裂かれた。
「トモヤ! 飛竜が来た!」
リュミアの声に顔を上げると、まだ朝靄の残る空から、二頭の飛竜が急降下してくるところだった。
通常、定期連絡ならもっと優雅に降りるはずのレオンが、翼をきしませるほどの無茶な機動を見せている。
(……嫌な予感しかしないな)
着陸の衝撃を抑えきれず、砂埃を上げて滑り込んだ飛竜の背から、レオンが飛び降りる。 いつもなら軽口を叩く彼が、今日は肩で息をし、顔を強張らせていた。
「智也! ……ハァ、悪い、挨拶抜きだ」
「レオン、落ち着いて。水飲むか?」
「いや、いい。……トンボからの緊急連絡だ。」
レオンの手から渡された、湿った伝令書。 そこにはトンボの、鋭く、極限まで無駄を削ぎ落とした筆跡でこう記されていた。
『帝国軍、帝都郊外に集結完了。兵数、推定二万。総指揮はユリウス皇太子との情報あり。現在、全軍がボンヌ公国方面へ向けて進軍を開始。
「ユリウス皇太子……?」
隣で覗き込んでいたエルナが、息を呑んだ。 (二万。単なる数以上に、ユリウス皇太子が自ら動いたという事実が重いな……)
「……わかった。すぐに領主のところへ行こう。」
俺たちは飛竜に飛び乗って領都へと急いだ。
2. 影の羅針盤、盤上の防衛線
フィアレル領の作戦会議室。 そこには、すでに到着していたトンボと、険しい表情のガルス・フィアレル領主、そしてバルトロさんたちが集まっていた。
「二万か……」
ガルス領主が、地図を見つめて呟く。 「アイゼル砦でカシウスを退けたとはいえ、我がフィアレル領の正規兵は五千に満たない。……トンボ、お前は帝国がどう来ると思う?」
トンボは、影のように壁際に立ち、淡々と答えた。
「侵攻ルートは二つ。フロリー領、もしくはアイゼル砦です。フロリー領を目指すなら、大規模な渡河のために輸送船が大量に必要となります。が、その徴用の動きはありません。対してアイゼル砦であれば、前年の侵攻で使った船が修繕され、現存していると思われます。アイゼルに来る可能性が極めて高いかと。また、ボンヌ公国で徴用した兵を含めれば、実数は三万から四万に達する見込みです」
「四万……。当方と数倍の開きがあるな。智也、君はどう思う?」
俺は地図の上に、いくつかの石を置いた。
「俺もトンボさんと同じ意見です。アイゼル砦が主戦場になるでしょう。敵軍は三万から四万の軍勢で、強行軍を仕掛けてくるはずです。……ただ、気になるのは、わざわざユリウス皇太子が自らアイゼルに来ることです」
俺は地図の「空白地帯」を指さした。
「実数三万以上の主力は、あくまで陽動でしょう。皇太子という最大のリソースをそこに置くことで、俺たちの目をアイゼルに釘付けにする。その死角に――山脈越えの奇襲ルート、あるいは少数の精鋭による工学的な破壊工作など、別の別動隊を潜ませているはずです」
「……智也。お前、相変わらずえげつない予測を立てるな」 レオンが少しだけ笑った。その時、扉が勢いよく開いた。
「失礼いたします! 王都より、王女殿下の特使が到着されました!」
3. 特使の来訪、ヴァレリアの信託
現れたのは、銀の装甲を身に纏った女性騎士だった。 埃にまみれたマントを翻し、一歩踏み出した彼女の兜の下から、聞き覚えのある凛とした声が響く。
「……智也殿、それに皆様。お久しぶりです」
「ヒルダさん!」
俺たちは思わず声を揃えた。アイゼル砦で共に死線を潜り抜けた戦友の姿に、会議室の重苦しい空気が一瞬だけ華やいだ。
「ヒルダ、無事だったんだね! ずっと心配してたんだから」
リュミアが駆け寄り、彼女の手を取る。
「ああ、リュミア殿も。……セントラリアの発展ぶり、見て驚きました。まさか、あの荒野がこれほど瑞々しい緑に覆われるとは。」
ヒルダはわずかに頬を緩め、旧友たちとの再会を噛みしめるように深く頷いた。
だが、彼女はすぐに表情を引き締めると、ガルス領主の前で深く頭を下げた。
「本題を。ガルス・フィアレル卿。ヴァレリア王女殿下よりの親書を携えて参りました。……王都でも、独自に帝国の侵攻準備を察知しております」
受け取ったガルス領主が、封を切り、書面に目を通す。その表情が、一気に険しくなった。
「……智也。ヴァレリア殿下は、今回の帝国侵攻について、君の意見を聞きたいと仰っている。それも、単なる感想ではない。……具体的な『防衛策』を、だ」
「俺に、防衛策を……ですか?」
「ああ。君がアイゼル砦で見せた『知恵』。あるいは、このセントラリアで成し遂げた『富』。それこそが、今、王都に必要なのだ。殿下は、この難局を乗り切るためには、西部方面とアイゼル砦との密な連携が不可欠だと考えておられる」
部屋に沈黙が流れる。 俺は横に立つリュミアを見た。 彼女は、不安を押し隠すように俺の手をぎゅっと握り、静かに頷いた。
「トモヤ。……王都の人たちも、懸命に戦おうとしてる。あなたの知恵が、誰かを救えるなら。私は止めない。」
「……ありがとう、リュミア」
(……一介のエンジニアに、国の命運を問うか。だが、数字と物理現象で語れることなら、俺の仕事だ。西部と東部を繋ぐロジスティクス、そして防衛ラインの再構築……やることは山積みだな)
俺は前を向き、特使に向かって答えた。
「わかりました。……レオン、悪いがもう一踏ん張りだ。ヒルダさんを乗せて、王都まで一っ飛びできるか?」
「任せとけって! 王都まで800km、音速(は言い過ぎだけどな)で送り届けてやるよ!」
レオンが不敵に笑うと、ヒルダさんが目を丸くした。
「800kmを……明日中に、ですか? 行きは早馬を乗り継いで10日かかったというのに、たった2日で着いてしまうと……?」
「それが『空路』の力だよ、ヒルダさん。標高と気流、そして飛竜の巡航速度を最適化すれば、不可能な数字じゃない」
俺は設計者としての確信を込めて頷いた。
「……信じがたいですが、智也殿がそう仰るなら。……全速力で、お願いします。」
4. 石造りの迷宮、静止した時間
飛竜の背に揺られ、高度500メートルから見下ろす世界は、地図そのものだった。 地上の10日間をわずか2日に圧縮する圧倒的な移動速度。
だが、そんな俺たちの視界に「王都」が姿を現した時、俺は美しさよりも先に、ある種の「脆さ」を感じ取っていた。
白石で組まれた幾重もの城壁、高くそびえる尖塔。 歴史の重みを感じさせる石畳は確かに美しい。 だが、飛竜の背から俯瞰する俺の目には、別の側面が映っていた。
(……非効率だ)
城門の検問には長蛇の列ができ、情報の伝達は相変わらず徒歩の伝令に頼っている。 都市の排水構造は千年前のままで、路地には淀んだ空気が溜まっている。
「……トモヤ。なんだか、ここだけ時間が止まっている」
後ろに乗ったリュミアが、俺の背中に顔を寄せて囁く。
「ああ。伝統という名の慣性が、変化を拒んでいる。……これを動かすのは、鋼鉄の歯車より重そうだ」
「おい、待てレオン! 下を見てみろ!」
「あ……? うわっ、マジかよ!」
俺が指差した先、王宮前広場の警備兵たちが一斉に空を仰ぎ、こちらの機影を捉えていた。 それだけならまだいい。 陽光を反射してキラリと光ったのは、彼らが一斉に番えた矢の先端だった。
「「「何事だッ! 空に未確認の飛竜! 放てッ!」」」
「ちょ、ちょっと待って! 俺たちだって! 特使が乗ってるんだぞ!」
レオンが必死に手綱を引いて機体を旋回させる。 ヒュン、ヒュンと空気を裂く音がすぐ近くを掠めた。 エンジニアとしての冷静な頭が、矢の初速と弾道を計算して「……これ、当たったら死ぬな」と結論づける。
「止めてください! ヴァレリア殿下の特使、ヒルダです! 射撃中止ッ!」
後ろに乗ったヒルダさんが、身を乗り出して叫ぶ。 銀の装甲が日光を弾き、彼女が掲げた「王家の紋章」が空中で閃いた。
「……紋章……? 特使か、特使なのか! 弓を下げろ! 射るなッ!」
指揮官の怒号が響き、ようやく空を埋め尽くそうとしていた殺意が霧散する。 レオンは冷や汗を拭いながら、ゆっくりと、それでいて見せつけるように大きな旋回を描いて、王宮の石畳へと着陸した。
バササッ! と巨大な翼が風を巻き起こし、居並ぶ王国兵たちのマントを激しくなびかせる。 埃が舞い上がる中、俺たちは飛竜の背から降り立った。
「ヒルダ殿……! まさか、発たれてからまだ10日前後。早馬の報せも届いておらぬというのに、もう戻られたのですか?」
駆け寄ってきた衛兵隊長が、驚愕で目を見開いている。
「10日ではありません。行きに10日、帰りはわずか2日です」
ヒルダさんは誇らしげに胸を張り、俺とレオン、そしてエルナを振り返った。
「セントラリアの『知恵』は、距離という概念すら書き換えるようです。……案内を。ヴァレリア殿下と将軍たちがお待ちのはずです」
兵士たちのどよめきを背に、俺たちは重厚な石造りの門をくぐった。 そこには、伝統と格式という名の、あまりにも重く非効率な「沈黙」が漂っていた。
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