――第36章・竜の憤怒――
フロア10,001―――
オマリロは赤いルーンが脈打つ地面へ、何事もなかったかのように着地した。
「……ふむ。もうダンジョンではない」
その声を切り裂くように、暗闇の奥から声が落ちてくる。
炎が、ぽつぽつと灯り始めた。
「いいえ。まだダンジョンですわ」
「ただし――あなたが想像する場所ではありません」
光が広がり、空間が露わになる。
赤いルーンに覆われた巨大な闘技場。
頭上の空は濃い深紅で染まり、観客席には獣じみた影がうごめいていた。
〈ヘルズフロア――グランド・ハント・コロシアム〉
女の声が、会場に響く。
「真の最終フロア」コハクが笑った。
「世の中は、ダンジョンは一万階までだと言う。けれど真実は――その下があるの」
「ここがヘルズフロアよ」
観客席の狂犬のような怪物たちが唸り、歯を鳴らす。
その中央で、砂原アツシのケンタウロス形態が全高を引き上げた。
さらに――より“巨大”に、より“凶悪”に。
「ここが、ダンジョンの魔物どもが生まれる場所だ!」
「そしてここで俺は――頂点の狩人に出会う!」
「さあ! 決闘だ! さもなくば――死ね!」
オマリロが状況を飲み込む前に、アツシが踏み込む。
先ほどまでとは別物の速度。
メイスが、頭上から落ちた。
BOOM。
間一髪、オマリロが身を引く。
だがアツシはそのまま踏み潰しに来た。
オマリロは滑るように後退する。
「遅くなったな、老人!」
「言ったはずだ! お前の時代は終わった!」
アツシの頭上にUIが点灯する。
〈カイダンチョウ:砂原アツシ――レベル:140,000〉
「さあ、砕け散れ!」
アツシがメイスを地面へ叩きつける。
闘技場全体が揺れ、ルーンが赤く脈動した。
「おや?」コハクが甘く煽る。
「伝説のカイダンチョウが追い抜かれてしまいましたわ」
「その挫折で折れますか? それとも――応える?」
アツシの一振り。
オマリロが弾き飛ばされる。
「弱い!」
オマリロは少しの間、アツシを見ていた。
――そのとき。
カシャン、と乾いた音。
天井付近からワイヤーが射出され、二つの影が滑り降りてくる。
「先生!」竹野ザリアが叫ぶ。「助けに来た!」
「ハンのブースト、ありがとう!」天川リカが叫んだ。
上方から、ハン・ジスが親指を立てる。
「気をつけろ、女ども! 先生も!」
オマリロは二人を見た。
「危険。二人、退け」
アツシが子どもたちを見下ろす。
「彼の言う通りだ、子ども」
「ここはすぐに――お前たちの師の血で染まる」
「はっ」ザリアが鼻で笑う。
「そう簡単にいくかよ。先生、私らもやれる!」
リカが頷く。
「何をすればいいですか、先生?」
「二人、今すぐ動け」
アツシがメイスを叩き落とす。
地面が裂け、三人が分断された。
ザリアが起き上がり、槍を投げ――足で蹴り出す。
だがアツシはメイスで軽く弾いた。
「矮小な子ども」
「友情の力で、トップのカイダンチョウに勝てると?」
「違う」ザリアが歯を見せる。
「私が勝つんだよ!」
新たな槍を形成。
だがアツシはそれを掴み、握り潰した。
リカがザリアを引っ張る。
直後、アツシが地面を砕く。
「ザリア! 頼むから無茶しないで!」
アツシが踏み込み――踏み込み――踏み込み。
衝撃波が連鎖し、床が跳ね、跳ね、跳ねる。
二人を足で押し潰そうとした瞬間。
オマリロが前へ出て、その巨脚を受け止めた。
「二人、回避。今」
もう一方の脚が落ちる。
地面が割れ、粉塵が舞い上がる。
「さあ、捕食者が獲物になる番よ!」コハクが嘲る。
「まさか期待外れではないでしょう、ニュガワ?」
アツシはオマリロの顔に走る負荷を見た。
「まだ手加減してるな……」
「いいだろう。なら――容赦はしない」
彼は視線を子どもたちへ向けた。
「……お前にも」
「……その子どもにもな!」
ザリアが槍を呼ぶ。
「来いよ、岩――!」
BOOM。
メイスの一撃が、ザリアを叩き潰すように地へ落とした。
ザリアは血を吐き、動かなくなる。
「ザリア!」
リカが駆け寄り、頭を膝に抱える。
必死に揺さぶった。
「お願い、お願い……!」
「先生! ザリアが……息、してない!」
オマリロが一瞬だけ、背後を振り向く。
「……ザリア」
その“一瞬”。
BOOM。
アツシのメイスがオマリロを打ち抜き、壁へ叩き飛ばした。
「先生!!」
「おお」コハクが愉悦を滲ませる。
「獰猛な一撃! 見事よ、戦士!」
リカの目から涙が溢れる。
「やだ……やだ……こんなの……!」
「お願い……お願い……誰か……!」
涙がザリアの頬に落ちた。
その瞬間――ザリアの体が、淡く光り出す。
◇
一週間前―――
「始めろ」
道場。
オマリロがコーヒーを飲みながら見下ろす前で、葉山レイ、天川リカ、竹野ザリア、ハン・ジスが構える。
「また模擬戦ですか?」リカが弱々しく言う。
「先生、私、戦えません……!」
「疑い、消せ」
ザリアが槍を呼ぶ。
「ほら、リカ! 手加減してやる!」
「しないで!」
レイがぴょんぴょん跳ねる。
「やった! やろうやろう!」
ハンが手を振る。
「女ってやつは。もう降参しろよ」
オマリロが杖を軽く鳴らした。
開始の合図。
レイがいきなり月光を放ち、三人を吹き飛ばす。
「あ……強すぎた?」
「うわっ!」
ザリアが槍を投げる。
レイは月光の盾で弾く。
反射的にレイがもう一撃。
ザリアが転がって回避する。
ハンはキューブを呼び出した。
「キューブ:解法を走査!」
[解法:11件]
「全部使え!」
キューブからトリップワイヤー。
続けてネット。
そしてベアトラップ。
気づけばザリアとレイが一緒くたに絡め取られ、床に転がっている。
「……はい、俺の勝ち」
だがザリアが脚力で拘束を破り、足払いでハンを転ばせた。
「違うね! 私だ!」
レイが月の紋章を複数展開し、拘束を切り裂いて二人の喉元へ尖先を突きつける。
「私ー! 勝ち!」
オマリロが杖を床に鳴らす。
「止め」
全員が動きを止めた。
「先生!」
「一人、戦っていない」
杖の先がリカを指す。
リカは気まずそうに立っていた。
「わ、私……? その、機会を待ってただけで……!」
「来い」
リカは俯き、オマリロの後ろをついて行く。
ハンが小声で囁く。
「うわ。リカ、怒られるぞ」
ザリアが肘で突く。
「痛っ」
屋敷の奥。
鍵のかかった扉の前まで来ると、オマリロが杖を当てた。
扉が開き、古い匂いが流れ出る。
中には遺物、巻物、肖像画――静かな“知の部屋”。
「せ、先生……」リカが声を詰まらせる。
「なんでここに……?」
「ジュゲン・アーカイブ」
「女に、教える」
「教えるって……」
リカは言葉を荒らげる。
「先生は私を“守り役”だって言うけど、戦えない守り役なんて意味ないです!」
「他の三人は戦える技能がある。私はない!」
「私、みんなと違う……!」
「違う」
オマリロは巻物を一つ取り、リカへ渡した。
「読め」
「……はい」
リカは目で追い、声にせず読み進める。
『百年前、ダンジョンが出現し、七つのジュゲン・クラスが現れた。
そのうち六つは戦闘に適し、最後の一つ――回生者は支援と見なされ、ダンジョンへ入ることすら稀だった』
リカは顔を上げる。
「ほら、先生。昔から……役立たず扱いです」
「続き」
『だがある日、回生者の若い少女が、護符と深く共鳴する力を示した。
その力を周囲へ拡げることで、回生者は護符魔術への適性が突出し、護符の力をより効率的に引き出し、扱えるようになった』
「それは知ってます」リカは言う。
「でも、護符がないと投げられないじゃないですか」
「最後まで」
リカは読み戻るように続けた。
『ジュゲン研究が進むにつれ、回生者は護符の潜在力を引き出すだけでなく、
十分な接触と共鳴を重ねた末に、護符を“自ら生成する技能”を覚醒させる可能性があると判明した』
リカの手から巻物が落ちる。
「……え?」
「女が技能を見つければ」
「疑いは風のように消える」
「どれくらい共鳴が必要なんですか?」リカが食いつく。
「護符だけではない」
「感情」
「意志」
「女が“欲する”時、開く」
リカは巻物を拾い、震える手で差し出した。
「先生、導いてください」
「女が導け」
「時が来れば、女は分かる」
オマリロは扉へ向かう。
「来い。訓練」
リカは呟いた。
「……時が来るって、いつ……?」
◇
現在―――
アツシが近づく。
リカはポケットの中で、光る護符を掴んだ。
「……待って。これ、スナコから……!」
アツシがメイスを上げる。
「降伏しろ、女」
「さもなくば――全滅だ」
リカはザリアと、壁際の瓦礫――オマリロが埋まった場所を見比べた。
「……嫌」
「絶対、嫌」
リカは護符を握り潰した。
砕けた瞬間、エネルギーが全身へ雪崩れ込む。
「おや?」コハクが目を細める。
「その子……匂いが変わった」
リカの頭上にUI。
〈第2回生者技能:治癒の印――解放
効果:回復系護符を48時間ごとに5枚生成可能〉
「……で、できた……!」
ザリアが咳き込み、血を吐きながら目を開ける。
「……リカ……?」
「今……!」リカは震える声で叫ぶ。
「ジュゲン回生者:治癒の印!」
〈護符生成:活力
効果:周囲の味方の生命力を90%回復
チャージ:1〉
リカは生成した護符をその場で砕いた。
蒼緑の閃光が爆ぜ、衝撃波がアツシを吹き飛ばす。
空間が眩い光で満たされ――やがて消える。
ザリアは膝をつき、荒く息をした。
「……え、何が……?」
リカが抱きしめる。
「効いた! 生きてる! 大丈夫!」
「……リカがやったの?」
リカは砕けた欠片を見せる。
「うん……! 二つ目の技能、開いた!」
「私、護符作れる!」
「すげぇ……!」ザリアが笑う。
「ほら、言ったじゃん! 役立たずじゃない!」
抱き合う二人。
その背後で――瓦礫が、ぎしりと動いた。
二人の視線が向く。
アツシの視線も、同じ場所へ。
「先生……!」
その瞬間。
瓦礫から、黄金の奔流が噴き上がる。
「ジュゲン変性者:黄金竜の鎧!」
BOOM。
瓦礫を吹き飛ばし、現れた影。
長い黒いドレッド。若い肌。
高く引き締まった体躯。
黄金の翼、黄金の鎧、黄金の冠。
男は二人の前へ一瞬で現れ、リカの頭を軽く撫でた。
「若返ったな……よくやった、リカ」
「せ、先生……?」リカが目を丸くする。
「先生、あなた……!」ザリアが固まる。
「めっちゃ若い!」リカが口を押さえる。
〈全盛期:オマリロ・ニュガワ――レベル:250,000〉
「あり得ない!」アツシが叫ぶ。
「何の詐術だ、それは!」
「長くは保てない」オマリロは淡々と言う。
「すぐ忘れる」
ザリアがリカを揺さぶる。
顔が赤い。
「……何?」
「な、何でもない!」ザリアが慌てる。
「ただ……すごく、似合ってるだけ!」
「すごいどころじゃ……」リカがぼそっと漏らす。
「……ふむ?」
「先生、後ろ!」
アツシのメイスが横薙ぎに来る。
だがオマリロは双刃の薙刀を即座に形成し、投げた。
薙刀がアツシを空中へ弾き飛ばす。
「小さい男だ」
砂煙が落ち着くと、アツシの傍にノノカがいた。
「隊長!」ノノカが叫ぶ。
「撤退して! あの人の気配、ヤバい! 人間じゃない!」
「撤退などしない!」アツシが吠える。
「もっとだ! 九百パーセントまで上げろ!」
「それ、後遺症出る!」
「最悪、戻れなくなる!」
「構わん!」
「俺はナラク・カイダンを辱めない!」
「やれ、ノノカ!」
ノノカは歯を食いしばり、頷いた。
そして――アツシはさらに巨体化する。
「終わらせるぞ、ニュガワ!」
メイスの棘が伸び、より凶悪に尖る。
アツシはメイスを投げた。
オマリロは片手で受け止める。
「不十分」
アツシが地面を叩く。
衝撃でオマリロが浮いた瞬間――オマリロの一閃が走る。
アツシの腕が切り落とされた。
「……再生が遅い」アツシが歯噛みする。
「言ったでしょ!」ノノカが叫ぶ。
「もう無茶できないって!」
「問題ない!」アツシが咆哮する。
「腕がなくても――潰す!」
アツシは残った腕でメイスを掴み、地面を叩き続ける。
空間が不安定に軋み、さらに“腕”が増殖し、メイスが増える。
(……すぐ尽きる)
(だが勝つ。勝って、味わう)
上方からコハクの声が降り注ぐ。
「ああ、これは予想外!」
「その力、見届けねば!」
「戦え! 戦ええ!」
アツシの多重メイスが大地を砕き、地震が闘技場を走る。
オマリロはリカとザリアを抱え上げ、そのまま空へ退避した。
ノノカが呆然と呟く。
「……超人……」
アツシがメイスを投げる。
オマリロは蹴りで壁へ叩き返した。
「掴まれ」オマリロが言う。
「はい!」リカが妙に元気よく返事をする。
「任せて!」ザリアも頷き、オマリロのドレッドを一本つまむ。
「……髪まで滑らか……」
オマリロの顔に、竜の仮面が覆い被さる。
アツシの猛攻が降り注ぐが、オマリロは薙刀で受け、弾き、切り裂く。
「砂原アツシ」オマリロが低く告げた。
〈ロードアウト変更:黄金竜〉
「竜の憤怒を味わえ」
同時に――
両者の攻撃が正面衝突する。
BOOM。
―――




