――第38章・シコウキ――
一日後―――
オマリロ・ニュガワは、老いた姿に戻ったままコーヒーを啜り、テレビで式典中継を眺めていた。
壇上に立つ橘ハヤテの声が、会場に響く。
「それでは発表します! 今年のディビジョン・レイド・トーナメント優勝者――ナラク・カイダン、カイダンチョウ・砂原アツシ!」
画面の中で、腕を吊った砂原アツシが前へ出る。顔はやつれ、戦いの痕が残っていた。
「ありがとうございます、ディレクター」
アツシは片腕でハヤテと握手する。
「努力が、多少は報われたようで何よりです」
ハヤテが台座の布を引き抜いた。
そこには翡翠色に光る宝箱があり、会場の観客とカイダンチョウたちが息を呑む。
「ティア3……」ハヤテが呟く。
「君のものだ」
アツシが宝箱を受け取った瞬間、UIが浮かんだ。
〈開封しますか?〉
「……はい」
〈開封中……〉
箱がひとりでに開き、黒と翡翠の鎧のパーツが次々と飛び出して床へ落ち、硬い音を立てた。
〈おめでとうございます!
*3セット*トビカエルの鎧、*1セット*ハイヘビの鎧、*1セット*オオザメの鎧、*1セット*ヒショウするワシの鎧、*1セット*フドウのガマの鎧を獲得しました!〉
「おおっ!」ハヤテが目を見開く。
「大当たりだな!」
ナラク・カイダンの面々が、すぐに戦利品を回収しに駆け寄る。
アツシはハヤテへ短く礼をした。
「この贈り物、最大限の敬意をもって大切にします」
そしてカメラへ顔を向ける。
「ニュガワ。見ているなら覚えておけ。俺は――お前の玉座を奪いに行く」
オマリロはテレビを見たまま、表情ひとつ変えない。
アツシが壇上を降りたところでチャンネルを替えると、廊下から葉山レイが顔を出した。
「……オマリロさん?」
「うむ、少女」
「えっと……ザリアとリカが、その……」
言い終わる前に竹野ザリアが飛び込んできた。
「私たちを鍛えてくれませんか、先生!」
オマリロは立ち上がり、キッチンへ行ってコーヒーを注ぎ足す。
「今日の鍛錬は終わり」
「じゃあレベル上げ!」ザリアが食い下がる。
「私たち、まだ全然追いつけてない! しかも装備も取れなかった! 何かないの!?」
「休め」
オマリロは二階へ向かいながら言った。
「明日、新しい日」
オマリロが去った直後、天川リカが食べ物の袋を抱えて屋敷へ入ってくる。
「みんな、晩ごはん買ってきたよ!」
だがザリアとレイの顔を見て察した。
「……断られた?」
「うん」ザリアが肩を落とす。
「振り出しだ」
ザリアはレイの肩を掴んで揺さぶった。
「レイ! なんでそんな強いの!? あの三つのスキル、どうやって取ったの!?」
「練習……かな?」レイがけらけら笑う。
「練習って何の練習!? 教えて!」
「わかんない!」
「……はぁ、もう……」
リカが考え込む。
「私たち、考え方が間違ってるのかも。もっと具体的に強くなる方法があるはず」
「先生の“秘訣”聞こうぜ」ザリアが言った。
「絶対なんかある!」
「教えてくれるかな……」リカが不安そうに呟く。
「聞かなきゃ始まらない!」
女子たちが階段へ駆け上がる一方で、ハン・ジスは自室でパソコンに文字を打ち込んでいた。
「……なんで頭の中で声がする。検索、送信」
返答が表示される。
【主な原因として、精神的ストレス、抑うつ、不安、脱水、睡眠不足、または基礎疾患などが考えられます。該当する場合は専門家へ相談してください】
「……くだらねぇ。俺が狂ってるわけない。……ないよな?」
そのとき、画面に式典の切り抜き動画がポップアップする。
砂原アツシがヒバコ・ミスティックを掲げ、周囲が写真を撮っている。
ハンは舌打ちし、パソコンを脇へ投げた。
「……クソ石野郎」
なぜか、胸の奥から怒りが溢れ出す。
ハンは自分の頭を叩いた。
「……違う。怒っても意味ない」
「まだ先生がいる。……先生なら、俺たちの分を取り返す方法――」
もう一度、頭を叩く。
「……いや、強くなる方法だ」
ハンが部屋を出ると、廊下でザリア、リカ、レイがオマリロの部屋を叩いていた。
「先生!」ザリアが呼ぶ。
「話せませんか?」リカが言う。
「秘密を教えて!」レイが叫ぶ。
「要するに」ハンが割り込む。
「お前らも強くなりたいって話だろ」
「うん!」ザリアが即答する。
「今しかない!」
その瞬間、扉が開いた。
全員が一歩引く。
「出る」
オマリロは背に袋を背負っていた。
「先生……?」リカが目を丸くする。
「旅。すぐ戻る」
オマリロはザリアを指差す。
「少女、指揮」
「え、私!? えっと……!」
パン、と掌が鳴る。
オマリロの姿が消え、リカの頬に風だけが触れた。
「……すごく、急だね」
「忙しい男なんだ」ハンが言った。
「俺らが裁くことじゃない。帰ってきたら聞けばいい」
「どうせ、俺らはもう一回失敗してるんだしな」
ハンは部屋へ戻り、扉を乱暴に閉めた。
「ハン、なんか変!」レイが心配そうに言う。
「うん」リカも頷く。
「ザリアより不機嫌」
「は!? 不機嫌なのはあんたでしょ!」ザリアが噛みつく。
「私はクール!」
咳払いして、ザリアは仕切り直した。
「……とにかく。確かにハン、いつもよりイラついてる」
「臨時リーダーとして言う。様子見に行く」
ザリアは急に満面の笑みになる。
「いや~、任されたの嬉しいわ~!」
「集中して」リカがため息をつく。
ザリアがハンの扉を叩く。
「ハン? 大丈夫?」
「最高だ。だから消えろ」
「……性格わっる」
「ガゲオラ、チネハヌン・ベシヨ。これでいいか?」
ザリアがリカを見る。
「今、なんて言った?」
「えっと……」リカが戸惑う。
「日本語にしてほしいの? それとも――」
「いいから言え!」
「……『あっち行け』って」
「よし!」ザリアが叫ぶ。
「じゃあ勝手にして! 機嫌直るまで放置する!」
ザリアが振り返った、そのとき――玄関のノックが響いた。
三人は顔を見合わせる。
「先生かも!」
急いで階段を下りる。
だがそこに立っていたのは、背が高く、鍛えた体の、身なりのいい中年男性だった。
「こんばんは」
男は丁寧に頭を下げる。
「ここが神カイダンの屋敷で間違いありませんね?」
「そうだけど……」ザリアが警戒する。
「誰だよ、あんた」
「ソレン・シコウキです」
男は名乗った。
「私の息子が、あなた方のところにいると聞きまして」
「息子――?」リカが固まる。
その瞬間、リカのポケットのスマホが震え、聞き覚えのある声が鳴った。
「パパ!」
「……息子?」ソレンが目を細める。
リカがスマホを取り出すと、画面に映ったのはソウシンだった。
「……え、これが息子?」リカが目を丸くする。
ソレンはスマホを受け取る。
「はい。しばらく居場所が掴めず困っていました」
「反応がここに出た」
ソレンはスマホを見下ろす。
「この少女の携帯の中に」
リカは気まずそうに首の後ろを掻く。
「あ、えっと……」
「私じゃないからな!」ザリアが先に言う。
「スマホにAI子どもとか無理!」
「はは」ソレンが小さく笑う。
「では息子よ、そろそろ一緒に来なさい」
ソレンが踵を返した瞬間、リカが慌てて止めた。
「あの、待って! どこに連れて行くんですか?」
「それ、うちのチームの一員みたいなもので……それに、私のスマホ……」
「分かっています」ソレンは淡々と言う。
「祖国へ連れ帰り、肉体を戻します。そうすれば、あなたの携帯も返せる」
「我々シコウキは、非常に強いジュゲン一族です。母がすぐに“元通り”にするでしょう」
「待って」ザリアが食いつく。
「強いってことは……弱いユーザーを強くできる?」
「当然」ソレンは頷く。
「ただし無料ではない。安全でもない」
「試練を一つでも落とせば、肉体か精神か、あるいは両方を失う」
ソレンは肩をすくめ、笑った。
「……あなた方の“師”と同じですよ」
「先生を知ってるの?」リカが身を乗り出す。
「昔、彼は我々の一族と数年過ごしました」
「あなた方が見た《黄金竜》ロードアウト――あれは我々の教えの産物です」
ソレンは愉快そうに笑う。
「もっとも、教えることはほとんど無かった」
「来た時点で強すぎた。彼は“基礎”をさらに固めただけです」
レイが手を挙げる。
「私たちも教えてほしい!」
「お願い!」ザリアも続く。
「ちょっと」リカが二人の手を下げる。
「えっと……私たち、トーナメントで先生をすごくがっかりさせました」
「同じ失敗を繰り返したくない。強くなる手段があるなら、教えてほしいんです」
ソレンは軽く笑う。
「弱い子どもが偶像に認められたい、か。何度も見た」
「覚悟があるなら――明日の夜明け、竹芝駅に来なさい」
ソレンはソウシンを連れて近くのリムジンへ乗り込み、そのまま去った。
「待って!」リカが叫ぶ。
「私のスマホ――!」
ザリアがリカの背をぽんと叩く。
「行ったよ、リカ。行った」
そのとき、ハンが階段を下りてきて、リカの袋を開け始めた。
「……で、誰呼んだんだ」
フライドポテトを掴んで口へ放り込む。
「調子戻ってんじゃん」ザリアが言う。
ハンは袋を一つ持ち、また階段へ向かった。
「……うん」
「強くなれる手段、見つけた!」リカが急いで言う。
「へぇ」ハンは止まらない。
「ほんとに!」
「ソウシンのお父さんが来たの! 先生を鍛えた一族の人!」
ハンが足を止めた。
「……何?」
「私たちも教わって、足手まといをやめる」ザリアが言う。
「ハンも来いよ!」
ハンは手を振る。
「俺らには、もう先生がいる」
「でも今しかない!」ザリアが詰め寄る。
「先生に“変われる”って見せたいだろ!」
ハンの目が揺れる。
「……意味ねえ」
「ハン!」
「……分かったよ」
「出る時、呼べ」
ハンはまた自室へ戻り、鍵をかけるように扉を閉めた。
ザリアとリカとレイは階段の前で顔を見合わせる。
「絶対おかしい」ザリアが呟く。
「しかもヤバい感じ」
「ストレスかな……」リカが言う。
「外出た方がマシになるかも」ザリアが頷く。
「先生に言う?」レイが首を傾げる。
「言うに決まってる」ザリアが即答する。
「許可もらわなきゃ」
「……って、先生の連絡先、誰か持ってる?」
リカが手を挙げた。
「私、持ってるよ」
「はいはい、予想通り」ザリアが呆れる。
「先生にスマホ買わせたんだもん!」リカが胸を張る。
「私が一番お気に入りだから!」
「は!?」
「とにかく!」
「ちょっと待って。予備の携帯出すね」
リカはポケットから二台目の携帯を取り出し、入力する。
【先生。シコウキ一族のところで少し修行に行きます。大丈夫ですか?】
「返信、遅いかも」リカが言った。
だが数分後、通知音が鳴る。
【よい】
「許可出た!」リカが跳ねた。
「マジで?」ザリアが目を丸くする。
「先生、ちゃんと返信できるんだ……」
「じゃ、ありがとうって――」
【ありがとうございます先生! またすぐ会いましょう! <3】
リカがハートを送ろうとした瞬間、ザリアが携帯を奪った。
「はいストップ」
「えー!」
◇
一方その頃――
「ナラク・カイダン。今回もよくやった」
「それでは、装備を授ける」
砂原アツシの邸宅。
リビングにディビジョンが集められ、戦利品が床に広げられていた。
「トビカエルの鎧を継承する者」
「有栖川ヨリト、ミコガミ・コウガ、ツガワ・ケイ」
「前へ」
鍛えた若い男が三人、進み出て礼をし、鎧を受け取る。
「最高だな」ケイが言う。
「俺の、光ってるぞ」ヨリトが目を輝かせた。
「……本当にすごい」コウガが見惚れる。
「次」アツシが言う。
「ハイヘビの鎧」
「ユズハ、来い」
隅にいたユズハの耳がぴくりと動く。
「え、私!? ほんと!?」
「お前の技に合う」
「いただきます!」
ユズハは受け取ってから咳払いする。
「……じゃなくて。ありがとうございます」
「オオザメの鎧は副官へ」
「クガ・ハジメ」
サングラスの整った男が首を鳴らし、鎧を手に取った。
「感謝します、隊長」
ノノカが横目で睨む。
「……キメすぎ」
「そして――ノノカ・スナハラ」アツシが言う。
「養子であるお前には、ヒショウするワシの鎧だ」
拍手が起こり、ノノカが鎧を持ち上げる。
「……ありがと。パパ?」
「その呼び方は禁止だ」
「……はい、隊長」
アツシは最後のフドウのガマの鎧へ視線を落とす。
「最後は俺だ」
「……だが、今の身体では扱えん」
「使い切ったエネルギーが、組成を削った」
「だから言ったじゃん」ノノカが鼻で笑う。
「命を賭ける価値のあるものがある」アツシは淡々と言った。
「……それに関連して、お前は俺について来い」
ノノカが眉を上げ、廊下へ従う。
「……何?」
「俺は長年、お前を教えてきた」
「だがトーナメントの件を見て思った」
「……新しい教師が必要だ」
「新しい……教師?」
アツシは頷く。
「俺の教えはここまでだ」
「お前の潜在を開く時が来た」
「誰に?」
「港区へ行け」
「オマリロ・ニュガワの屋敷だ」
「最大を引き出せるのは――あの男しかいない」
◇
どこか――
オマリロは海を見下ろす崖の縁に座っていた。
「風、良い」
「涼しい」
ほんの一瞬、目を閉じる。
すると彼の脳裏に、あり得ないほど柔らかな光景が浮かびかけた。
この崖に――八人が並び、笑い、丘の風に身を預けていた、あの時間。
―――




