表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

101/130

第101話【ラグナ帝国④】《壁の中の耳と、偽りの豊穣》

1. 辺境公国の「汚れた金」と公妃の浪費


ラグナ帝国の北東部、コモンス王国との国境に接するボンヌ公国。 ここは、両国を分かつ険しい山脈の裾野に位置し、表向きは「国境の盾」としての役割を担っている。


だが、その繁栄の正体は、王国側の商隊を標的にした「通行保障料」という名の略奪である。


国境沿いで意図的に小規模な紛争を演出し、恐怖を煽った上で、法外な金銭を要求する。あるいは、密輸を黙認する代わりに多額の賄賂を受け取る。その「マッチポンプ」によって得られた汚れた金が、公国の宮廷を異様に肥え太らせていた。


「見て、この輝き。コモンスの田舎者たちが隠し持っていた宝飾品ですわ」


公妃マリーは、没収された王国の財宝で埋め尽くされた鏡の前で、恍惚とした表情を浮かべていた。 彼女が纏うのは、王国の特産である最高級の絹を贅沢に使ったドレスだ。その裾には、一粒一粒が職人の一年分の給料に匹敵する小真珠が数千も縫い付けられ、歩くたびにジャラジャラと重苦しい音を立てる。


ボンヌ公はこの妻を溺愛し、彼女の望みを叶えるために、領民から血を絞り出すような重税を課していた。そして、その不正が帝都に届かぬよう、中央の有力貴族――カシウス公らへ莫大な「賄賂」を送り続け、自らの地位を盤石なものにしていたのである。


(……この金の数パーセントでも、街道の整備に回していれば、補給の効率は劇的に上がっただろうに)


視察を前に先行したユリウスの先遣隊は、泥濘に埋まる馬車を見捨てながら、この公国の「構造的な腐敗」を苦々しく見つめていた。



2. ロジックの冒涜:エドモン男爵の終焉


「殿下、わが領では、王国で噂の『ロジックの農法』を導入いたしました。来季は二倍、いや三倍の収穫が見込めますぞ!」


ボンヌ公が胸を張って語るその言葉は、救済の福音ではなく、死刑宣告の響きを持っていた。 彼は、智也が提唱し王国の増産に貢献している「輪作」の噂を表面だけ聞きかじっていた。だが、彼が理解したのは「順番に植えれば増える」という魔法のような結果だけであり、その背景にある土壌の栄養サイクルや窒素固定、保水管理といった「工学的工程」はすべて切り捨てていた。


その犠牲となったのが、地方の若き領主、エドモン男爵であった。 彼は帝国では珍しく、数式と論理を愛する青年だった。だからこそ、公爵が命じた「無計画な増産」がいかに無謀であるかを、誰よりも理解していた。


「……公爵、これ以上堆肥の投入も休耕もなしに、ただ作物を交互に植えるだけでは、大地の体力は数ヶ月で尽きます! 智也殿の説く『理』は、自然の摂理との最適な調和に基づいたものであって……」


エドモン男爵の必死の進言に対し、ボンヌ公は醜悪な笑みを浮かべてワインを煽った。


「王国で二倍穫れるなら、わが領でも可能だろう。できぬと言うなら、お前の忠誠心が『理』を拒んでいる証拠だ。……収穫が足りねば、お前の領主権を剥奪し、一族を反逆罪に問う」


追い詰められたエドモンは、震える手で不完全な計画書を承認せざるを得なかった。 結果は、凄惨なものだった。 地力を無視して酷使された大地は、翌年には青々とした麦ではなく、病に侵され黒ずんだ絶望を吐き出した。広大な農地には死の臭いが立ち込め、飢えに耐えかねた領民たちが農具を手に暴動を起こした。


ボンヌ公は、待ってましたとばかりに自らの軍――ボンヌ公国軍の鉄靴を動かした。


「エドモンは管理能力を欠き、無意味な理論で大地を汚した。暴動の首謀者は、王国と内通していたエドモン一族だ」


公国軍の重装歩兵が、エドモン一族の屋敷を包囲し、夜陰に乗じて火を放った。 「理」を理解しようとした数少ない知性は、公爵の「効率的な収奪」のために、一族郎党もろとも根絶やしにされた。その肥沃であったはずの領地は「管理不行き届き」の名目で公爵の直轄地として没収され、再び「見せかけの増産」という名の搾取が繰り返される。


智也が「人を活かすため」に設計した「知恵」が、帝国では「気に入らない地方領主を潰し、土地を奪うための口実」へと変換された。これこそが、嘘で固められた帝国の「豊穣」の、血塗られた正体であった。




3. 諜報の闇:『喋る帳簿』の呻き


その夜。ボンヌ公の居城。 厚さ一メートルを超える石壁に囲まれ、窓一つない「密談室」にて、中央から派遣された監査官とボンヌ公が、没収したエドモン領の資産分配について話し合っていた。 そこは、帝国最高の魔導防壁が張られているとされる、絶対の静寂が約束された空間だ。


だが、その「壁」こそが、帝国の最も残酷な「センサー」であった。


密談室を囲む二重壁の僅かな隙間。 そこには、鋭い聴覚を持つ蝙蝠人族の少年が配置されていた。 少年は、光の入らぬ暗闇の中で、監視兵の冷たい銃口ならぬ「魔導針」を喉元に突きつけられながら、石壁を通じて聞こえてくる「微かな震動」に全神経を集中させることを強要されていた。


(……うるさい。声が、頭の中に直接刺さる……。暗いよ、お母さん……助けて……)


少年の役割は、壁の向こうで交わされる貴族たちの不敬な本音、横領の正確な額、裏切りの兆候をすべて聞き取り、それを「帝国の諜報部」へと報告することだ。 彼が漏らした内容は、壁の隙間に繋がれた細い伝声管を通じて、別の場所で待機する筆記官へと届けられる。 「生きた録音機」として、彼は精神が崩壊するまで誰かの汚い秘密を吐き出させ続けられる。


智也が、少数民族の異能を「世界を知るためのパートナー」として定義し、その誇りを守るために通信網や気流センサーとしての役割を与えている裏で。 帝国は、その同じ異能を、意志を奪い、尊厳を削り取ることで成立する「使い捨ての部品」として扱い、命を浪費させることで情報を得ていた。


「喋る帳簿」となった少年の瞳からは、既に光が失われていた。彼にとって世界は、冷たい壁から響いてくる、欲望と裏切りのノイズで埋め尽くされた地獄に他ならなかった。


智也が、少数民族の異能を「パートナー」として定義し、通信網やセンサーとしてその誇りを守ろうとする裏で。 帝国は、その同じ異能を「部品」として扱い、意志を奪い、命を浪費させることで情報の速度を得ていた。



4. 皇太子到着:怪物たちの歓迎宴


翌々日、ボンヌ公国の巨大な正門が開き、大地を震わせる足音とともに、皇太子ユリウス率いる本隊が到着した。 3万の軍勢。その先陣を切る鉄の波を、公国の民は畏怖と絶望の眼差しで見送った。


「殿下! よくぞお越しくださいました! わが領の比類なき繁栄、ぜひその目でご覧ください!」


ボンヌ公が、黄金の刺繍が施された深紅の絨毯を数百メートルにわたって敷き詰め、芝居がかった身振りで跪いた。 公妃マリーも、没収された王国の最高級の絹を纏い、不自然なほど白い肌に薄笑いを浮かべて頭を下げる。 だが、ユリウスの冷徹な瞳は、歓迎の宴の豪華さなど一瞥もしなかった。


(……兵士たちの鎧。ボルト一本の互換性さえない。天幕の重量は山岳戦の限界を考慮していない。そして、この歓迎の食事……。外の農村で餓死した民、数百人分の命を、この皿の上に盛っているのか)


ユリウスは、ボンヌ公の差し出した高価なワインを一口も啜らず、ただ広間を、そして「壁」を、無機質な瞳で見渡した。 彼の視線は、密談室の壁の僅かな「隙間」――蝙蝠人族の少年が、今も恐怖に震えながら自分の声を待っているであろう場所で、一瞬だけ止まった。


「ボンヌ公。見事な『豊穣』だな」


ユリウスの口から漏れたのは、父・皇帝ラグナと同じ、空虚で不気味な「薄ら笑い」だった。 その笑みの底にある、氷のような怒りと軽蔑に気づく知性さえ、この公国には残っていなかった。公爵は、それを賛辞と受け取り、さらに得意げに笑みを深める。


ユリウスは冷酷な「怪物」としての仮面を剥がすことなく、歓迎の喧騒の中へと足を踏み入れた。 帝国の闇が、夏の夕闇とともにアイゼル砦へと長く伸びていく。 決戦の足音は、もはや誰にも止められぬ地鳴りとなって、王国の平穏を揺るがし始めていた。

【読者の皆様へ】

最後まで読んでいただき、心より感謝申し上げます。

日常の忙しさの中で、数分でもこのファンタジーの世界を楽しんでいただき、現実から離れてリラックスできる一助となれば幸いです。


~もしよろしければ、ブックマークや評価で応援いただけると、執筆の励みになります!~


!!!皆様のおかげで、チラッとですがランキング入りしました。本当にありがとうございます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ